夏の終わりに

 もう8月も終わりである.24日は地元のお地蔵様の地蔵盆であった.私も世話人会に入れてもらっているので,朝の7時半からテント張りなどの設営して,夜の6時に片付をした.世話人が交代で坐り,お参りに来た子供らにお菓子をあげる.この町内にただ一つあるお地蔵様である.5年前にも書いた.「夏の終わりに」,題名まで同じである.
 この祠はかつてはいまある水路の横にあったのだが,5年前より後に,この土地が開発業者に売られてそこにいられなくなり,市が認めてくれたので,横の水路の上に移った.阪急の駅にも近く住宅地としてすべて開発され,お地蔵様の居場所がここしかなくなったのだ.
 私ともう一人の世話人で手分けして,私は週に4日,朝6時半に犬を連れてこの地蔵様の祠の扉を開けにいく.お地蔵様のおかげで朝早く起きるようになった.
 今年のお地蔵様は赤いマスクをしておられた.今年は小学校校区の夏祭りもなく,近隣地域の夏の行事はこれ一つである.

 地蔵盆は京都で江戸時代から行われてきた.私の宇治の実家は,平等院から奈良に続く旧街道にあったが,そこから西30mに一つ,東50mに二つのお地蔵様があった.宇治のような古い街はあちこちにお地蔵様があるところである.近所の地蔵盆では,地元の洋裁学校の和室を借りて子供らが輪になって坐り,数珠廻しなどもしていた.小学生の頃,地蔵盆が終わると夏休みがもう終わりだと思ったのを覚えている.子どもの季節感にも大切な行事である.
 いま住んでいるところは戦後開発された住宅街で,このお地蔵様の先代は小川に寝ておられたそうである.それをいただいてきて,この新しい地蔵様を作り,坊さんに来てもらって魂をこちらに移してもらったそうである.もうずいぶん昔のことである.
 こういう行事は大切にして,次の世代にひきついでゆかねばと思う.次の写真は広大な満池谷墓地の東の方の夕焼けに染まる入道雲.28日午後6時15分頃撮影.

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 そんなこんなで夏も終わってゆく.
 この夏はいろいろと考えることができた.自分のやっている仕事の意味を見直し,やはり青空学園が自分のいちばん大切な場であることを確認した.青空学園数学科があることの意義についても確認と納得をし,日本語科の日常活動についてもいろいろ考えた.
 パソコンについてもいろいろ手を加えてた.所詮は道具なのだが,考えることと一体なので,手を加えた.

 これらを踏まえて,これからなしうることを積みあげてゆきたい.明日からは仕事である.仕事といっても,地元の仕事,青空学園の仕事,問題づくりの下準備,などなどいろいろある.しばらくそれらから離れていた.それがまたもとに戻ってゆくということだ.
 それにしても,近代日本がここまで没落するとはお地蔵様も思いもよらなかっただろう.これからどうしてゆけばよいのか,たずねてみたいものである.

 

没落を生きる

 私は日本の没落を指摘し続けてきた.東アジアにおける日本の没落,世界における日本の没落,それはまさに現前の歴史である.政治,経済,技術,社会規範,すべての分野で今日の日本はまさに悲惨な有様である.そしてこの現実をそれと知るものも少ない.
 いまの日本には,人であることを否定する国家と権力に対して闘うさまざまの運動がある.しかし,この腐敗した政権に対して,人々が怒りをもって立ちあがりこれを倒すために行動するということが起こらない.これは,アベ政治の悲惨さ以上に悲劇的な現実であり,没落の実相である.
 後世,歴史は,日本は戦後政治的にも経済的にも拡大してきたが,アベ政治の7年間で,大きく没落をはじめた,と記すだろう.いまわれわれは後にそのように言われる時代を生きているのである.

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 それでもできることはやろうと,定例の梅田解放区に参加してきた.この日は大阪北の中津の公園に集まり,梅田までデモである.そして東梅田でいつものようにトランペットをならしギターを弾いて,街頭で語る.道をはさんだ両側でやる.アベ政治を暴き,吉村・松井の維新の化けの皮を剥いで,道ゆく人に語りかける.
 この間自分のことで闘ってきた人が語っていた.行動しなければ何も変えることはできない.行動し闘えば必ず変えることができる.その通りだと思う.
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 この日も韓国KBSのいつもの人が取材していた.彼の取材で,この梅田での行動だけではなく,京都市役所前の座り込みやデモ,授業料無償化から排除されている朝鮮学校をめぐる闘い,大阪・釜ヶ崎の野宿者の闘いなどがすでに韓国で報道されている.
 いまの日本の現実が隣国に伝わることはいいことだ.
 私はいつものように一緒に立つ.若者からわれわれのような老人までが一緒にやることには意味があると思う.さまざまの運動の人が横に繋がることこそいちばん大切である.その裾野は広い.自分の生きている場からこの裾野の端にはいたいと思う.終わってから何人かと一緒に食事をして,戻ってきた.

