残暑の候に

もう二十日である.この二,三日少しだけ気温が下がる.夕方はツクツクホウシの声が聞こえるようになった.夏の終わりの鳴き声である.それでも残暑はきびしい.この数日のことを自分のために記しておく.
十六日は大文字の送り火の日.京都には行けなかったが,送り火にはなぜか心落ちつく.この日は結局一日,円順列の諸々にいろいろ手を入れ,ようやく十七日に一通りできる.明示的な円順列の個数を与えるこの等式は,意味の深い式である.七月の三十一日に今年の慶応大の問題を手に入れ,それを前から置いてあった課題と結びつけて,この等式を示した.八月の前半,数学の方はこればかりをやっていた.
十七日は,政府が辺野古に土砂の投入をするとしていた日であった.故翁長知事の承認取り消し表明とそして逝去となり,取りあえず延期であるが,これは向こうの選挙対策でしかない.こちらの意志を明確にする.夕方は「土砂の投入やめろ!」という大阪行動があった.しかし,こちらはこの日の夕方は地元の夏祭りの反省会があるので行けない.それで,午後二時からの近畿中部防衛局前(大阪合同庁舎第2号館)での「土砂の投入やめろ!抗議行動」に参加してきた.写真である.主催は,沖縄とつながる京都の会,米軍Xバンドレーダー基地反対・京都連絡会,若狭の原発を考える会等々,全国でのそれぞれの連携した行動であった.およそ五十人は来ていただろうか.
十八日は,朝から年に一度,仕事づくりの活動をしている知りあいのところから,庭の手入れに来てもらう.四人来てくれた.もう一軒おいた隣の庭とうちと二軒をやってもらった.それから午後は孫の誕生会をかねて,彼らの住んでいる所に集まる.
そして十九日は,朝の7時半から公園の掃除.この日の夕方は,大阪での梅田解放区だが,こちらは夕方四時から自治会の防災訓練である.消防車もやってきて五時過ぎまでやり,それから夕涼み会.フラダンスや紙芝居を楽しみながら懇親会をした.三年前からやっている.三年前の様子:暑い晩夏に.ここにもあるが,金曜は地蔵盆が朝から晩まである.これが地域に座っているわが日常である.
アベ政権は,反対派も含めた国民国家の政権という立憲主義政府という立て前すらも棄てている.様々の情報技術を駆使して自らの支持層をまとめ,議会選挙で多数を占める.資本主義が終焉にむかうなかで,彼らには立憲主義の余裕がない.これ以外に道がないのだ.そして,露骨に差別発言や差別行動そのものをとってアベ支持層だけを固める.選挙技術,情報操作にはたけている.まさに差別国家である.日本の歴史は、この差別国家そのものに対する人民による糾弾闘争が必要な段階に至っている.
突破口を開かねばならない.このときに一人一人はどうするのか.それを考える.

ある夏の日曜日

 今夕は梅田解放区の日.朝は七時半から市から委託されている神園公園の掃除をした.いつも二十数人でしている.それから夕方また出かけた.次回の梅田解放区の十九日は自治会の防災訓練と納涼会をこの公園で行うので,梅田にはでてゆけない.それで,少し疲れはあったが行ってきた.いつものように若い人らが語り歌うのを,横断幕をもって手伝ってきた.宮古島出身というわれわれの世代の人がやってきて,三線を弾きながら琉球の歌をうたい歴史を語ってくれたのがいちばん印象に残った.
 明日六日は広島原爆投下の日.梅田解放区を呼びかけてきた君は広島にいる.原爆は最も悪質な大量破壊兵器であり,原爆投下は戦争犯罪そのものである.しかしアメリカの戦争犯罪は議論にならない.日本の側から声をあげねばならないのに,それとは真逆の戦後七十年であった.また,歴史をふりかえると,二度愚かなことをしないと歴史の教訓としては根づかないのはそのようだ.しかし,たとえそうだとしても,広島・長崎の原爆と,そして福島原発が引き起こしいまも続く核惨事と,二度の経験を経ているではないか.なぜ再稼働なのだ.なぜ廃炉の方向を打ち出さないのか.それどころか日本は福島をテコにアベ政治をすすめてきた.ほんとうにわれわれはいま歴史の岐路にいると思う.
