はや六月

 今日は定例の梅田解放区の日である.この場所は公共の場所で,何人かで歌っているいる若者達もいれば,梅田解放区のように皆で集まって思いを語りドラムをたたくという人もいる.言いたいことのある人はここに来て喋ろうと呼びかけている.私は,若い人らががんばってるので,ここでは喋らずもっぱら横断幕をもつのを手伝っている.
 いよいよアベ政治の中味が多くの人の知るところとなってきた.アベ政治は農業・牛肉でトランプと合意したが,それは日本の農業を産業として成りたたなくするものであるがゆえに,その発表は夏の参議院選挙後に行う.これをトランプは得意げに喋った.日本の農業を潰し,アメリカ資本の企業農業にすべて捧げる内容が,すでに合意されている.
 これまでアベノミクスがうまくいっているかのように偽造するため,国民の金融資産を株式市場などに投げ込んできた.つまりは国際金融資本に年金基金を捧げてきた.そのことも明らかになった.数年のうちに日本の年金の破綻が現実化する.
 今日一緒に語っていた若者らの賃金は少なく生活は苦しい.さらに,この世代の多くのものの老後は悲惨である.年金がかけられないという人も多い.近代日本が,衰退国家,失敗国家となり果ててゆくことが避けられない.これは,もう明らかである.これらのことは,『分水嶺にある近代日本』にも書いていたが,それがこのように早く現実になるとは,実際思いもよらなかった.
 しかし,報道はされす,分析もなされず,テレビも新聞も,現実を見ないように,見せないように機能している.しかし報道機関の姿勢はフランスも同じである.ではなぜ日本で人々は怒らないのか.この政治を変えるために立ちあがらないのか.日本の方がフランスよりずっとひどい状況なのに,とにかくもフランス人は立ち上がり,日本人は黙って耐える.そこに竹内好が「一木一草に天皇制がある」という天皇制があると言うのはそのとおりである.この間の代替わりの喧噪を見れば,人々を自分で考えないようにしむけ,そしてそのうえで国民を統合するために,この制度はたしかに機能している.
 その事実をふまえて,しかし,多数の意識をどこでどうして動かしてゆくのか.そのことを考えざるを得ない.目の前を通り過ぎる若者は,自分たちの将来をどのように考えているのか.

 ここに書くことで考えたいことも多くあるのだが,明日朝は自治会で市から委託された地元の公園の掃除.七時半までに倉庫の鍵を開け箒などを並べるので,今夜はここまで.

暑い五月

 今年の五月は暑い.天気はいいのだが,関西は五月晴れのさわやかさがない.

 昨日は定例の梅田解放区の日.若い人らががんばってるので横断幕をもつのを手伝ってきた.前に紹介したTさんも,メールをもらっていたが,梅田の西側のヨドバシ前での行動を終えて、東側のこちらに来られていた.他の人がとった当日の写真がここにある.
 維新の会の関係者の暴言が止まらない.発言した当時は日本維新の会に属しその後除名された丸山穂高衆議院議員は,北方四島ビザなし交流の訪問団の一員として国後島を訪問した五月十一日の夜,報道機関の訪問団員への取材に酒に酔って割って入り「戦争しないとどうしようもなくないですか?」などと発言した.その後,週刊誌ではさらにいろいろ書かれている.そして,とうとう衆議院議院運営委員会が24日,理事会に出席して事情を説明するよう求めたところ,丸山は「適応障害」の診断書で欠席した.
 また維新の会が次の参院選で公認する予定の長谷川豊氏は、今年二月の講演会で「日本には江戸時代にあまりよくない歴史がありました。士農工商の下に、穢多・非人、人間以下の存在がいると。でも、人間以下と設定された人たちも、性欲などがあります。当然、乱暴なども働きます」「プロなんだから、犯罪の」などと発言していたことが最近わかった.最初は居直っていたが,部落解放同盟中央本部が抗議し,それから謝罪した.

 かつてドイツでナチスが権力を握ったのは、ドイツの中間層が,第一次大戦で失ったものを戦争をしてでも取りかえそうとする意識をもち、さらにそこにユダヤ人への差別意識が結びついたからだ.ナチスはそれを巧みにもちいて扇動し,議会を牛耳り非常事態法から独裁へと進んだ.
 今回の二人の発言は,かつてのナチスを連想させる.大阪においては,これらの発言を生み出した大阪維新の会が第一の政治勢力である.そして,アベ政治そのものもまたこの二つの発言の思想を行動に移してきた.