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 われわれは今没落する日本において,その没落の実相を凝視し,それと向きあって生きている.このような行動も,没落する国のなかで,人としての矜持を失わないためのものであり,いまはまったく小さくても,いつか大きな炎となる.私はちょうど二年前あるところに次の一文を寄せた.

 これだけ現前の政治が腐敗しているのに、なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのだ。議会政治でも、立憲民主党などは、国政では野党だが、地方では保守政治家と連携するところが多く、地方と国政を一体に、既成の政治を打破するという所からほど遠い。
 二年前、韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が、ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし、ついに大統領弾劾が成立して罷免した。その力が文在寅大統領を生み出した。今日の南北対話、米朝対話は、この「ろうそく革命」の結果である。
 韓国には、かつての民主化闘争があり、さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある。対して日本は、非西洋にあって最初に近代資本主義に入り、帝国主義侵略と支配を続け、敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた。アベ政治はそのなれの果てである。
 これに対抗する力はあまりにも弱い。しかしこれは歴史の産物である。絶望することなく、言うべきことを言い、街頭に出よう。一人一人の行動こそが歴史を創る。

  この思いは今も変わらない.近代という段階には二つの面がある.資本主義の経済拡大と,法による社会規範の実現である.アベ政治はこの社会的規範をすべて崩した.そして経済もまた拡大どころか縮小してきている.
 なぜこうなったのか.日本の近代は根なし草であった.根なし草近代の成れの果てがアベ政治であるということも繰り返し言ってきた.
 このとき,根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできないことを確認しなければならない.私はそう考え,青空学園日本語科を置いて言葉を軸に根なし草近代を越える基礎作業をおこなってきた.
 だが、日常活動としての基礎作業とは何か.そしてそれはできているのか.これを考えること自体が日常作業かも知れない.それを含めて考えねばならない.

 8月17日からの1週間,このようなことも考えてきた.いろいろ考えることができた.しかし,何ごともわかったとは言えない段階である.盆に書いたように,どれが自分の一番の仕事かを考え,青空学園数学科こそがそれであることに納得した.そしてこの数日,数学科の制作に時間をかけた.これが数学科の日常活動である.
 昨日,散歩しながら思った.では,日本語科の日常活動とは何であるのか.こうして言葉を綴ること自体が日常活動なのか.根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできないとして,ではこの近代を越えてゆくために何をしなければならないのか.
 いまわれわれは,資本主義の終焉期に起こる新たなファシズム,これを許すのか否かの岐路にある.このファシズムは,経済に発展の余地があった時代のどの方向でこれを発展させるのかという段階における,社会主義ファシズム化の対立とは,条件が異なっている.この段階におけるファシズムとの闘い,これがいまの歴史の課題である.
 街頭に立って,このことを考え続けていた.

敗戦の日に

 8月15日は,日本軍国主義が連合国に敗北した日である.しかし戦後75年,この日を「敗戦の日」とは言わず「終戦の日」と言ってきた.それはなぜか.私は『神道新論』の中で次のように書いた.ここにその理由がある.

 戦後政治は国家神道を根底から見直すことがないままにはじまった。それに対応して、戦争責任もまた内部から問われることなく、明治維新ののちに成立した官僚制などの基礎組織はそのまま残った。
 そして、あれだけ「鬼畜米英を撃て」と国民を動員しておきながら、戦後は一転、対米隷属の政治となる。対米従属のもと、アメリカの核戦略の一環として地震列島に原発をいくつも作り、ついに福島原発の核惨事に至るのである。これは、非西洋にあって最初に近代化をとげた日本の、その近代の一つの帰結であった。

 つまり,「敗戦」と言わず「終戦」と言うのは,戦前と戦後が連続していること暗に主張するためであり,あの戦争を遂行したものたちが戦争責任からのがれるためである.「戦争に負けたのではない,終わったのだ.誰が終わらせたのだ.昭和天皇だ」と戦後に続く論理である.東京裁判でも,ごく一部のものにだけ責任をとらせ,多くのものは対米従属の手先としてのこされた.その末裔の一人が安倍であり,天皇もまたそうである.
 言葉による曖昧化で言えば,「戦没者」もそうである.「戦死者」でなければならない.徴兵されそして戦場で死んだのである.「死」をとおして戦争の事実と向きあうことを避けさせるために戦没と言うのだ.
 この戦後処理の無責任に強い怒りをもっていたのが小田実であった.私はそのことを『震災以降』のなかの「昭和天皇」に書いている.戦後75年の今年,このような怒りの声は新聞やテレビではまったく聞かれない.

