晩秋の週末

 この二,三日は忙しかったが,充実もしていた.16日金曜日は,地域アソシエション研究所の総会があった.私は個人会員になって久しいが,総会に出るのははじめてであった.総会の後は交流会.昔から知っている人が過半であるが,知らない人も少なくない.この人々らの集まりは,上田等さんなどがやってきた,自分たちで仕事も作りながら,いろいろな活動もしてゆくという人の輪が中心である.ここに,私の上田さんの追悼文がある.彼は本当に戦後の運動を関西で作ってきた人だ.そして,この交流会で,大阪哲学学校世話人などもされている田畑稔さんに出会い,自著『神道新論』を手渡すことができた.読んでいただいてどこかでまた意見交換ができればと思う.

 17日土曜日は,午後の後半に授業があり,それが終わって梅田に出る.この日も梅田解放区をやっている.しばらくそこに参加して声をあわせる.そして,遅れていったのに,また早めに別れてそこを出る.
 ある予備校の模試の問題を作っている人ら数人の懇談会にゆくためである.東京から担当の人も来ていて,来年度の話しになる.そこで提案されたのが,私とM先生で年4回のある模試を作れないかということだった.すでに,私は年2回ある模試を作り,M先生も年2回ある模試を作ってきた.それに加えて,2人共同で年4回の模試作成ができないかということであった.私の青空学園をみて連絡されたのが,福島の地震の翌年.ここには,それからいろいろ世話になったし,基本的に依頼のあった仕事は断らないを原則にしてきたので,看板模試なので責任もあるが,引きうけることにした.来年は毎日問題を作り続けなければならない.

 18日日曜日は法事であった.妻の従姉妹の,歳も大分上の人が亡くなり,葬儀には行けなかったのだが,満中陰の法要をするということでいってきた.前に,姫路の病院に見舞いにもいってきた.そのときは元気だったのに,思いもよらず早く亡くなった.法要の前に,妻の実家の方に立ち寄り,墓参りをしてきた.大阪から高速バスに乗り,山崎の次のバス停・葛根で降り,妻の妹の運転する車で,峠道を一つ越えていってきた.
 ここは兵庫県の西部,西播州の中国自動車道より北の方である.家の裏は赤穂に流れてゆく千種川がゆっくり流れている.ほんとうに懐かしいところだ.五年前に戻ったときの写真が「根拠を問う(二)」にある.親が亡くなってもう久しいが,妻の兄が大阪で仕事を少ししながら,週の大半はこちらにきて,米も作ってくれている.
 このあたりは,過疎である.地元の中学が廃校になって山崎町の中学校に統合された.これからどのようになってゆくのかわからないが,この風土は大切にしなければと実感する.
 それから皆でもういちど峠を一つ山崎の方に戻って法要に出た.親の葬儀や法事のときにしか顔をあわさない人らがほとんどである.それでもどこか覚えている.法要の後,そこで食事をいただいて,それから再び高速バスの停留所まで送ってもらい三宮まわりで戻ってきた.

 このような三日を過ごした.いろいろと思うこと,考えることがあった.実に貴重な時間であった.

誇りを持って(?)自己責任

 昨日は定例の梅田解放区の日で,参加してきた.皆で声をあげながら,交代で語る.道の向かい側にもプラカードを掲げて並ぶ.反戦タイガースの人も語り歌も歌う.阪神タイガースの応援歌を替え歌にして語り,最後は「ハーンセン・ターガース」と締めるのである.うまいものである.
 また若い人が,一つの調子で歌いながら語る.トランペットが2つ,その語りにあわせる.なるほど街頭でこういうふうにやるのかと,感心しながら,こちらは横断幕をもつことに徹する.

 幾人かが,日本では安田純平さんへをたたく言葉にあふれていることをアベ政治への批判とあわせて語っていた.たたく言説の根拠は「自己責任論」である.それに対して安田さん自身が「紛争地のような場所に行く以上は自己責任であると考えている」「自分の身に起きたことは、はっきり言って自業自得だと考えている」と言っている.
 この言葉をどのように受けとめるか.私は,戦場ジャーナリストを自らの仕事としたことに対する確信と誇りからの言葉であると思う.自分への「自己責任論」にもとずくさまざまの批判を逆手にとって,自らの信念を語り,そして,アベ政治に煽られた批判を笑い飛ばしているように思った.違うかも知れないが,私の受け止め方である.