 このまま行けば,歴史は二度くりかえすの言葉どおりになる.ナチスドイツとアベ政治.一度目は悲劇として,二度目は歴史の笑いものとして.そう考えるなら,いままさに日本は大きな分岐点にあると言わざるをえない.一月に「分水嶺にある近代日本」に書いたことが,半年も経たないうちにこういう形で具体化してゆくとは思いもよらなかった.この先,衆参同日選挙ともなれば議会はこのようなナチスのたぐいの勢力が圧倒的多数となる.そしてその先にあるのは二度目のヒトラーである.そしてそれに続いての大きな破局,再びの八月十五日である.この日本はそこまでゆかねば変わらないのかとも思う.しかしそれでは犠牲が大きすぎる.かつてのドイツを教訓にして,同じことをくりかえさぬ道はないのかと思う.

 23日の木曜日は,大阪は茨木市にある人民新聞の編集室で,杉村さんと拙著『神道新論』をもとに対談した.これを編集長が録音し記録して,いずれ人民新聞の記事になる.自分ではこう書いているつもりが人はこう読んでいるというようなこともいくつかあり,対話していろいろ展開せねばならないところも見えてきた.根のある変革ということが基本的な問題意識である.これは伝わり共有されただろう.こういう対話がこちらの求めることであったので,ようやくの,一歩の前進であった.
 この数日,仕事の合間に少しずつ考えが育っている.どのような形にまとめられるのかはまだまったく見えないが,青空学園のなかで書きためはじめなければならない.この時代にこちらができることはしておきたい.

5月31日追伸:自分の記録のために書いておく。

 もう五月も終わりである.五月の後半は多くの人に会った.

 16日は,教師になって最初に担任したときの教え子に40年以上経て再会した.
 17日は,1966年入学の京大理学部のフランス語のクラス1組のクラス会.
 23日は,フランス現代思想の杉村さんと拙著について人民新聞の編集室で対談.編集長がいずれ記事にしてくれるだろう.杉村さんには,拙著をもっと展開するべきとの激励を受けた.
 28日は,高校とS1の同級で17日は欠席した由良さんと会った.彼が京都府委員長を務める党派の,京都・吉祥院にある事務所で会った.三年ぶりというところか.
 30日は,同業のM師ら数人と梅田で会食.私と二人で,ある予備校の模試も作っているので,仕事の話が半分.あとは飲み会であった.ビール,泡盛,日本酒と三軒はしごした.

 いずれも,私の人生にとって大きなそして深い意味をもつ人らばかりであった.本当にいろいろ考えさせられる.

人に会う

 この数日,いろいろ人に会った.以下はそのうちの二件である.

 17日は昔の理学部1組の同窓会であった.世話してくれる人がいて,もうずいぶん前からやっているのだが,私が参加したのは2016年だった.「S1会」のその経過を書いている.そして次は昨年の節分の日で「S1会と祇園白川,吉田神社」に書いた.みなそれぞれに働いてきて,今は時間の余裕のある人らなのだが,どこか面影があり懐かしい.
 会場が山ばな平八という,安土桃山の時代から続く日本料理の店だった.写真の後ろの門も,その頃からのものだそうである.この店はサバ街道ともいわれる若狭街道に面していて,街道をとおる人らのためのお茶屋としてはじまったのだそうだ.白川通のもう一つ西側で松ヶ崎というところ,もうすぐ岩倉という京都盆地の北の山麓という地である.このあたりまで来るのははじめてであった.
 終わってから皆で,大黒天まで歩いた.この裏山が,五山送り火のうち,「松ヶ崎妙法」の「法」の山である.天気も良く,しばし散策して戻ってきた.