 そのなかで,今日,朝から大阪京橋で街頭宣伝していた園君たちは次のように呼びかけている.

最大の戦争犯罪者、天皇による12時の黙祷反対!
真の反省とは、アジア、沖縄、アイヌへの植民地支配、侵略戦争への謝罪と賠償、全責任者の処罰です!
天皇による追悼式典と全国一斉黙祷、靖国神社での黙祷などは全て欺瞞です。人の死の政治利用です。

  私はその通りであると考える.若い世代からこのような声があがることを嬉しく思う.それに対する今日の日本の現実の悲惨は,明治以来の根なし草近代のそのゆえである.そのことをおさえ,この根なし草近代を越えてゆかねばならないと考えている.
 日本はこれからも没落を続ける.アジアのなかでも,世界のなかでも,もっとも悲惨な国となってゆく.これを越えてゆく道はまことに困難であり,現代世界が直面する困難の日本における困難そのものである. 

 さて,この数日、仕事をしながらいろいろ考える.私がこれまでいろいろなことをやってきたなかで,どれが自分の一番の仕事かを考えるときがあった.そして青空学園数学科こそがそれであることに納得した.自分としては日本語科こそが一番の仕事だとしてきたが,事実はやはり数学科での蓄積である.
 それでこの数日,今年の問題の解答解説を作ったり,その他いろいろ手を入れるのに時間をとった.
 それでも,今日の敗戦の日の様々なことをみると,私が日本語科でやってきたこともまたそれなりの意味があることを確認する.この意味をつかむ人がまだ少ないことは事実である.しかし根なし草近代を越えてゆくために,このような基礎作業は不可欠である.
 自分の仕事の意味をいろいろ考えさせられる敗戦の日であった.

盛夏に「安倍やめろ!」

 昨日は定例の梅田解放区の日.梅田解放区ユースもあり,こちらは若い人らが作ったグループである.私はこの定例の活動に参加することにしている.阪急の梅田駅を降りて歩いて行く.何かこれまでと感覚が違うように思った.4月5月6月7月と今年はいつもとは違う日常であった.その結果であるかも知れないし,いろいろ考えることがあったからかも知れない.
 今日の参加者は多かった.40人近かったように思う.連帯ユニオン・ゼネラル支部・十三市民病院分会の当事者も,彼女が参加した連帯ユニオンの人も来ていた.京都からも何人か来ていた.若い人や十三市民病院の人が順に喋る.
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 日本の戦争責任の問題,原爆を落とされながらアメリカに従属してきた戦後の歴史.自ら参加している辺野古の今とそこでの闘い.関西にあるただ1つの米軍基地,バンドレーダーのある京丹後のことを語る人.福島の今と関東から関西に避難してきている人の思い.若い人らがしっかり考え自分の言葉でしっかり話す.ここには希望がある.
 道の向かいにも人が立つ.われわれの世代のものはもっぱら横断幕をもったり,ただ一緒に立っていたりして,この活動を手伝う.トランペットを吹く人が二人,太鼓を叩く人,ギターを弾く人もいて,マイクの声と音楽が一体になって梅田に響く.

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 むかし京都にいたころ,ベ平連の定例デモに参加して河原町をデモしていたのを思い出す.こういう行動の雰囲気もすこしずつ変わってくるが,しかしこの50年,日本は何も変わっていない.あの頃自分がこう考えていたということを,今若者の語りを聞いて思い起こす.

