力あわせて世を動かそう

 昨夕は定例の梅田解放区であった.5時半に赤いタコのすべり台がある大阪北の中津の豊崎西公園に集まり,しばし集会をもつ.難民支援の活動を続けてきた人,辺野古現地で闘う人,そのほか数人が発言する.それから梅田に向けてデモをした.
 家を出るときは小雨がふっていて,傘を持っていったが,集会が始まって間もなく雨は上がり,デモに出るときは西日がさすほどであった.
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 入管法改悪を阻止した! 
 長期収容を辞めろ! 
 入管行政即刻解体!
 オリンピックごり押しのスガはやめろ! 
 維新はいらん!

 いつものように,阪急の高架沿いに東梅田まで歩く.そして,先に梅田に来て音楽をやっていた人らと合流し街宣を続ける.こちらは横断幕をもつのを手伝う.

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 当日,いくつかのビラも配られたが #木川南小学校長を支持しますで広がっている,木川南小学校長支援のビラもあった.
 大阪や兵庫ではかつて解法教育運動が盛んであった.私もそのなかでいろいろ教えられ,またいくつかの運動を担ってきたのだが,この校長先生もかつて,そういうなかで教員をやってこられたのではないか.
 そのときのことを思い起こせば,いまの大阪の維新の教育はまったく認められないし,許せない.それでこうした見解を大阪市に出されたのだ.もとより維新はこれを無視するだろうが,逆にわれわれの間での共感は広がる.
 追記:松井市長は無視するだけではなく,処分しようとしている.これを許すな.

 大阪都構想を否定したこと,このたびの入管法改悪を阻止したこと.ときの権力の思うがままにはされないぞという人民の側からの抵抗が,この大阪で少しずつ現実を動かしはじめている.そうではないだろうか.まさに,力あわせて世を動かそう!

 コロナ渦は近代日本がいかに底が浅く根なし草であるかを明らかにした.それをふまえて,ではこれからどのようにしてゆくのか,それを考えるべきこととしてわれわれの前に提示した.
 世を動かし生みだしてゆく次の段階の世こそ私の言う緑の社会主義である.それはまた,資本主義の終焉の果てに,次の時代を見通すことともつながる.
 かつて言われた社会主義は,経済がまだ拡大する余地のある段階で,どの方向に拡大するのかで資本主義と分岐した.それが赤い社会主義である.
 それに対して,いまは地球の有限性のゆえにもはや拡大の余地が残されていない段階で,拡大しなければ存続しえない資本主義に代わる世のあり方,それが緑の社会主義である.

 これについて,そしてそこに至る途についてはまだまだのべることはできていない.これからのべてゆくつもりで、今その構想を練っている.頭の働くうちに,これだけは仕上げて書き残したい.

入管法改悪反対!

速報5/18:政府が入管難民法改正案取り下げ方針固める.入管法改正、今国会断念へ
 これはこの数日の全国での闘いの結果である.これを貴重な教訓にしたい.

 今日は,大阪梅田北東すぐの扇町公園入管法改悪反対の行動があり,参加してきた.ここにもあるように,この日の行動は全国でも取り組まれた.大阪の集会とデモの主催は入管事件を闘う大阪弁護士有志の会であった.午後1時から集会をおこない2時からデモに出た.

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 3月6日,スリランカ出身のウィシュマさん<ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリさん(RATHNAYAKE LIYANAGE WISHMA SANDAMALI)>が,名古屋出入国在留管理局の収容施設で亡くなった.
 ウィシュマさんは17年6月に来日し,日本語学校で学んでいたが学費を払えなくなり退学した.留学ビザが切れたという理由で20年8月に名古屋入管に収容された.その後、急速に体調が悪化したが、点滴さえ受けられないまま3月6日に亡くなった
 今日5月16日,名古屋でウィシュマさんの葬儀が行われる.それでこの日,各地で~ウィシュマさんに想いを寄せて~との行動が呼びかけられたのだ.
 会場の公園に行くといつも梅田解放区で一緒になる人らも4,5人来ていた.およそ250人ほどが集まり,1時間以上集会をもった.集会では日本在住外国籍者の支援活動をしてきた幾人もの人の報告があった.熱心に語り私もそれに耳を傾ける.れいわ新選組大阪第5区の候補である大石あきこさんも来ていて熱心に話していた.
 私自身これらを聞きながら,日本の出入国管理行政の非人間性,その酷さを改めて認識した.

  集会のあと,皆でデモをする.梅田の方へ歩く.この日は声はあげずに歩く.