 ではなぜ今のアベ政治は,「自己責任論」を振りかざすのか.そしてまたその方向に世論を誘導しようとするのか.なぜこの間,さまざまのところで「自己責任論」がまき散らかされるようになったのか.

 「自己責任論」はそれ以前からもあったが,東電核惨事以降それがひどくまた大きくなった.福島はいまも原子力災害非常事態宣言が発令されたままである.それを根拠として,年間20ミリシーベルトまでが容認されている.放射能から子どもを守る企業と市民のネットワークにもあるように,先日,国連人権理事会 子どもや出産年齢の女性は、年間1ミリシーベルトを超える地域への帰還停止を日本政府に要請した.

 これに対して日本政府は,ここにもあるように,「子どもたちに限らず、避難指示が解除されても帰還が強制されることはなく」と反論している.
 言いかえると,日本政府は,「避難は自由であるが、国は何の保障も補助もしない.すべて自己責任でやれ.」ということである.
 それどころか,年間1ミリシーベルトを超える地域に住み続けることさえ,自己責任だということになる.実際は,ここにもあるように, 「20ミリシーベルト以下は安全」という「国家による殺人」そのものである

 なぜ日本政府は安田さんたたきを煽るのか.大手の報道機関もそれに同調するのか.その理由がここにある.福島のこの核汚染問題について,国民を保護する責任が国家や政府にあることに,目が向けられることを,恐れているからである.

 これが日本の現在である.今年は明治維新から百五十年の節目の年であるが,このときに,アベ政治もまたゆきつくところまでゆきついた.アベ政治とは安倍晋三個人の問題ではない.日本の近代は,うわべのだけの根なし草の近代であった.その行きついたなれの果として現れたものがアベ政治である.
 そして,今の日本は,アベ政治に連なる人でなし達が,あらゆることを差配し,ものもこころもまったく貧しい状況にある.私自身、日本がここまで来るとは思いもしなかった.

 しかしまた,今年は,人々がアベ政治を終わらせるために立ちあがったときでもある.梅田でやっていると,「壊憲をゆるさない」というカードをもった数人が通りかかった.いま集会をやってきたと手を振っていた.
 そして,このような街頭での歌と踊りと語りは,少しは道ゆく若者の心にも届いたかも知れない.こんなことを考え,『神道新論』での自著についての言葉を書き加えた.私にとって,路上は本当にいろいろ考えるところだ.

秋の日々雑感

 少し秋らしくなり,上着がいるようになった.昨夜は梅田解放区の日であった.いつものように20人ほどが集まり,はじめる.この日は午後にいろいろの集会やデモもあったようで,そこから駆けつけている人がほとんどであった.

 ところで,『海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより』のなかの「安倍政権の沖縄に対する凶暴な姿勢を許しているのは誰か」で,目取真俊さんが,次のように言っている.

 沖縄県知事選挙から元気や希望をもらったというなら、全国各地で辺野古の工事再開を止める行動を起こしてもらいたい。行政不服審査制度を国が使う問題は、多くの専門家から批判されてきた。にもかかわず再度その手法を使う。専門家も市民もそこまで安倍政権になめられているのだ。行動しなければ何も変わらない。

 昨日はこれを読んで出かけた.その通りであると思う.そしてさらに,このように梅田で声をあげるのも,できることはしようという気持ちと,それでも自己満足かも知れないと思う気持ちが半ばする.横断幕をもちながらいろいろ考える.

 片山さつきという人がいる.人権は天賦のものであるという天賦人権論を否定する人である.そしてその彼女は,自分の能力はおのれの私有物であると考えている人であると思う.アベ政治の中のものは皆そうである.私は,『次の世代に何を伝えるのか~今こそ「高い立場からみた初等数学」を~ 』や『神道新論』の序章で次のように書いた.