 もう一枚の祭りの写真は,昨日の土曜の夕方,犬の散歩で通りがかった六軒夏まつりの開始前の公民館前の公園である.同じ小学校の校区内で行われるもう一つの夏祭りである.「六軒」という地名は,江戸時代,六軒の家ががこの地に入植し田畑を拓いたという.それで六軒が地名となっている.この祭りと甲陽園夏祭りが七月末と八月はじめの土日に前後を入れ替えて夏祭りをやってきた.一方は先週の台風で中止となったが,こちらはできた.
 こういう手作りの年中行事と,そして歴史の岐路と,考えさせられる.その一方で,書斎にいるときは,この一週間『数論初歩』の増訂や今年の入試問題の解答づくりをやってきた.円順列を求める一般的方法については,前から整理したいと思っていたが,今年,慶応の入試に出たのを見つけ,やっておかねばと考え,整理した.結構面白かった.
 自分にとって,考えることの柱は『神道新論』の内容を深めることだ.これが自分のなすべきいちばんの仕事であり,いちばん難しい.いまわかってくれる人がどれだけいるかはわからない.それでも,根のある言葉で内から世を語れ.その言葉を育てよ.近代のなれの果てとしての現代を越えてゆくためには,この近代が覆いかくしたことをもう一度よみがえらせなければならない.それはまちがいない.夏祭りと歴史の岐路という問題と,ここでつながる.そんなことも考えて,青空学園日本語科と青空学園数学科で積みあげてきた.
 大きな歴史の趨勢を考えざるを得ない.いまは経済第一の時代から人が第一の時代への転換の時代である.それは数年のうちにやってくる,バブルの大崩壊によって,明確になるだろう.そして,非西洋で最初にこの西洋資本主義の世界に入った日本は,その果てに今日のアベ政治の段階を迎えている.資本主義の終焉という普遍的な問題が,日本においては,日本の固有の問題をとおして現れていることをおさえ,自分に準備できることとして,これらをやってきた.
 そして自分にとってもう一つの大事なことは,実際に高校生に数学を教えることだ.今年の夏期講習の三年生の授業はこちらにとっても面白かった.今の教育の置かれた状況の中で,それでも出会った生徒達には,少しでも学問としての数学を伝えたい.それが少しはできた.それと問題づくりもいろいろやっていて,これも面白い.実際に教えてきたこれまでの経験と青空学園での経験をもとに,教育数学について,これからの方向を提起したい.そのために,数理解析研究所の講究録の原稿を作っている.これはこの方面での遺言のようなものだ.
 そして,そういうことをやっている者として,この世の中の次の時代を開こうとする人々と力をあわせることだ.人民新聞を中心とする北摂や尼崎の人らの大きな流れのなかで,こちらができることをするということだ.二十年から二十五年前,この流れの源の一人である上田等さんにはほんとうに世話になった.そのお返しという思いもある.それで今夕も梅田に行ってきた.
そして最後が,地元の町内会や地域の様々の活動である.自治会長なので,地域の自治会連合での分担や,またいろいろと市や県との交渉ごとや,宅地開発業者とのやりとりや交渉などのつきあいもある.この二,三日は地元の諸々のことで役所に行ったりと出歩くことも多かった.この町内は新興の住宅街で神社や寺はなく氏子や檀家としてのつきあいはないが,一つだけ地蔵様があり,その世話人も引きうけている.それで私は週に四日は朝早く起きて七時には地蔵様の祠の扉を開けに行っている.今年も八月二十四日はその地蔵様の地蔵盆である.その準備もしてきた.
 こういう夏の日曜をはさんだ毎日である.時々やっていることを整理したくてこんなことを書いた次第.いささか論旨が入り組んでいる.こうやって書いて,それをまた見なおしてゆきたい.

杉田議員の差別発言

 7月も末となった.昨日28日は忙しかった.この日は地元の夏祭りの予定であった.これまでは大池公園の端の広場でやってきたが,人が増え狭くなって,今年からは小学校の運動場でやることになった.小学校での警備なども初めてのことで,いろんな人が力を出しあい,ようやく25日の朝には祭り太鼓のやぐら立ても終わっていた.