 今日は長崎に原爆が投下されて75年である.アメリカが最初に核実験を行って75年,広島と長崎に原爆が投下されて以来二千回以上の核爆発が繰り返されてきた.その行きついた果てが福島の惨事である.
 新型コロナウイルスの流行で福島原発事故が過去のものにされてゆく.しかいこの二つは根が同じである.新自由主義資本主義が世界を大きく変えてきた.地震原発を破壊したのは地球の側からの,そしてコロナの蔓延は生態系の側からの,人の営みに対する揺り戻しである.
 原発とこのコロナ蔓延を教訓に,新自由主義に対抗する原理的な理論,新しい人の理論ともいうべきことであるが,それを模索することは歴史の要求であると思う.青空学園で重ねてきた思索を一歩前に進めたいと思いながら,その途がなかなか難しい.これについては,いろいろな人と対話を重ねたいものだと思っている.

 今回の新型コロナウイルスの蔓延によって明らかになったのが,日本の没落である.アジアのなかでも,もう日本は,いわゆる先進国ではないどころか,様々の分野で中国,韓国,台湾に大きく遅れをとり,かぎりなく没落しつつある.
 前から,ゆきつくところまで没落しなければ再生はないと考えてきた.非西洋にあって最初に近代化した日本は,このような道をたどるしかないし,そこにまた普遍的な問題があると考えている.これもまたもっと深めねばならない.

7月の末に

 ようやくに日差しが出てきた.先日「ようやくに梅雨明けか」と書いたが,それからも雨は続いた.7月も末になって,ようやくに夏の日差しである.アブラゼミクマゼミも夏が待ちきれないように鳴く.ところがこの日の夕方,猛烈な夕立になった.梅雨明けの雨かもしれない.
 庭隅のガジュマルも夏を待っている.ガジュマルは,2008年に沖縄に連れて行ってもらって,戻ってきて小さな鉢植えを買った.それが大きくなって3つに鉢分けした.そのうちの1つは霜に当たって枯れてしまった.ガジュマルが寒さに弱いことはよくわかり,寒そうなときは袋をかぶせたり部屋に入れたりしてきた.だからこちらでは沖縄や奄美にあるような大木にはならない.
 沖縄で手に入れたキジムナーの焼きものも,鉢に置いている.ガジュマルの木々に棲む妖怪で,ガジュマルの精霊である.奄美諸島ではケンムンといわれる妖怪伝説があり,これらはいずれも河童ともつながりあるかもしれない.
 ちなみに,私の河童の絵は,宇治川の河童として中学生のころ描いた自画像である.

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 来週から盆のころまではまた授業や地元の会議などが続くが,今週は,夕方1時間犬を連れて歩く以外はあまり出歩かない.

 前回に「歴史の求める課題は,外からこの世を見るのではなく,内から語ることであると思い至った」と書いたが,その課題を考えると,これは1年どころかもっと長い時間が必要と思うようになった.枠組は少しずつ考えはじめたが,これまで書いたものをもとにするのではなく,始めから書く.そうしないとできない.
 『神道新論』の後書きに「原稿を出版社に送ったとき、この一冊を書くのに二十年かかった、と思った」と書いたが,時代の求めることに応えようとすれば,次はもっと時間がかかることだ.
 まず,今という時代が求めるところを取り出す.このあたりからからはじめる.何をなすべきか,それ自体があきらかにされず,共有もされていない.ここに書いて,自分で推敲して,という営みを重ねてゆきたい.
 昔は手書きのノートであった.20年ほど前,それらをPCに打ち込むところからはじめた.それが『神道新論』になってゆく.今回はこの場を使おうと思う.時代とともに道具は変わってゆく.だが,考える軸は変わらない.

 それにしても,今はどのような時代なのか.資本主義の終焉期にあることはまちがいない.しかし,それがどのような道筋をたどるのか,そして次の段階はどのように開かれてゆくのか,それを,現実の分析から導かねばならないが,できていない.
 現象的には,アメリカ国内は分裂し,世界覇権が中国とその同盟国に移り,北欧州は小さくまとまり,そして日本は没落する、とすすむかも知れない.そうであるとしても,その意味は何なのか.これは深く考えなければならない.
 このような一般的な問いかけのなかで,日本の近代は根なし草であったことを問い,それを越える道を,この普遍性のなかで、具体的に述べねばならない.それが私の仕事だ.これは本当に遠い道かも知れない.

追伸8月2日:根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない.今日この言葉に至った.この四半世紀,私を動かしてきた思いである.

ようやくに梅雨明けか

 今日も午後まで雨であった.いつまで梅雨が続くのか.気候が大きく変動してきているのは間違いない.それでも夕方雨は上がり,定例の梅田解放区に出かける.阪急中津で降りると急な雨.仕方なく駅向かいのコンビニで傘を買う.もってくるべきだった.豊崎西公園についても降っていたが集会が始まるころに上がる.ようやくに梅雨明けなのか.