 教育とは人そのものを育てることである.一人一人を人間として育てる.一人一人の人間を開花させる.そうして現れた人間のさまざまな力は,けっして個人の私物ではない.どんな力も多くの人々に囲まれ育まれてはじめて開花する.であるから,育まれた自らの力を,育ててくれたこの世間に返さなければならない.少しでも世に循環させてゆかなければならない.こうして人を育て,人に支えられる世でなければならない.つくづくとこのように思う.

 片山さつきはこのことがわかっていない.アベ政治を終わらせ,教育行政を一から立て直し,こうして人を育て,人に支えられる世の人と人のあり方を生み出してゆかねばならない.

 それにしても先日の裁判での,福島原発の事故当時の東電の経営陣の無責任さ.報道もされたが, 福島原発刑事訴訟支援団のサイトである「東京電力福島原発事故の真実と責任の所在を明らかにします!」にもある.私もこの裁判の原告に入っているが,いつも送られてくる資料には,東電の実態が綴られている.私は『神道新論』の第二章の中で,次のように書いた.

 地震列島に核力発電所を作ることの危険性は従来からも指摘されてきた。にもかかわらず、東京電力は経済を優先し、万一の場合のためのできうる対策さえしていなかった。福島第一発電所の事故はそのうえで起こったことであり、自然災害を引き金にしたとはいえ、それはまさに人災であり、予測されたことに対する対策さえ怠ったという意味において、犯罪である。
 しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさにいま広がっている。この意味でこれは三重の人災、二重の犯罪である。
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は、かつての十五年戦争の敗北につぐ近代日本の第二の敗北である。

 東電核惨事は,第二の敗北であり,二回目の愚かなことなのだ.本当はこの二度の敗北から教訓を引き出し,世を革めねばならないのだ.それが,『神道新論』の第四章で書いた五項目の神道の教えである.要約すると次のものである.

 第一に、人はたがいに、尊敬しあい、いたわりあえ。人の力は、世にかえしてゆかねばならない。今の日本では、人は金儲けの資源でしかない。

 第二に、言葉を慈しめ。近代日本の言葉の多くは根をもたない。これでは若者の考える力が育たず、学問の底は浅い。近代日本語を見直せ。

 第三に、ものみな共生しなければならない。核発電所はかならずいのちを侵す。すべからく運転を停止し、後の処理に知恵を絞れ。

 第四に、ものみな循環させよ。拡大しなければ存続しえない現代の資本主義は終焉する。経済が第一の今の世を、人が第一の世に転換せよ。

 第五に、たがいの神道を尊重し、認めあい共生せよ。戦争をしてはならない。専守防衛戦争放棄、これをかたく守れ。

 しかし,アベ政治はこの核惨事をテコにして,当時の民主党政権から政権を奪い,今日に至っている.その背後にあるのが,日本会議神社本庁神道政治連盟といった勢力である.

 その神社本庁が揺れている.神社本庁総長の辞任表明を巡り、神社界上層部に「前代未聞の亀裂」の記事などにあるように,神社本庁とそのまわりの醜い争いごとが噴き出している.靖国神社もそうである.
 もう神社や神道はなくなるのか.あるいはそれぞれの神社がもっと独立してゆくかも知れない.そして.崩壊し潰れるのは,明維持以降の百数十年の歴史しかない,いわゆる国家神道である.これはこうして潰れればよい.その崩壊のあとから,本来の神道が再びよみがえる.しかしそれは、意識的な努力なしにはありえない.それが,『神道新論』の意味である.その第二章で,

 国家神道は、国家を第一にして人を第二とする。それは現実には、国家の戦争に人々を動員するための役割をはたした。
 そしてついにあの十五年戦争にいたる。この戦争は日本の歴史において未曾有のことであった。南太平洋から東南アジア、東北アジア、中国大陸と朝鮮半島、いわば日本列島に住むものの祖先の地のすべてに兵を進めた。そして敗北した。
 国家神道とは、日本神道の真逆のものであった。

と書いたが,それがこのように早くも現実の過程となるとは、という思いである.