 そこへ台風12号である.朝の8時から会場設営がはじまるのでそれまでに結論を出す,ということで朝の7時に実行委員長や副委員長が集まり協議,中止を決めた.1日順延も難しいと結論した.28日の朝にはまだ警報は出ていなかったが,午後4時前に暴風警報.29日は昼頃には日も出たが,突然の通り大雨が2度あり,何とか開催したいという思いもあったが,やはり中止の結論はそれでよかった.これまでのことは,2013年:夏祭り,2014年:梅干しと夏祭り,2015年:8月の初め,2116年:夏の盛りにに書いてきた.去年はドイツにいて手伝えなかった.
 今年中止にしたのは,残念だが台風は仕方がない.昨日はそれから,やぐらの片付けを終え,昼前ににいったん解散.夕方5時からの打ち上げ会までの間,梅田に出た.電気店に用があったのだが,午後3時からの杉田水脈議員の辞職を求める大阪緊急街宣にも参加しようと思った.もとは午後5時からの予定であったが,台風を考慮,3時からに変更されたのである.急なことではあったが,およそ200人が,梅田北のヨドバシカメラの向かいに集まっていた.
 28日は東京でもあった.杉田議員の辞職求め、自民党本部前に5千人 「私には自由に生きる権利がある」特別な1日さんの27日に詳しい.大阪でも多くの当事者が訴えていた.それにしてもあの杉田議員の差別発言である.生産性という経済概念を第一とすることで,人が人であることの尊厳を踏みにじり,そのことに気づくこともできない.いや,わかっていてあえてあの差別発言をしているのだ.この発言はアベ政治そのものであり,自民党憲法改定の方向そのものである.国会議員という公の立場にあるもののこのような発言は,まさに差別糾弾闘争の対象そのものである.差別国家に対する人民の糾弾闘争,その段階に至っている.
 1970年代,役所や議員の差別発言に対しては,必要なら役所に座り込んだり当事者のところに押しかけたりして,差別発言を生み出した組織の責任者に対して,発言がいかに差別であるかを当事者が己を語って訴え,そうだったとわかり自己批判し,組織が変わってゆくまで続けた.こうして阪神間の行政はいくらかは変わったが,そのなかで西宮市は昔のままの古い役所の体質である.そして杉田議員はこの西宮市の職員の出である.
 そういう糾弾闘争のいくつかの末席にいたものとして,政治が国家権力もうごかし差別発言を逆に利用して支持者を集めるような今の状況を何とかうち破りたい.差別発言を生み出した組織は今のアベ政府そのものである.田中龍作さんが,「杉田水脈が選挙応援に呼ばれる理由 自民党の高等ネット戦略」で書いておられるように,情報技術が変われば,それに対応して,闘い方も変えてゆかねばならない.その点で言えば,これまでのところ,向こうの方がはるかに上手である.しかしこれは必ず行き詰まる.根底には資本主義の閉塞という客観的条件がある.その終焉を少し遅らせても,限りがある.終焉を少しでも先に延ばすために,杉田発言も逆に利用する.しかし,それはながくはもたない.
 それでも,新しい時代を生み出してゆくために,こちらにも戦略がいる.かつて,時代の背景はあったが,部落の親の子の教育にかける思いや,在日の朝鮮の人らの怒りが,一気に噴き出して,北摂阪神間のあの時代をつくり,それを受けとめたものらが次の時代をひらいていった.大きく言えば豊中市の木村議員もそんな流れのなかの人である.教育分野では,自分自身の教育理念の問題として受けとめた教員らの運動が解放教育運動であり,私の場合,それが結局は自分の生き方を定めてきた.その一端は『A高校における障害者解放教育』に書いている.そういう時代の智慧に学び,今日の条件の下でどうしてゆくのか.いろいろ考えるべきことは多い.