 ウィシュマさんのことは毎日新聞経過を詳しく報道している.これを読めば見えてくるように,日本の出入国管理行政は,非西洋の人に対して非人間的で酷いものである.
 そして日本政府は,毎日新聞にもあるように,ウィシュマさん死亡の経過さえまだはっきりしていないのに,それを措いて入管法改悪法案を来週通そうとしている.12日に行おうとしていたが,それはとりあえず延期された.が政府は18日を狙っている.

 こういう集会に参加すると知りあいに出会う.今日は京都のNさんに出会った.『神道新論』を贈呈した礼をいわれた.Nさんは私が京都ベ平連に参加していた1972,3年ころからの知りあいだ.今日も京都から来たといっていた.

 それにしても,現在の日本政治の酷さである.アベ・スガと続いたこの8年で,日本は国家の体をなさなくなった.法の下に国家があるという立憲主義は,もはや今の日本の政治の現実ではない.直接的な利権の繋がりでのみ動く政治である.その流れの上にオリンピックをやろうとしている.

 この政治の有り様の現実は,日本の根なし草近代の成れの果てというのが私の考え方であるが,しかしそれにしても余りにも酷い.
 非西洋にあって最初に資本主義近代となったこの日本は,非西洋を差別し侵略し,惨禍を引き起こし,そして十五年戦争で敗れた.しかしその総括はなされず,一転して対米従属できた.しかしいま,そのアメリカの没落に先駆けて,この日本の没落が止まらない.

 日本の近代は,明治維新もあの敗戦とその後の戦後政治も,人民の下からの力でうまれたものではない.
 ここからの途はあるのだろうか.それを考えると目の前は真っ暗である.それでも,できることはしなければと思うし,この日誰かも言っていたが,今日のように人々が思いを一つに集まることは,希望である.
 日本というこの国の近代は,いまはじめて,人民の力が世を動かすのかどうかというところに来ているのかも知れない.このような動きにできるだけ参加し,街頭から考え,ここに書き置きたい.

いまこそ街頭に!

 昨夕は定例の梅田解放区であった.前にも書いたが,ここ東梅田の街頭に立って呼びかける行動はもうはじまって4年になる.こちらが参加しはじめて3年半である.第2,第4土曜を定例の行動日として,夕方ここで訴え,また月に一度はデモも続けてきた.
 今の情勢の酷さから,何かしなければと,この日は30人近い人らが集まり,道ゆく人に語りかける.
 汚染水の海洋放出反対! オリンピック中止! 
 国民投票法改悪反対! 入管法改悪反対! 松井吉村いらん!  

 コロナ渦対策にしても,日本はいまや世界中で最低の国になっている.そうではないか.このままでいいのか.この日本という国を根本から変えゆかねばならないのではないか.そのことを語り訴える.

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 若い人がここでの語りで言っていたが,SNSなどに書き込むだけでは何も変わらない.街頭に立つ,またデモをする.街頭での行動がなければ政治を変えてゆくことはできない.その通りである.それでいま,私も街頭に立つ.
 参加している中ではいちばん年寄りだと思うが,若い人らががんばっているので,こちらも参加し,いっしょに横断幕を持つ.私は喋らず,若い人らの語るのを聞く.
 参加者の一人,園良太さんは被曝を避けて東京から避難しているのだが,東京に残ったかつての仲間が,被曝の影響だと本人が言っていたガンで亡くなったことを語る.やはりそうなのだ.

 今のコロナ渦に対するスガ政治の対応の非人間性は,東電核惨事の被災者に対する姿勢と変わらない.国が人を見殺しにする.それが今の日本である.
 そして,アベ・スガ政治は,コロナ渦を逆手にとって,憲法を改悪しようとしている.まさに,ナオミクラインの言うショックドクトリンそのものである.

 憲法とは,時の政府を規定するものであり,政治権力が暴走しないように歯止めをかけるものである.ところが,コロナ渦の緊急事態宣言を利用して,緊急事態条項を入れようとしている.これは政府を縛る憲法を,国民を縛る法に変えようということである.
 そのための,国民投票法改訂である.公共放送も新聞もこの問題の本当の意味を伝えない.立憲などの既成政党もこれに同調している.
 これとの闘いの行方は,まさに日本の分水嶺である.「分水嶺にある近代日本」にも書いたが,アベ・スガ政治は底の浅い根なし草近代の成れの果てに現れたものである.そのアベ・スガ政治が憲法を変えることを許すのか.改悪しようとするものへの闘いを通して現憲法がもつ意義を実現する政治を生みだしてゆくのか.いままさにその分水嶺にある.
 憲法9条の意味については「震災以降」のなかの「九条の位置」に書いた.
 日本はこれからかぎりなく没落してゆく.産業においても経済においても,そして何より政治において,没落してゆく.
 昨日も,若い人が,いまの日本という国は一度徹底的に解体した方がいいと言っていたが,そのとおりである.その過程で互いに助けあい,人民の犠牲をできるだけ小さくし,この没落の時代を生きねばならない.
 時代が大きく動くときに来ている.日本の問題は,資本主義の終焉期における世界大の問題と通底している.これからも,できるうちは若い人らといっしょに考え,行動してゆきたい. 