 この日本は非西洋にあって最初に西洋化し、そして百五十年、いままさに没落の瀬戸際にある.没落し,かつてこのような非西洋の国があったと後世の世界史の中の一幕となるのも致し方なしと考えて来た.日本というところは,いったんはそこまでいかねばならないのかも知れない.
 そしてそこで,それでもそこに生き残る人らがそこから立ちあがるときに,よるべき言葉がいる.それを言い残し置かんと『神道新論』を書いた.力およばずであるが問題の提起にはなっていると確信する.

 近代が覆いかくした日本の言葉をほりさげ今に取り出そうと試み,それを青空学園日本語科に書き置いてきた.それは,高校生の考える力の衰えを実感し,その根源が根なし草の近代日本語にあることに思い至ったことがはじまりであったが,そのような近代の行きつく果てに直面して,考えてきたことはやはり必要なことであったと思う.

 近代の果てとしてのアベ政治は,同時に資本主義の閉塞の中でいっそう悲惨なものとして現れている.この行きつくところから,転換を求めて立ちあがる人の内実を書きたいと思った.そうしてまとめた『神道新論』が,それなりに時代と一体であり,歴史の要求に呼応していることが,いくつかのことをとおして確認できた.

 そして,そういうことをしているものとして,街頭に出て意志を表そうとしてきた.かつては関電前集会に毎週金曜日,参加してきた.今は梅田解放区に駆けつけ,若い人らを支援して横断幕をもっている.いつも,ここに立って,街ゆく若者をながめながら,本当にいろいろ考えさせられる.同時に,一緒にやっている人らのつながりも実感できて,私にとって大切な時間と行動になっている.

 地元に帰れば,自治会の代表をしている.数年前,戦後間もなくから町内にあった私立の中高校が経済的に破綻し,この街から撤退.跡地が住宅街として再開発されることになった.地縁血縁というが,地縁を先においた昔の人の智慧に学び,こういう時代のなかで,少しでも人のつながりあえる街をとやっている.いずれ骨になれば故郷宇治の墓地に還り,父母とともに眠る.それまでの仮の住まいの地であるともいえるが,この地縁を大切にしたいと考えている.

 こんな毎日である.いつまでするのかわからない.いつまでできるのかわからない.しかし,それぞれにこんなことを考えるものが増えていかねば,何ごともはじまらないとも思う.

動きはじめたのか

 今日は梅田解放区の日.今夜の参加者は多かった.20人以上か.辺野古帰りの若者.東京で反貧困と福島被災者支援をやっている人.よく見かける和服の人.それぞれが喋った.ラップ調で喋る若者もいた.うまい.トランペットが2人.小太鼓とシンバルを鳴らす人,他にも太鼓の人もいて,賑やかに,予定より半時間はよけいにやってきた.
 こちらは横断幕をもつことをやっていて喋らない.写真も賑やかになる少し前のである.横断幕をもち道ゆく人を眺めながらいろいろ考える.
 この数日,戦後70年の日本政治を省みるべきことが続いている.このように続くことの歴史的意味は何か,それを考えていた.

 第一は,先日の沖縄知事選挙である.戦後政治は沖縄をアメリカに差し出し,基地そのもを含め見せたくない不都合なことごとを沖縄に押しつけ,外から見えないようにして来た.これに対する,人としての尊厳をかけた闘いであった.玉城さんの大差での勝利は,戦後政治の行きついた果てとしての人でなしのアベ政治に大きな打撃を与えた.