宵山の日の参禅

 追伸:七月十七日.今日は祇園祭山鉾巡行の日であった.京都で授業があり夕方京都へ.山鉾巡行は朝の九時からで,終わっている.京都の祇園祭から大阪の天神祭へのこの時期は,はもの落としがいちばんうまいときである.活はもでないと作れない.見た目にも涼やかな夏のはも料理である.骨の唐揚げもうまい.それで,帰りに行きつけの店で食べてきた次第.梅肉で食べるのが私の好みで,これはほんとうに季節感のある料理である.
 昨十五日は京都で,智勝会OB会の参禅の日であった.智勝会は相国寺の活動にもあるように,在家居士の参禅会である.昭和の初め頃でき,戦後も昔は京大の学生が中心であった.こちらは大学のサークルのような感じで参加した.が,最近は現役学生は2,3人とのことである.そのOB会であった.
 京都の夏は暑い.しかも今年は特別である.39度というなかを地下鉄で烏丸今出川まで行き,タイ料理の店で昼飯.しばらくそこにいた.タイ料理が辛く,辛いのは好きなのだが,この日は後で喉が渇いた.それから京都御所の緑地を少し歩いて池の端でしばらく休んでそれから,同志社大学の横を通り,相国寺の境内に入る.
 また歩いて,東側の僧堂のある一角を入る.ここは一般には公開されていない.雲水の修行道場である.そこの座敷でしばし時間が来るのをまち,2時から,老師の導きで読経と焼香をする.それを終え,僧堂に移って,拍子木の合図で,それぞれが坐を組む.僧堂の写真などはここにも載せている.僧堂の中は暗いが格子の向こうの緑が鮮やかである.それから老師の臨済録の提唱.それを聴き終えて,座敷に戻り精進料理を皆でいただく.
 自分のなかでは年一回の貴重な時間として定着してきている.自分はいつからいっているのかとこのブログを見返すと,2012年の7月14日からなので,今年で7回目である.もうそんなに時間が経過したのかと感慨もあるが,すべて東北地震の後のことであり,個人としては長い時間であるが,事故の行く末としてはまだまったく短い時間である.
 自分のために,これまでの経過をあげておく.そもそもこのOB会を知ったいきさつは,智勝会の人からの手紙人に会う(続)にある.そして参禅の記録は,2012 相国寺僧堂2013 夏の京都の一日2014 京都の夏2015 夏のはじめの金曜土曜2016 京都相国寺2017 今年も相国僧堂である.
会食の合間、順に話した近況報告の中で,こちらは『神道新論』を出版したことも伝えた.老師に一冊,いつも世話をしてくれるFさんに一冊渡し,他の人にはぜひ買ってくれるようにお願いした.神仏習合は,この日本列島弧の人々の考え方として自然であることも話した.
 実際,僧堂の向かいにある鐘楼の横には鳥居があって稲荷神社がある.また,来歴のよくわからない小さな祠などもある.この相国寺も,明治維新の後の廃仏毀釈の時代には多くの困難があったようだ.帰りに一休みしていると,昔のことをよく知っている先輩がいろいろ話してくれた.これだけの広い境内であるが,昔はもっと広く,戦後間もなくまでは境内から竹藪が鴨川縁まであったそうだ.
 それから地下鉄に乗ったが,烏丸四条駅は身動きがとれないほどの人出と言うことで,烏丸御池で地下鉄を降り,タクシーで四条河原町にでる.七月十五日前後は祇園会の宵山である.四条通は車も止めて,人出がすごかった.暗くなると山鉾の提灯に明かりも入るのだが,それまではいないで阪急で戻ってきた.
 長い歴史のある参禅会がこうして今も続いている.雲水の中からこれからの時代に応じて伝統も守りつつこれを継承してゆく師家が出てきてほしいし,かつての西田哲学ではないが,こういう伝統をふまえ,時代の求めに応じようとする思想が生まれてほしい.人ごとで言うべきではない.課題の大きさに比べて力およばずであるが,こちらが『神道新論』で目指したのもそういうことである.
 14日は梅田解放区の取り組みであった.国会の動きを見て14〜17日は毎晩やるとのことである.こちらは16,17日もゆけないので,せめてとこの日も横断幕をもっていた.