 16日には,40年ぶりぐらいになるか,昔の教え子に会った.一度どこかで出会って声をかけられたことがあるようだが,こちらは覚えていない.もうながく夙川でイタリア料理店をやっていて,昨年の「還暦同窓会」のときも,店があるからと来なかった人である.この日こちらは,子供の居場所づくりをやってるいくつかのNPOの集まりが近くであり,私も参加したのでその帰りに2人で行ったのだ.
 高校時代のことをいろいろ聞かせてくれた.私は当時「フランケン」というあだ名で生徒から呼ばれていたのだが,彼女も「フランケンの授業は云々」と,こちらのやる授業やクラスの運営などをいろいろ裏で支えてくれていた話も聞かされた.修学旅行のときのことなど,はじめて聞いた話も多かった.自分がこの名で呼ばれていたのも忘れていたが,ごく自然に彼女の口から出て思い出した.親の方針に反抗して市芦に来て,また反抗してある短大の家政科を出,その後イタリア料理店を始めた.もう孫もいる.
 このクラスは,私がはじめて担任したクラスで,3年間組替もなかったので,互いによく知っている.私にとっては,高校生に数学を教えるという仕事を経験し,それは以後の礎となった.このときの経験が「量と数」の土台となり,青空学園数学科もある意味では,ここにはじまったのだ.
 一度この店にゆきたいと思いながらこれまで機会なく,ようやくに実現した次第であった.うまいイタリア料理であった.肉もいいし,パスタも良かった.白ワインによくあった.あの頃はこちらが26歳で彼らが15歳であったが,ここまで来ればあまり変わらない.また来るよということで店を出た.

 人との出会いと,自分のなかでそのことから学ぶことと,それが人生である.今週は,杉村さんと自著についての対談も予定している.仕事も日程に追われて忙しいし,地元の用事もいろいろある.一つ一つやってゆきたい.

五月の大阪

 題をいろいろ変えてしまう.「五月の大阪」は,1968年「五月のパリ」の連想である.しかし現実はいろいろな意味でずいぶんと違う.

 11日は定例の梅田解放区の日である.前回の4月27日は地元自治会の総会があり,いけなかった.久しぶりという感じで梅田にいってきた.この土曜日は夜にもいろいろ集会もあり,途中でそこにいく人もあり,参加者は多くなかったが,みな元気にやっていた.私の写真はついたところでのものだが,Yumiさんの報告には,写真もいろいろある.彼女は英国に長くいたそうで,立ち止まって聞いていたアメリカ青年と流暢に話していた.

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 森友学園問題を考える会の人も来ていた.森友疑獄も加計疑獄も終わっていない.首相が収賄と便宜提供の当事者であることが白日の下に曝されても,捜査すらなされない.その安倍をかばうため,公文書を隠蔽・偽造した.基本的な統計も改ざんし,賃金上昇と景気拡大を演出する.実際の賃金は下がり続け,原発は再稼働されてゆく.山本太郎さんも言っているが,子供の7人に1人が貧困,一人暮らしの女性、3人に1人が貧困,である.
 東洋の島国日本は,国際資本に国家と国民を捧げ,さらに核汚染にさらされ,人々は困窮してゆく.この現実は悲惨である.そして,「代替わり」の諸行事とやらで騒ぎたて,現実を見ないようにしむけ,首相の犯罪を「平成」にあった過去のこととして塗り隠してゆく.
 目の前を通り過ぎる若者たちは何を考えているのだろう.同じ若者の語ることを,どのように聞いているのだろう.連休が終わり,この間の騒動を通して,前を通る若者に表情がいっそう無くなったように感じたのは,思い過ごしであろうか.それにしても,なぜ人々は怒らないのか.これはまさに近代日本の教育の結果ではないのか.
 私は,根なし草近代のなれの果てが,今のアベ政治であると考えている.ではここからの活路は,あるのだろうか.こちらができることはしておこうという思いもあって『神道新論』を表したのだが,しかし,世を変えてゆくことは厳しい道である.