 第二は,韓国からの問題提起である.韓国政府は,韓国の済州島で10月11日に開かれる国際観艦式に参加する自衛隊艦船に,旭日旗の掲揚を自粛して欲しいとが申し入れてきた.その要請は日本にだけ向けられたものでなく,参加予定全14カ国に対して「自国と韓国の国旗のみ」を掲揚するよう求めたものであった.
 ところがこれに対し、自衛隊の河野克俊統合幕僚長は、4日の定例記者会見で,拒否した.いわく「海上自衛官にとって自衛艦旗は誇りだ。降ろしていくことは絶対ない」韓国側との調整がつかず,ついにアベ政府は自衛隊艦船の派遣を中止した.
 旭日旗は,1870年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用され,1889年に大日本帝国海軍軍艦旗としても採用された.いわばドイツナチスのカギ十字旗と同じ意味をもつ.ドイツでは,カギ十字マークの使用は民衆扇動罪適用の対象となる.第二次大戦での受章者に対しては,1957年にカギ十字を柏葉に置き換えた勲章を改めて渡している.であるから,自衛隊の艦船が旭日旗を掲げることは,侵略された側から見れば,ドイツの艦船がカギ十字を掲げることとかわらない.自衛隊幹部には,その苦痛を思う心がない.沖縄の苦悩を思うことができないのと、同じである.

 アベの覚えめでたい統合幕僚長は、旭日旗が誇りであると言う.それでは,あの戦争をどのように考えているのか.統合幕僚長の思想は,軍国主義日本への回帰を掲げる日本会議の思想そのものである.
 戦後政治でいえば,海上自衛隊の前進である保安庁警備隊が編成され,1952年に警備隊旗とされたものは旭日旗ではなかった.1954年に防衛庁自衛隊に格上げされたとき,旧日本軍の旭日旗が,陸上自衛隊自衛隊旗(八条のもの),海上自衛隊自衛艦旗として復活したのである.
 艦旗を掲揚する事は国際法で求められている(つまり民間船と軍艦の識別の必要がある).しかし日本国憲法に基づけば,自衛隊は軍隊ではない.したがって,もともと国際観艦式に自衛隊が参加することはないのである.真逆の方向からであるが,政府と私と派遣中止は一致した(笑).

 この問題は,あの侵略戦争を総括することなく,戦前の文官,武官を問わずそのまま戦後体制に居残らせたことが、こうして具体的な形で問われることとなった.私は『神道新論』の中で,

 戦後政治は国家神道を根底から見直すことがないままにはじまった。それに対応して、戦争責任もまた内部から問われることなく、明治維新ののちに成立した官僚制などの基礎組織はそのまま残り、今日に続いている。
 この象徴天皇制によって、まず戦後革命を抑え込み、そして、あれだけ「鬼畜米英を撃て」と国民を動員して数百万におよぶ犠牲を出しながら、その後は一転、対米隷属の政治となる。国家の基本法である憲法に対し、その上に安保条約がある体制が戦後一貫して続いてきた。立憲主義が実際におこなわれたことはいちどもない。

 そして、ついに福島原発の核惨事にいたるのである。これは、非西洋にあって最初に近代化をとげた日本の、その近代の一つの帰結であった。

と書いたが,旭日旗が戦前は軍旗であり,戦後は本来軍ではない自衛隊を軍としてその軍旗を旭日旗とするということは,戦前戦後が通底している事実を象徴するものであり,私の論証に根拠を一つ加えるものである.

 そして第三,10月4日のNHKニュースが,羽田空港の新飛行ルートを増設しようとしている日本政府の方針に対し,米軍がそれを認めようとしないことを伝えた.同じニュースが「羽田空港の新ルート、米横田空域通過認めず実現困難? 横田空域って何?」や,また「オリンピックや外国人観光客のための羽田新飛行ルートを在日米軍が断固拒否、日米地位協定が足かせに」にもある.
 その後全国紙は報じなかった.日本は米軍に主権放棄状態であるという「不都合な真実」だけは,絶対に国民に知らせようとしない.日本の制空権は日本国家にない.アメリカ軍にある.それは,日本国憲法の上に安保条約があることの帰結である.
 これについては,矢部宏治さんの書をとおしてこのブログでも紹介してきた.2014-10-24 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか2016-06-05 市民と野党の共同アピール2017-08-25 暑き晩夏に「知ってはいけない」を読む 等で、紹介してきた.

 しかし,その後政府はこれに関する交渉を止めたようだ.全国紙での報道もそれ以降まったくない.しかしいかに政府が隠そうが,この問題が現実に出てきた.これは大きい.