 前にも書いたが,これだけ現前の政治が腐敗しているのに,なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのか.二年前,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,大統領弾劾が成立して罷免した.その力が文在寅大統領を生み出した.今日の南北対話,米朝対話は,この「ろうそく革命」の結果である.韓国には,かつての民主化闘争があり,さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある.対してこの日本は,非西洋にあって最初に近代資本主義に入り,帝国主義侵略と支配を続け,敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた.アベ政治はそのなれの果ての腐りきった残骸である.
 韓国のろうそく革命のように,梅田の前の道をデモで埋めつくすときは,必ず来るよ.この取り組みの中心にいるS君とそんな話をしながら9時までやった.そして翌日15日は朝7時半から公園の掃除を皆で済ませ,その後一休みして,京都に行ったのである.体が動くうちは動いてゆこうという思いであった.

維新政治からアベ政治へ

昨夜も,梅田解放区は行われていたが,こちらは用事で行けなかった.来週も京都で座禅の会があり,行けない.
一昨夜は七夕であった.降り続いた雨はようやくに少し小ぶりとなり,どうなることかと思っていたが,なんとしても開催するということで,森友学園問題を考える会(FBtwitt)主催の,「民集会 森友学園問題から大阪維新の会のヤミを暴く!!」に参加してきた.大雨が上がったばかりで,阪急の運行さえどうなるかと思ったが,それにしては多くの人が参加していた.いつも梅田で会い顔見知りにあった人や,昔からの知りあいのTさんにも会う.彼はいちど飲みに行こうやといっているのだが,いつも車.「来るとわかっていたら車置いてきたのに」といわれてしまった.
阪急宝塚線「曽根」から徒歩5分のところにあるアクア文化ホールで夜の7時からであった.片岡伸行(『週刊金曜日』)さん,横田一(ジャーナリスト)さん,木村真豊中市議(森友学園問題を考える会)の三人による討論と,大阪府議会での森友問題追及についてということで,共産党大阪府議の石川たえさんと,元豊中市議の山本いっとく(森友学園問題を考える会)さんのやりとりとが,おこなわれた.そして,大川弁護士の報告があり,IWJにも録画がある.
森友学園問題については,森友学園問題の真相は何か 初めから今までを見直す→真相はどこにあるのかに詳しい.こちらはもらった片岡伸行さんの資料と横田一さんの資料を読みながら,それを結びつけることで,ああそうかという,私自身にとっての発見があった.私は前から,
2018-05-13 『東北ショック・ドクトリン』,2018-04-29 歴史は動く,2018-03-12 3.11の日に,2018-01-17 阪神淡路大地震から23年,2017-01-07 七草粥,2015-08-21 歴史を教訓に!などで,今日のアベ政治は,福島の核惨事を「ショック・ドクトリン」とする「惨事便乗型資本主義」として生まれたものであると書いてきたが,東北大地震と東電核惨事をショックドクトリンとしてアベ政治を生み出す上で,実際に動いてきたのが大阪維新の会であるということを再確認した.
2012年2月26日,民主党政権の時代に,大阪で八木秀次が主催した教育に関するシンポジュウムで,安倍晋三大阪府知事松井一郎大阪府知事と,その教育観と教育行政,政治による教育支配をめぐって大いに共鳴,意気投合した2人は,居酒屋へ場を移して教育談義に盛り上がった.大阪府では,2011年に国旗国歌条例が成立して,教職員に「日の丸・君が代」の強制が始まった.大阪維新の会日本会議を背景とする安倍晋三の二人三脚がはじまる.
第一次安倍政権下で教育基本法を改正し,「愛国心」を教育の根幹に据えようと提唱してきた安倍晋三にとって,「教育勅語」を毎日暗唱させる森友学園の教育方針は素晴らしいものと映ったに違いない.その1ヵ月半後、大阪府森友学園の要請を受けて学校設置基準を緩和した.また,大阪府はさらに2012年には職員基本条例を作り,「君が代」不起立を三回すると免職にするとされている.アベが森友学園やこの基本条例を全国に広げたいと考え,これらを行政主導でおしすすめる松井府政を見て,当時の安倍晋三は力を得たのだろう.これが出発点といえる。
2012年4月9日,野田佳彦首相と原発関係3閣僚は,大飯原発の安全対策の実施計画などに対し,安全性に関する判断基準に「おおむね適合している」ことを確認した.このとき,当時の橋本徹大阪市長は「大飯原発再稼働をする政権打倒」と叫び,東電核惨事発生の1年後の時点で,人々に期待をもたせ,そしてこれは再稼働を容認する民主党政権への反感を煽った.当の橋本自身は2012年5月31日、関西電力大飯原子力発電所の運転再開を「事実上容認する」,「反対し続けなかったことに責任を感じている。正直、負けたと思われてもしかたない」などと発言,あえて混乱を引き起こす.