f:id:nankai:20190511220512j:plain そんななかでも,七日火曜日,京都で仕事の日の鴨川の七条大橋を下がったところから北に見た叡山や如意ヶ嶽,東山の峰.新緑となる前の黄緑色の木々が東山に目立つ.空は雲一つなく,余りに印象的であった.美しき五月の京都,である.
 しかしこの光景が印象的であればあるほど,関電の高浜原発美浜原発大飯原発はここから遠いものでも100km以内にある.もしそこで核惨事が起これば,この京都の街もまた核汚染にさらされることを思わずにはいられない.なにより琵琶湖の鮒寿司が汚染される.宇治川もまた汚染される.それが福島では現実なのだ.
 原発はもう発電としては不要である.四国電力自然エネルギー供給割合がピーク時に電力需要に対して最大100%以上に達し,1日平均でも52%に達している.九州電力でも,ピーク時に太陽光発電が電力需要の81%に達し、自然エネルギー比率では最大96%に達しているそうだ.資料は環境エネルギー政策研究所より.
 関電も原発の電気は必要ない.原発を動かしているのは,アメリカの核戦略に従属した日本政治である.愚かである.
 そして大阪維新の会である.戦後の自民党は,資本主義が拡大してゆく段階での資本家の党である.そしてこの地球の有限性のゆえに拡大を旨とする資本主義がもはや終焉の段階にに至ったとき,そこに現れたのが,全国政治ではアベ政治であり,大阪では維新の会であった.大阪都構想を表看板に身を切る改革などといいながら,その実はカジノ誘致であり万博誘致である.橋本前市長は改憲を言いはじめている.それもまた,旧来の自民党との違いを際立たせるためである.そしてこの維新が各市議会選挙などを含めて上位を占める.

 国際的にも,維新のような政党がそれぞれのところで出てきている.移民問題が焦点である欧米ではこれが排外主義と結びつき,勢力を伸ばす.
 資本主義が市場を拡大することができなくなったとき,それでも儲けるのは戦争であり,武器産業である.アベ政治は,国内をどれだけ貧困化させても, まさにこの国際的な武器産業にすべてを捧げる政治である.
 しかし戦争はここからの活路とはなり得ない.ではどのような道があるのか.もっとわかりやすく,資本主義の拡大ではなく,ものの循環する世への道を提示してゆくことが必要だ.横断幕をもち道ゆく人々を眺めながら,それを痛感した.

2019憲法集会

 今日の午後,神戸まで出かけてきた.神戸の総掛かり行動実行委員会の「戦争させない,9条壊すな 5.3兵庫憲法集会」に出るためである.この集会は昨年も出かけた.そのときのことは「2018憲法集会」にある.
 去年はもとの同僚に出会った.今年は、梅田解放区で出会う人や私の地元の人,西宮の市会議員などに出会い,そして帰り道では解放教育を一緒にやっていた伊丹の元教員にも会い,電車で一緒に帰ってきた.
 集会は,川口真由美さんのミニコンサートではじまる.この人の歌はこれまでも何回か聞いてきたが,確かにひきつけられる.そして,落合恵子さんの講演,というか語りがあった.それからデモ行進.私は用事もありデモには加わらず駅に向かったのだが,途中で伊丹の元教員が歩いているのに出会った.どうしたのと聞くと少し足を痛めているということで,彼もデモには加わらず戻っている.一緒に阪急電車に乗り,中でいろいろ話した.彼とは梅田解放区でも出会ったが,話ができたのははじめてであった.私が先に乗り換えるので,握手をして別れてきた.
 今年は去年よりも参加者も多かったと思う.子連れの若い人が幾組かいたのは良かった.集会公園の横で走り回る子供もいた.私はこういう集会などの場でいろいろ考える.体を動かして考えるのがこちらの方法なので,時間があるときは出かけてゆく.

 私の第九条に対する考え方は,もう15年前のものだが「日本国憲法第九条こそわれわれの自主憲法である」にある.今はもう少し憲法そのものへの考え方も深めているが,このように考えてきたことはまちがいない.そして,そのうえにこれまで生きてきたこともまちがいない.これには英訳「Japanese Constitution Article 9 is the our own Constitution. 」も作り,ここにおいてきたが,読んだ人はいるのだろうか.

 これをさがしている途中で,「『竹内好という問い』を読む」を書いているのに気づいた.もう14年前にこのように考えていたのだ.これは私が日本語科でいろいろやっている途中のものだ.このときからまた時間が経ち,ようやく人に語れるようになったかと考え,『神道新論』を表したのだ.拙著の後書きで「原稿を出版社に送ったとき、この一冊を書くのに二十年かかった、と思った。」と書いたが,実際そうなのだ.自分のこの一文に再会したのも、今日体を動かしたからだ.
 仕事もたまり,地元の諸々の準備もしなければならないが,半日,貴重な時間であった.