 アベ政治のあまりの酷さに何かが動きはじめたのかも知れない.道ゆく人の態度もずいぶん変わってきた.1000円のカンパをくれた人もいた.しかしこれが本当の動きとなるには,まだまだである.そう考え,いささか身を引き締めて戻ってきた.

沖縄知事選勝利

 沖縄県知事選挙で玉城デニーさんが大差で勝った.30日夜に当選確実が出てようやく何か一つ前に進んだ気持ちになった.

 この間,沖縄現地に滞在して報道を続けてくれた田中龍作ジャーナルの田中さんに心から感謝し,敬意を表したい.大手の報道機関はまったく現地の様子を伝えないし,当選を伝えて以降は無視を決め込んでいる.そのなかで一人の報道人としての田中さんの行動は,まったく頭の下がる思いである.ありがとう.

 辺野古基地建設に反対するか否か,これが選挙の争点であった.佐喜眞陣営はこの争点を隠した.隠したこと自体が,争点であったことを意味している.

 辺野古の基地はもう20年前に計画が出されたものであるが,それはアメリカの要請によって計画されたものではない.米軍が,沖縄を出てグアムなどアメリカ領内の基地に移る動きがあるときに,日本の側が,アメリカ軍を沖縄に引きとどめるために計画したものである.普天間基地の負担軽減は口実に過ぎない.

 日本の支配層,その中枢をなす外務官僚などの官僚組織は、在日アメリカ軍を後ろ盾としている.在日アメリカ軍とそれを通じたアメリカ軍産への隷属,これが日本支配層の支配権力の土台である.これが,戦後の日本の政治体制なのだ.

 そしてこの戦後体制は,その成立のときから沖縄をアメリカに差し出し,基地そのもを含め見せたくない不都合なことごとを沖縄に押しつけ,外から見えないようにして来た.その行きついた果てが今日のアベ政治である.

 辺野古基地建設が争点ということは、対米従属することで支配を維持しようとする戦後の日本政治のあり方に反対するか否かということであり,このような支配層と沖縄の人々との矛盾が,現在の主要な矛盾であった.

 故翁長前知事が,そして玉城候補が「イデオロギーよりもアイデンティティを」ということを基調として沖縄の未来を切り開こうと訴えてきたのは,まさにこの主要な矛盾を軸にまとまって闘おうということである.

 日米安保条約そのものをどうするのかということは,今回の選挙では主要な矛盾ではなかった.今回の勝利は,この問題で分裂することなく闘ったがゆえにもたらされたる.

 この玉城さんの勝利が日本の支配層とアベ政治に与えた打撃は大きい.大きいからこそ,御用マスコミは無視を続けている.

 今回の勝利は,ほんとうに大きな力をアベ政治と闘うものに与えた.やれば出来るということだ.そしてまた,アベ政治と闘うものにとって,大きな教訓を得た.それは,最も主要な問題を軸にして,副次的な矛盾をひとまず横に置いて,分断をのりこえ団結して闘えということだ.

 沖縄県と,日本政府,つまりアベ政治との,沖縄の現実をもとにした闘いはこれからである.沖縄の闘いに学び,われわれもまたそれぞれの場でできることをなしながら,前に進もう、そう思った次第である.