そのなかで,2012年秋,野田内閣は崩壊,11月16日に衆議院が解散,12月16日に実施された第46回衆議院議員総選挙民主党が大敗,12月26日に野田内閣は総辞職し、アベ政権が生まれるのである.東北大地震と東電核惨事からそれをてこにアベ政治を生み出すうえで,橋下徹大阪維新の会が中心的な役割を果たしたのだ.そして,森友問題は,全国的にはそのようには見られていないかも知れないが,実は松井大阪府政と大阪維新の会がいちばん中心にあり,これは実際のところ,アベ政治に先駆ける大阪維新の会の大阪での政治が引き起こしたものである.アベ政治大阪維新政治の全国版である.
日本における、東北地震と福島核惨事からアベ政治への道は,ナオミクラインの『ショックドクトリン』が出た以降の,最大の歴史事件である.そういうものとしてさらに分析し記録しなければならない.そのことを確認した.集会は,大阪の地元から,この維新政治への闘いを広げてゆこうということを呼びかけて終わった.

無限搾取法

またの名を過労死法案という高プロ法が6月29日成立した.1986年に施行された労働者派遣法が,はじめは今回と同じく一定の技術を要する13業種のみであったが,その後改訂に改訂を重ね対象の制限を取り払い,いまやあらゆる分野で,低賃金と劣悪労働環境の業態として定着している.小泉政権規制緩和からそれが加速し,社会に大きな格差を生み出してきた.それと同じく,今回の高プロ法はもっと短期に,まさに過労死法,無限搾取法=死ぬまで搾り取ることを国家が認める法としての本来の姿を現すだろう.いや,むしろ現実を追認するというのが実態かも知れない.森ゆうこ議員のところの資料サイトに詳しい資料がある。
しかし,これでは大多数の人々の購買力は低下するばかりである.一方,企業というものは最終的にはものが売れなければ儲からない.生産の場における無限搾取は,消費の場を枯してゆく.資本は目先の利益を上げるために賃金などを下げる.それによって購買力が低下し,結果結局は購買力が下がり,ものが売れなくなる.これはまさに『資本論』の言う,資本主義の根本矛盾そのものである.アベ政府は,物価水準を2%上げデフレから脱却することをかかげたが,ついにそれはできなかった.購買力を奪い続けたなら,売るために物価は下がる.それを,札を増刷ばかりして市場に流しても,それで物価水準が上がるわけではない.
日本の企業家には,内部留保を減らしてもカネを大きく世の中に流通させることで,利潤もまたそこから生み出されるという思想がない.あるいはその余裕がない.かつての近江商人はそれがあったが,いまやそのような企業はほとんどない.過労死法は,企業家集団=経団連が目前のカネに目がくらんだ結果できた法である.しかしその結果としてますますデフレとなり,日本の資本主義経済を根底から破壊する.そしてそれはそう遠くない.その過程で,無限搾取,まさに命を奪うところまで搾取してゆくが,しかしどこかで立ちゆかなくなる.
前にも書いたが,自民党前尾繁三郎は、死の5日前(1981年7月18日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.政治が,目先の利益に走る企業を導かねばならないのに,その後の政治はこの遺言を守るどころか,政府も経団連軍需産業と無限搾取で利益を出そうとしている.いやそうするしかないところまできている.
かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.それが結果として日本ではいわゆる中流を生み出していた.世界的にも,社会主義が崩壊して以降,その規制はほとんど取り除かれた.そのなかでアベ政治は「規制の岩盤を砕く」とか言って,一つ一つ取り除いてきた.そしてついに今回の無限搾取法に至った.