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 この日の動画などは主催者のさんのところにある.中津の豊崎西公園に集合して集会.始めは少人数であったが,それから増え始める.何と警官の多いこと,彼らは人としてはどのように考えているのだろう.その後デモに出て,茶屋町繁華街の阪急に沿った道を梅田HEP5前まで歩く.そこでも小一時間みなが喋る.
 ピカピカの新入組合員さんの闘争報告,京都から来た人,辺野古に基地を作らせないと沖縄と大阪を行き来している人,車椅子の人らが喋る.若い人らもいろいろな課題に取り組みやっていて,そのことを前を通る人々に訴える.こちらはただの一市民としての参加であり,できる手伝いをする.そして,街頭に立って,道ゆく人を見ながら考える.これは,自分にとって原点のような気がする.というのも,もうおよそ五〇年前,京都ベ平連の定例デモで,毎週京都の街をデモしていた.あれは自分にとって大事な時間であった.
 ピカピカの新入組合員さんも書いているが,この日も韓国テレビ局のKBSが取材に来ていた.大阪府・市は市民団体の訴えを無視して,野宿者への十万円給付金を出し渋っていた.六月下旬に韓国のKBSが釜ヶ崎と10万円給付金大阪市交渉に密着して取材し放映したら大きな反響があったとのこと.それで,この日も取材を続けていた.安倍政治の酷さが韓国で知られるのはいいことだ.

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 いま日本というところは国家としての体をなしていない.政治の方向が何の議論もなく一部の者によって勝手に決められ,なされてゆく.本当に酷いところになった.底なしの没落過程にあるように思われる.若者の語ることを聞いていてもそう思う.
 その上で私は,徹底して没落しなければ,再生もまた有り得ないと考えている.非西洋にあって,外圧のもとに,根なし草の近代化をした日本の,その成れの果てである.若者が語っていたなかにある,戦争責任を果たさない日本,アジア蔑視の日本は,この根なし草近代の成れの果てなのだ.
 そして今.事実としてアジアにおいても没落している.

 没落して所からの再生のための基礎作業,そんな思いをもって,青空学園日本語科に載せている『根のある変革への試論』は,第二稿になってからも何回も加筆してきている.しかしそのうえで,これをもういちどはじめから考え,書き改めることにした.
 これまでのものは,福島核惨事の始まりを受けて書いた『震災以降』がもとになっている.東電核惨事は,人類に,これまでのあり方を根本から変えることを求めた.今,疫病の世界的な蔓延は,再び同じことを求めている.しかし今はまだそれはなされていない.
 私の『根のある変革への試論』もまた,読みかえせば旧来の考え方の枠のなかで書いている.その意味ではこの試論もまた,核惨事以降の歴史の要求に向きあったとは言えなかった.

  いまそう考える.この間,書斎でいろいろ考えてきたが,四月末のころは,青空学園数学科と青空学園日本語科で,自分が歴史に対して言うべきことは言いつくしたと考えてきた.しかし,この間の世上のあり様も見つめながら,それはやはりこれまでの枠組の中でのことであったとわかってきた.
 考え方そのものを大きく転換してゆかねばならないと考える.この転換は自分のなかでも未だできていない.しかし,歴史の求める課題は,外からこの世を見るのではなく,内から語ることであると思い至った.
 資本主義の側はこの疫病の蔓延を契機に,悪辣な本質を隠した見栄えのよい資本主義にし,同時に情報技術を駆使して人民の統制を進めようとしている.それは言いかえれば新たなファシズムである.
 これに対抗し,人民の側はどうするのか.疫病の蔓延以降における根のある変革とは何か.いま言えることは,旧来の左派の枠組を根本から転換しなければならないということである.
 近代の枠組を転換するということは,これまでも言われてはきた.「近代の超克」もあった.しかしその歴史的現実は,ファシズムへ道をひらくものであった.
 そうでない枠組の転換は可能か.せめてその端緒とそしてひらかれた課題を提起するところまでいければと思う.四月~七月をかけてようやくこのあたりの考えがまとまってきた.

 わが家の入り口にアブラゼミが羽を休めていた.昔は,まずニイニイゼミが現れて,真夏になればアブラゼミだったが,この四半世紀,クマゼミの方が増えてきたと思う.六月下旬から七月のニイニイゼミもあまり見かけない.温暖化の影響なのかは分からない.