 夕方,天皇が外来のものであることについてそれを文献から検証している小林惠子さんの本を整理した.先日書いたことの根拠となる文献である.このような研究を日本の歴史学会は無視する.「天皇は内発のものであり万世一系である」という立場と矛盾するからである.それだけにぜひ読んでほしい.

小林惠子

倭王たちの七世紀―天皇制初発と謎の倭王現代思潮社、1991
『三人の神武』文藝春秋社、1994
『広開土王と「倭の五王」』文藝春秋社、1994
『解読「謎の四世紀」』文藝春秋社、1995
『興亡古代史―東アジアの覇権争奪1000年』文藝春秋社、1998
『本当は怖ろしい万葉集―歌が告発する血塗られた古代史』 (祥伝社黄金文庫)、2007
『古代倭王の正体 海を越えてきた覇王たちの興亡』(祥伝社新書)、2016

四月から五月に

 昨日は京都で仕事であった.少し早く家を出て阪急電車四条河原町まで行き,そこから高瀬川沿いに南へ歩いた.時間がとれるときは,運動を兼ねて京都の街を歩くようにしている.
 高瀬川は,江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である.京都の街のなかでは新しいのであるが,街に良くなじみ,季節それぞれの趣がある.鴨川と河原町通りの間にこのような水路があるのは驚きでもある.
 七条付近まで来ると少し曲がって鴨川沿いにでて歩く.このあたりは鴨川沿いに道がある.歩きながら北にふり向くと如意ヶ嶽などもみえる.京都である.京都の街はまったく自分の体の一部のような気持ちである.
 それから昔の崇仁小学校のまわりを歩く.このあたりも再開発で,戦後の街の趣がなくなってゆく.今は校舎が残っているが2020年の3月でなくなるとのこと.少し校内も歩く.二宮尊徳の像もある.昔の自分の小学校にもあった.明治以降の国家主義教育の名残りではあるのだが,懐かしくもある.これもいずれ破棄されるのだろう.それから仕事場へ行く.
 そして仕事を終え,京都駅前の塩小路通りにある行きつけの店にゆく.ここに来るようになってもう20年以上になるだろうか.店に入ると,数年前に店を辞めていた前の店長がきておられた.あの人のつくるものは味わい深かったなあと思いながら店にいったので,再会できて驚いた.ここも人手不足で,これからも時々きて手伝うとのこと.私より年上だが,お互いもう少し働きましょうかという話しになった.少し暑くなったら鱧のおとしもはじめるとのこと.楽しみである.ぜいたくな楽しみではあるのは承知しているが,あの店長の一品で独り飲むのはやめがたい.
 世は連休だの代替わりだのと騒々しい.昨日から今日は平成から令和であるそうだが,四月から五月であることに変わりはない.こちらはいつもの通り授業もあり,そして今度の土曜は代講授業である.この仕事をして四半世紀であるが,休日はない.休日を休みにすると教室ごとの進度が違ってしまい,振替授業が受けられなくなるのだ.先週の土曜は梅田解放区の日であったが,こちらは地元自治会の総会であった.このところ,問題作成とその校正なども結構あり,なにかとすることが多い.

 平成が終わったということで,いろいろ報道がなされたようだが,「テレビ各局の“平成事件振り返り”から「福島原発事故」が消えた! 広告漬けと政権忖度で原発事故をなかったことに」の記事もあるように,福島の原発事故が隠されている.なかったことのようにされている.しかし,事実として,東電核惨事は平成期の最も大きなできごとである.『神道新論』に次のように書いたが,まさにこれは,昭和期のあの敗戦につぐ,平成期に起こった近代日本の敗北そのものである.

 しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさにいま広がっている。この意味でこれは三重の人災、二重の犯罪である。
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は、かつての十五年戦争の敗北につぐ近代日本の第二の敗北である。

 さて今日行われている大嘗祭の起源について,根拠となる文献などもあげねばならないのだが,『神道新論』ではおよそ次のように書いた.