関生連帯集会

 昨夜は,大阪天満の労働会館で行われた,労働組合つぶしの大弾圧に抗議する9・22緊急集会に参加してきた.主催は,全港湾関西地本大阪支部が中心となった,9・22集会実行委員会である.
 6時開催の15分ほど前に会場にいったのだが,もう空き席はない.多くの人が立っていた.主催者は緊急の呼びかけであったので,150~200人を予定していたそうであるが,実際の参加者は350人を超えていた.関生労組への弾圧の実際は以下の所に詳しい.
  連帯ユニオン近畿地方本部連帯広報委員会連帯ブロ連帯チャンネル
 この三カ月で武委員長らがのべ26人逮捕され,今も20人の労働者が投獄されている.この間,各県警の組織対策課が連携しながら,一斉に動いてきた.これは,アベ政権の中枢からの指示であり,原則的に闘う組合や市民運動を潰す,ファシズムの動きそのものである.
f:id:nankai:20180922180923j:plain:right 実行委員会参加組合や団体からの発言が続いた.豊中の木村議員も北大阪合同労組委員長として挨拶.そして,昨秋から今年の2月まで3ヶ月拘束されていた人民新聞の山田編集長や,8月6日に広島での活動中に弾圧された園君やAさんも訴えていた.最後に川口まゆみさんが熱唱し,それから団結がんばろうで集会は終わった.
 それから山田さんと尼崎まで戻り食事をしながらいろいろ話をして帰宅した.人民新聞はあれだけの弾圧を受けたが,新聞は一度も途切れることなく出たし、読者は増え,関西の左派系新聞という地方紙から,独立メディアの全国紙になった.PCなどはいまも押収されたままである.それに対して9月18日に国賠訴訟をおこした.
 一連の弾圧を発動したアベ政治とは何か.昨日は午前中に,アマゾンのKindle版で,「ゾンビ政治の解体新書:魔女狩りをするゾンビへの鉄槌」を手に入れ,読んだ.いくつか私と考えの違うところもあったが,また学ぶことも多かった.著者は,藤原肇さんで,じつに多くの著作がある.
 世界の多くの国は,表に出しては言わなくても,資本主義がゆきづまるなかで,この先に必ず起こる激動のなかで,何とか少しでも軟着陸させ,次の時代に進んでゆくために,さまざまの模索をしている.
 その中で,この数年のアベ政治は,これとはまったく逆に,これまで以上にアメリカ従属の政治にすがり,立て前としての法治主義も投げ捨てて,反対するものを弾圧してきた.藤原さんのこの書を読むと,この先,日本はアベ政治の結果として,アメリカにすべてを吸い取られ,まさに国破れて山河もなしのところに行きつく.それが近代日本のなれの果てである.
 それではどこに活路を見いだしてゆくのか.藤原さんはこれからの可能性を「あとがき」の中でいろいろ述べておられる.その中に,「日本の大学は輸入学問の窓口であり,意味論が存在していないせいもあって,翻訳が実にいい加減である」との一文があった.ここに着目することは大切なことである.そして,藤原さんは,「それで日本の優れた若者がみな日本を出てゆく」という.
 それに対して,青空学園は日本の中からこれをかえてゆくことを模索してきた.その場所としての青空学園を開設してもう十九年が過ぎ,二十年目に入っている.
 日本語科で書きためてきたことをもとに,この春『神道新論』を出した.ここでやろうとしてことは,現代日本語の意味を日本語の基層から再度定義しなおすということであった.いま再定義が必要だとの問題意識でこの二十年,「定義集」をやり,そのための準備してきたのだ.そしてようやく人に語れる段階になったと考え本にした.しかし,この問題意識はまだまだ一般的にはなっていない.それでも,現実に国破れて山河もなしとなったときに,ここからやり直すしかないというところに必ずくる.そう考えている.
 数学科の制作物の意味については,先日京大数理研でやったの研究会の講究録用に提出した一文『大学初年級数学において何を伝えるべきなのか』のなかの「青空学園数学科」に書いている.ここでやってきたことは,教育数学そのものであった.上記講究録では、そのことについても詳しく書いている.
 青空学園数学科については,誰が書いてくれたかはわからないが,ここに適切な紹介がある.
 こういう集会に出て,関連した本を読んで,こちらは何をしてきたのだろうと考えた次第である.ということで,今しばし,できるときまで,これを続けたい. 
追伸:23日の夕方は,昔の数学科の同級のKさんに会い食事をした.明日から岡山である日本数学会の総会に行くため,23日は大阪に泊まるそうだ.彼と再会した日のことは「人と会う(続)」にあるが,もうそれからでも7年半が経過した.お初天神横の生魚の店で飲みながら,それぞれ,自分が何をやってきたのかを考えあうような会話もした.