このような中で,司法や警察は,この資本の放縦に抵抗するあらゆる活動を,それこそまさに法の枠組を無視して,弾圧する.その一つの例が,人民新聞編集長逮捕であった.これは,権力になびかない独立した報道に対する弾圧であり,ほんとうのことを書くとこうなるぞと言う見せしめでもあった.
これにたいして人民新聞は逆に支援者や読者も増え,支える輪も大きく拡がった.この間の経過と今後の方向を話しあうために,人民新聞編集長・山田洋一さんを支援する会が主催して『山田編集長は無罪だ! 判決前大集会』が6月30日尼崎であった.これに参加してきた.このサイトの告知にあるように,山田さんの決意表明に続いて,この間,関西で様々の弾圧を受けそれと闘ってきた人らの討議と,そして関生などからの連帯あいさつであった.どこも、このアベ政治の下での弾圧である.向こうはこれだけどこでも弾圧してきたのだ.
そのうえで,山田編集長が決意表明の中で「十数年前人民新聞の編集長になたとき,金持ちの世界とは違う別の世界を報道してゆこうと考えた.そしていま,資本主義が終焉のとき,その次のあり方を紙面に出してゆきたい」というようなことを言われたのが印象に残った.
実際,その次の世のあり方をどこから作ってゆくのか.もういちど規制をもっと強力に総体的に体系的に行わなければならない.そのうえで教育と医療の無償化を実際に行う.それはしかし,この腐敗した大域資本主義に隷属するアベ政権の下ではありえない.それを政策とする力は人々の闘い以外に生み出されることはない.そして人民の権力を背景とする政府をうち立て,それによって,資本の放縦な動きを規制せよ,これが当面する歴史の要求である.
人民の権力の下,体系的に資本を規制し,そうすることでかつての総中流ではないが,とびきりの金持ちも,格差に沈む層もない世を生みだしてゆく.これを政策として具体化し,その下に様々の勢力を結集してゆくような政治,これを生み出してゆかねばならない.
そのための種まきとして,7月1日梅田解放区の集まりに参加してきた.7月の土曜はいろいろ集会などある.それで7月は毎日曜日にやることになった.それで今日も行ってきた.喋って歌っては若い人に任せて、こちらは横断幕をもつのを手伝っているのだが,今日は私と同じ世代の女性が,喋ってそして歌って語りかけておられたのには驚いた.喋りもうまい.もう一人その前に喋って元保育士という女性の語りもうまかった.道ゆく人のまなざしもずいぶん共感的になって,敵意を表してとおりすぎる人はほんの数人であった.それだけ,若い人らの現実が厳しくなっているのだ.
今のままではだめだと考える一人一人に,歴史が求めることは少なくない.それに応えることは,これまでのような根なし草の近代主義では,できない.根のある言葉で理念と思想,そして新たな政策を語れ.その政策を語る試みの一つが,「日本神道(二)」で提示し,その後,拙著『神道新論』のなかで改訂していったものだ.道は遠いが,しかしいつかは現実の問題になる.そんなことも考えた.
若者よ.近代の漢字造語をいったん疑え.官僚言葉,東大話法から自由になれ.そして自分自身の言葉を見直せ.これが言いたいことである.そんなことを考える私にとって,路上は教室である.いろいろ教えられ,考えて戻ってきた.

京都から梅田:安倍やめろ!

昨日はまず京都の龍谷大学大宮学舎で開かれたインターナショナル・カルチュラル・タイフーン2018の「情動化する社会の政治・経済・文化−グローバル資本主義に未来はあるか」と題する報告と討議を聞きに行った。概要は学会のカルチュラル・タイフーン2018の開催のお知らせにある.当日受け取った冊子にはもう少し詳しく載っていた.会場に着くと,案内をくれた杉村さんがいて声をかけ,受付を済ませて半時間あったので表に出て昼食.1時からはじまった.写真は後部の一番前でのものなので三分の一くらいが写っているが,龍大の学生はじめ多くが集まっていた.