 長い時間が流れ、後漢の終わりころから再び動乱期となった大陸から、天皇家の祖先がやってきた。弥生時代末期から古墳時代の日本列島は戦乱の時代であった。そのなかで日本列島を武力統一し、列島中央部を支配したのが今日の天皇家の祖先である。
 南方と北方の二つの系統の支配がいきかい、交替し、唐の時代になって、日本列島もまた北方系の支配が確立した。それが、奈良盆地に成立した王権である。黄河文明に起源をもつ遊牧系の民族が日本列島の支配権を確立することで成立した。
 こうして成立した王権は、その支配権が確立したころ、日本列島に内発した王権であるとの虚構のもとに、古代日本の各地の王権の歴史を簒奪し「日本書紀」を書き出した。そしてそれと矛盾する多くの文書を焚書にした。万世一系天皇家という虚構もまた、この過程で生みだされた。
 そして、彼らは農業協働体がその維持発展のためにおこなってきたさまざまの習俗を取り込み、あたかも天皇家がそれを代表するかのように振舞うことで支配の権威を打ち立てた。その典型は「すめらみこともち」として天皇を位置づけることであった。固有の言葉で語られることを神から受け取るものとしての天皇、である。
 そして大嘗祭である。大嘗祭のもととなる祭そのものは、収穫の感謝の祭としてそれぞれの協働体でおこなわれてきた。当時の基幹の産業は農業である。天皇家は、農業の発展を願う人民の心を取り込むため、農業協働体のなかでおこなわれてきた習俗としての祭りを新嘗祭大嘗祭として取り込んだ。こうして天皇家の正統性と権威づけを演じ出してきた。
 天皇は神の言葉である「みこと(御言)」を聴くものであり、列島の習俗が天皇に源をもち、天皇が日本文化を体現するというこれらのことは、虚構である。

 このあり方はそのまま今日に続いている.いやむしろ今日,この虚構のうえに,アベ政治を糊塗するために,この天皇制はよりいっそう強く用いられている.「天皇の政治利用」とも言えるし,アベ政府のやっていることはまさにそうなのだが,天皇制とはもともとそういうものだとも言える.
 このような事実をふまえ,そのうえでアベ政治が行きづまるときに,それを越えてゆくために,さらにその基層にあることごとを掘り下げ,これからの人の立つべき根拠をまとめている.それが,まことの神道である.そしてこれは,明治期に国家神道という真逆のものに置きかえられたのである.『神道新論』の意味をもう少し展開して,語りあうための準備である.

国が滅びるとき

 国が滅びるとき,などといえば,「どこのこと?」ときかれるかもしれない.いや,この足元の日本だよと答えれば,「何を言っているのか」と思われる人も多いだろう.その意味は,この国が人の国ではなくなるということである.かつて阪神淡路大震災のあとの国家の非人間性を告発した小田実さんは同じ西宮の市民だったが,『これは「人間」の国か』を表した.東北の大地震と東電の核惨事のあと,再び同じことがを言わねばならない.それを言っている雁屋哲さんのブログを後で引用する.

 さて,桜もほぼ散り,これから新緑の時節となってゆく.こうやってこの列島では季節がめぐり,そのなかで縄文の時代から弥生の時代,そして今へと人々は日々の生活をしてきた.
 そう思うと,その次に出てくるのが,では福島はどうなのだ.季節はめぐると思いを寄せてゆくことができるのか.また,遠からず南海トラフが動くが,そのとき,西日本の原発で何かあれば,ここもまた変わってしまう.大飯原発,高浜原発などの福井県にある関西電力原発が惨事を起こせば琵琶湖も滅びる.季節の変化を感じとりながら,同時にこんなことも考えてしまう.私は,『神道新論』の最後の節「神道の教え」で

第三に、ものみな共生しなければならない。いのちあるものは、互いを敬い大切にしなければならない。生きとし生けるものを大切にせよ。無言で立つ木々のことを聴け。金儲けを第一に現代の技術で動かすかぎり、核発電所はかならずいのちを侵す。すべからく運転を停止し、後の処理に知恵を絞れ。

と書いたが,二週間前の関西での議会選挙や首長選挙を見ていると,まだまだこれが行われるような世ではないことを確認させられる.日曜日の市議選がどうなるかも注目しているが,立候補しているもの達の顔ぶれを見ると,大勢は変わらない.そのなかで一人,不登校の子をかかえ苦労した親が立候補した.これを応援している.地元の駅でのビラ配布も手伝った.