還暦同窓会

 昨日は,還暦同窓会があった.還暦と言っても私のことではない.彼らのことである.思い起こすと,1974年4月,その前の秋から仮免許で教えてはいたが,4月に教員免許も取れて市立芦屋高校の正規教員となり,はじめて担任したクラスが,彼らである.そのとき私が26歳.彼らが15歳.それから45年の時が過ぎ,彼らが還暦,こちらは古希を1年越えたところということでの同窓会であった.総勢13人が集まった.35人ほどの少人数のクラスだったが,そのなかでよく集まった.
 このクラスに,昨日の会場になった阪神西宮の近くにある和食の店をやっている人がいて,彼が世話をして,みなに呼びかけてくれた.私には,古希祝いのケーキと花束まで準備してくれていて,ありがたかった.20年ほど前にいちど同じクラスでイタリア料理店をしている人のところに集まったことがあったそうだが,こちらはそれにはいっていないので,2005年に二,三人の人とこの店で会った以外の,ほとんどの人とは卒業以来42年ぶりであった.
 しかし,そんな時間も,会えば吹っ飛ぶ.これはほんとうに貴重な経験である.昔のあの子が今,目の前にいる,という感じである.また,私のところより歳うえの孫のいる人もいて,ここまで来れば歳の差はあんまりないのも実感できる.このときから,時間の感覚が少しかわったような気分である.
 数学教育という点からも,いやそもそも教育理念という点からも,多くのことを学んだ.私の原点ともいうべきクラスである.あの時代は,地域の教育運動が盛んなときで,教員にとってはやりがいはあったが厳しい時代でもあった.それでも,今のように格差が大きくなる前で,卒業生にはそれなりに仕事はあった.国鉄に就職して働き続け,間もなく定年という人も来ていた.彼は最後まで国労でとおした.それぞれの卒業以来の人生を聞くと,やはりいろいろある.そして,私自身がここからはじまる自分の人生を思い返さずにはいられなかった.このとき学んだことが今も自分の基礎にある.
 15日の土曜日は梅田で声をあげてきた.この45年を振り返ると,いわゆる安定成長期を経て,それがゆきづまった頃から行革が言われはじめ,この市立高校も廃校の方向になった.それがはっきりした1987年3月,市高組合の委員長であった私はここを辞めたのだった.それからバブル経済となり,そして1991年,ついにそのバブルが崩壊した.その頃私がやっていた会社も倒産し,この高校のかつての同僚の尽力で塾などで高校生に数学を教える仕事に戻ったのだった.
 日本は,世界的にも一番最初にバブルの崩壊と資本主義の行きづまりに直面し,そして1995年の阪神淡路の大震災から,2011年の東北大地震と東電核惨事を経て,アベ政治に行きついてきた.これは前にも言ってきたが,アベ政治は,日本の近代の行きついた果ててであり,同時に資本主義の行きづまりが世界大になったという時代条件のもとで,東北地震をショックドクトリンとして現れてきたものである.日本の個別問題と世界大の情勢は深く関係している.
 これからどのように進むのか.日本近代の教育は,人に根拠を問うことを教えず,言われたことをそのまま受け入れるようにしむけてきた.そして,この近代そのものの行きづまりの中で,これに対して,自らの現実をふまえて世を問いなおす運動が,いま拡がっている.大企業のためのアベ政治か,多くの国民のための立憲主義政治か,これが今日の主要矛盾である.これは,一人一人に即せば,言われたことをそのまま受け入れるのか,根拠を問い続け能動的に立ち向かうのかということに対応している.いずれが大勢となるのか,今はその分岐点にある.
 アベ政治を倒す道は,一人一人がなし得ることをすることによってしか,拓かれない.アベ政治を終わらせたなら,対米関係をどうするのかが,次の主要な矛盾となるのではないか.そこまでを見すえて,まずアベ政治打倒である.そう考えて,この日も梅田に立っていた.
 もう一度彼らに会えるかどうかはわからないが,同じこの日本で生きているのだ.そう考えて,彼らに学んだことをいまに生かしてゆきたい.写真は夙川べりの彼岸花,21日撮影.