この「お知らせ」にあるように,「現在の変化が政治・経済・社会だけでなく、それらを支えている文化と個人精神を飲み込む運動であることも、それが合理的な説得や制度的な変革がもはや通用しない強力な情動に支えられていることも確かです。」との認識はその通りである.そして,カナダの女性政治学者が発言していたように,「グローバル資本主義に未来はない」ことも確かである.基本はその通りであるとして,しかし,昨日の基調報告と討論では次のことはまだ明らかではなかった.
1)大域資本主義が終焉するのはいかなる形においてであるのか.そしてそれは,自然に終焉にするのか,あるいは人々の闘いによってであるのか.
これに関するこちらの考えは,資本主義生産関係そのものを変えるかどうかの問題ではなく,資本に人が使われるのか,人が資本主義的生産関係を使いこなすのかの問題である.こうして経済の時代から人の時代へ大きく転換してゆく.かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.社会主義が崩壊して以降その規制はほとんど取り除かれたが,もういちど規制をもっと強力に総体的に行わなければならない.それは人々の闘い以外に生み出されることはない.
2)大域資本主義は、普遍の名の下にの固有性を奪う.
カナダやアメリカの西洋の学者のはこの観点が弱い.資本主義の押しつける偽りの普遍性に対抗し,これを越えて,固有性の共存する真の普遍の場を創り出し,そこにおいてこそ生産関係としての資本主義を使いこなす新たな人を生み出すのでなければならない.私は,青空学園を,この偽りの普遍性にに抵抗する根拠地であり,闘いの場としてやってきた.その一つのまとめが『神道新論』であった.自分がやってきたことの意味を再確認できたのはよかったが,これをもっと広めねばとも思った.
やはり問題は,分析ではなく抵抗であり,その実践である.いわゆる学問の知のありかたの問題を含めいろいろ考えさせられた.
それから,七条通りを大宮から堀川まで歩く.昼には降っていた雨もこのときは止んでいた.そして北に曲がって,西本願寺に参る.親鸞の寺である.広い境内をまわる.それから入り口を東に出てしばらく歩き,新町通を南にまがって,京都駅まで裏通りを歩いた.京の街は裏通りを歩く.
裏通りを歩いていつも思うのは電柱の多さであり,それが景観を壊していることである.日本は明治以来電気を引くのに多くの電柱を立てた.近年,大通りの電柱は撤去され,江戸時代までの通りの景観が戻りつつあるが,肝心の裏通りの電柱はほとんどそのままである.かつてはこんな電柱はない街並みであった.裏通りほど電線などを地下化するのは大変であるが,次代のために,少しでもこれをすすめてもらいたい.
フランスやドイツの街を歩いていいなと思うのは,電柱がないことである.これがかつての景観であった.故郷の宇治の街も,新町通といわれる表道りの電柱は地下化され,宇治橋からの景観もよくなっていた.しかし縣通りはまだ電柱が立ったままである.
私は,電柱をどんどん立てたことは,近代日本の失敗の象徴だと思う.そして植民地時代に韓国や台湾の街々にも電柱を立ててしまった.これはいずれどこかで始末しなければならない.
それから大阪駅まで電車で移動し,梅田解放区の安倍やめろ行動に参加してきた.これだけ現前の政治が腐敗しているのに,なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのだ.アベのやったことは収賄とその見返りの便宜供応であり,これは本来なら犯罪として裁かれねばならないことである.ところがこれが,司法検察一体となって逆にアベを守っている.
二年前,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,ついに大統領弾劾が成立して罷免した.その力が文在寅大統領を生み出した.今日の南北対話,米朝対話は、この「ろうそく革命」の結果である.朴槿恵収賄に比べればアベのやったことははるかに額が大きく悪質である.それでも罷免できないままである.
韓国には,かつての民主化闘争があり,さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある.対して日本は,非西洋にあって最初に近代資本主義に入り,帝国主義侵略と支配を続け,敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた.アベ政治はそのなれの果てである.
これに対抗する力はあまりにも弱い.われわれは韓国の人々の歴史の現在からはるかに遅れた所にいる.しかしそれでもこれは歴史の産物である.歴史の産物は,必ずかえることができる.絶望することなく,言うべきことを言い,街頭に出よう.一人一人の行動こそが歴史を創る.ということでこの日も横断幕をもつの手伝ってきた.