追伸:22日,その人が 当選した! それでも議会のなかでは少数派である.西宮の行政や議会はまったく古い.これから苦労されるだろう.いろいろと力をあわせてゆきたい.そして豊中の木村議員も 当選した! 朝からこれを確認して一息ついた次第.

 このような今の日本に関して重要な言葉に出会ったので,ここに書いておきたい.またこれに係わる私の考えを,順次書き足してゆきたい.

 それは,漫画家の雁屋哲さんのブログ「雁屋哲の今日もまた」の最新の「奇怪なこと」である.彼はそれを次の言葉で締めくくっておられる。

一つの国が滅びるときには必ずおなじことが起こります。

支配階級の腐敗と傲慢。
政治道徳の退廃。
社会全体の無気力。
社会全体の支配階級の不正をただす勇気の喪失。
同時に、不正と知りながら支配階級に対する社会全体の隷従、媚び、へつらい。
経済の破綻による社会全体の自信喪失。

これは、今の日本にぴったりと当てはまります。
私は社会は良い方向に進んでいくものだと思っていました。
まさか、日本と言う国が駄目になっていくのを自分の目で見ることになるとは思いませんでした。
一番悲しいのは、腐敗した支配者を糾弾することはせず、逆に支配者にとっては不都合な真実を語る人間を、つまはじきする日本の社会の姿です。

このブログに書かれていることはぜひ読み通してほしい.まさにそこに書かれているようなことが今の日本のアベ政治である.

 私はいずれこのようなときが来のではないかと考えてきた.それは『神道新論』の序章で書いたが,鶴見俊輔さんの次の言葉にもあるように,近代の日本語は人が考える言葉ではない,こんな言葉でやっていてはどこかで破綻すると思わざるをえなかった.私が,社会運動をしながら,同時に自らの言葉にこだわるものであったから,このように考えたのだ.

 日本の知識人は欧米の学術をそのまま直訳していて、日本語のように見えますが、実はヨーロッパ語です。それをよくわかっていないのです。そういうものとして操作しているので、根がないのです。しかし、日本語そのものは二千年の長さをもっています。万葉集から風土記から来ている大変なものなのです。万葉集を読んで聞いてわかるのですから。イギリス語、フランス語より深い歴史をもっています。今もそれは生きているのです。この古い言語の意味に、さらにくっついている魑魅魍魎も全部引き受けて、何とか交換する場をつくりたい、それが竹内好の言語の理想です。なぜ、それを生かさないのでしょうか。そこに日本の知識人が行っている平和運動とか、反戦運動がすぐにあがってしまう理由がある、という感じがします。

 それが世界的な資本主義のゆきづまりの中で,福島の核惨事をショックドクトリンとして現実化した.根なし草言葉による根なし草近代,そのなれの果てとしての現代日本である.これらのことは「分水嶺にある近代日本」 を見てほしい. 
 そして,このなれの果ての地から,それでも立ちあがってゆこうとするためには,考える言葉を耕し,言葉に蓄えられた智慧を拓かねばならない.その思いから書き表したのが『神道新論』であった.
 現代において国が滅びるとはどうのような途をたどるのか,それを見定め言葉にしておきたいと考えてきた.人でなしの国,その認識がこの20年のこちらの基礎作業の出発点であった.これからどうなってゆくかも見定めたい.しかしまず,さまざまの言論弾圧が起こるであろう.それに対抗するためには,生活の場からの横のつながりが必要である.「分水嶺にある近代日本」に編集部がつけてくれた前書きが,

資本主義の価値観とは異なる、別の生きる道を模索する人々の運動が、裾野を拡げている。物質的な豊かさを求めるのではなく、人の輝きを奪い尊厳を踏みにじる、そのことへの怒りが人々を突き動かし、世を下から動かしてゆく。そういう時代がはじまっている。

であった.まさにこのような場を拡げ深めてゆかねばならない.その意味では,生きづらさを逆にテコにしてつながるものの力が新しい議員を生み出した経験は,大切にしたい.

 いろいろ考えることを整理し,もう少し準備をして,五月の後半には杉村さんとの対談ができればと考えている.