梅雨の合間に

 今年の梅雨は長いし雨も多い.九州の豪雨には言葉もない.昭和28年の台風で宇治川が氾濫し,高台の橋寺に避難したのを今も覚えている.台風が過ぎて,道の掃除が大変だったのも覚えている.
 昨日11日は定例の 梅田解放区 の日.朝から雨であったが,夕方いっとき雨がやんだ合間に犬の散歩をする.これで1時間歩くのを日課にしている.それから汗を流して梅田に向かう.この集会は雨のときは向かい鉄橋の下でやるので雨は関係ない.5時半前に行くと,もう幾人かが鉄橋下で準備をしていた.

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 梅田は小雨が降っていたが,この日は40人ほども集まっただろうか.若い人らが増えたのが嬉しい.7時過ぎまで,喋りたいものが喋る.この雑踏に立っていると,いろいろ考える.前を通り過ぎる若者たちは,今何を考えているのだろう.彼らが教育を受けてきたときは,いわゆる新自由主義教育が行きわたっているときで,社会に向けて疑問をもつことなどはまったく気づくこともなかったのかも知れない.
 それだけに,ここにこうして集まってくる若者は,私などの感覚では貴重だ.それぞれどこかでこの社会はおかしいと思うときがあったのだ.
 イギリスに30年以上いて日本に戻り,今話題の十三市民病院で非正規で働いている ピカピカの新入組合員 さんも,その経験をふまえて,職場に問題があれば組合に入って闘おうと語る.

連帯ユニオン・ゼネラル支部・十三市民病院分会を結成しました! 組合活動や病院を正していく活動を配信します。病院で働く人や、コロナを理由に職場でパワハラを受けた人。「おかしいな」と思ったら、労働組合に相談しよう。あなたは一人じゃない。仲間がいるよ!

 また,京都の大学生が,やはり今の政治はこのままではだめだと思ってここに来たと語るのも中味があった.新しい動きが出てきていることを実感する.もとより先は長いが希望もある.昨夜は,同じガード下の道の向かいでも横断幕を掲げる.

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 ソウルの市長が自死した.これは,韓国社会には,公の立場で言ったことと,したことに矛盾があれば,その責任を取らねばならないという規範があることを意味している.ひるがえってこの日本はどうか.ソウル市長が死なねばならないのだとしたら,この日本の政治家で死なねばならないものがどれだけいるか.しかも彼らはそれを無視して居直っている.
 この問題は深い.ここでは韓国での様々の議論に立ち入ることはできない.ただ,そのような議論のなされる韓国に対して,この日本の現実がいかに遅れたものであるかを指摘したい.韓国社会は,これまでの歴史が作ってきた世の規範が生きているのだ.それに対して,この日本の政治家世界には,それがない.
 歴史の現在でいえば韓国は日本のはるかに先をいっている.というか,この日本がはるかに後ろをいっているのだ.韓国のこの件は,逆に日本の政治の酷さをうきぼりにする.街頭に立ちながら,こんなことも考えた.

 今朝は朝から時間があった.それで1週間ほどかけて書いてきた「縮閉線」をまとめ,PDFファイルとHTMLファイルを作った.青空学園に多くのことを書いてきた.もう「数学対話」に書くべきことは書き尽くしたか,と思っていたが,そうではなかった.掲示板の書込に教えられて,いろいろ計算して,高校生が読める範囲でまとめた.積み重ねてゆくべきことはまだまだあるのだろう.

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  ここまで書いて,3時半,日課の犬の散歩に出る.犬が歩くより自分の運動が意味あるかも知れないが,とにかく毎日歩く.神園町から北名次町を下って,満池谷の墓地に南から入り北に抜け,甲山を遠くに見る大池の端も歩く.今日は少したくさん,1時間半ほど歩いてきた.

 青空学園をはじめてこの8月末で21年になる.青空学園の各ウエブサイトは,いわば私の居場所,書斎であり庭のようなものである.後半生はここが自分の仕事場であり,ここでの制作が仕事そのものであった.
 今も問題づくりの仕事をしているのは,数学科を見て向こうから連絡してきてくれたからだ.これは2012年の頃だと思う.また,日本語科を見て智勝会の人がOB会の連絡をくれた.これは2011年の秋のことだ.いずれもこれをやっていたからこそ,である.
 昨日も教員の方から DVDR の申し込みがあり,作成して送った.青空学園をいつまで続けられるのかはわからないが,できるところまで,日々少しずつ続けてゆきたい.