無為無策のスガはやめろ

 昨夜は定例の梅田解放区であった.およそ20人が集まり,若い人らがそれぞれ思いを語る.梅田解放区がはじまって4年,私が参加しはじめて3年半ほどになるが,梅田で「アベやめろ.アベ政治に殺される」と訴えてきた.
 スガ政治になって,このコロナ渦と政治の無策で,「殺される」が大げさではない状況になってきた.「コロナ対策 何にもしないスガはやめろ」と声をあわせる. f:id:nankai:20210425100449j:plain     
 ミナミで働く人が訴える.自粛を求めるが補償はしない.これが今の日本政府だ.コロナ渦は今という時代に人類に襲いかかるものだ.だから,営業時間を自粛して短くせよというのなら,その分を公的に補償しろ.緊急事態など国も大阪も責任逃れに言っているだけだ.
 補償しないどころかむしろ,日本の支配層は老人を減らし零細経営を淘汰するため,コロナ渦を利用しているのではないかと考えねばならないほどである.また,大阪の医療崩壊は,保健所を減らし病院を縮小してきた維新政治の結果である.皆これについても多く語る.
 しかし、これらを許してきたのは,人民がこれに対して闘わなかったからである.明治維新も戦後改革も,人民の下からの蜂起でなされたものではなかった.日本においては改革はいつも上から与えられたものであった.これは歴史的事実である.
 その成れの果てが今日の状況である.このどん詰まりのここで行動しなければ,この日本はこれから先かぎりなく没落し衰退してゆく.人民もまたかぎりなく収奪され没落される.あらゆる場でそれが言える.

 近代日本は根なし草で,根のある規範がない世であった.人を人として尊重しない世が続いてきた.アベ・スガ政治はその成れの果てに現れたものである.この問題をもういちどはじめから考えようと,本棚から古い本を取り出す.
 岡潔小林秀雄対談『人間の建設』,岡潔日本のこころ』である.私はこれを高校時代に読んだ.本棚からそれを取り出し久しぶりに読んだ.そのなかの「六十年後の日本」という一文のなかに次の一節があった.

 六十年後には日本に極寒の季節が訪れることは、今となっては避けられないであろう。教育はそれに備えて、歳寒にして顕れるといわれている松柏のような人を育てるのを主眼にしなくてはならないだろう。この寒さに耐え技くことができさえすれば、一陽来復も期し得られるかもしれないが、私は、人力だけでここが乗り切れるものだろうかと思っている。
  ………………
 道は断崖に極まっていることを知ったから,どれくらい深いかとのぞき込んでみたのだが,谷底は知るよしもなかったのである。もし転落し始めたら,今度こそ国の滅亡が待つばかりであろう。

  この本が出たのは1967年であるから「六十年後」とは2027年である.まさに日本の衰退が極まるときではないか.岡潔がこの本を著したのは,やはり数学がフランスと日本でどのような位置にあるのかということを通して,近代日本には文化の根がないことを体感していたからだと思う.
 地球は有限である.拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉する.今その段階に至っている.そして次はどうなるのか.経済が拡大する段階での赤い社会主義から,拡大しえない段階の緑の社会主義を現実にしてゆく営みが,次を拓いてゆく.新しい人のつながりが生みだす世、である.
 近代日本の歴史で、今それが問われている.

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 私はこんなことを考えながら,毎日1時間,犬を連れて歩く.夙川から満池谷墓地の方へまわる道,満池谷墓地からニテコ池をまわる道,満池谷墓地を東に抜けて廣田神社や上ヶ原の方をまわる道などいくつかの道があり,今日はどの道を歩こうかと歩きはじめてまずそれを決め,歩く.この時期でも背中に汗をかく.

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 写真はニテコ池と甲山の眺め,この池の畔にある名次神社,名次山は万葉集にも出てくる小山である.ニテコ池の西側に写っている.歩くことは,体にいいだけではなく,心にも良い.歩いていると,頭の上の方から,何とも懐かしい感情が降りてくる.

春の梅田解放区

 昨夜は梅田解放区に参加してきた.もうほとんど桜の花も散り,緑の季節に入ってきた.それでも立っているとまだ寒い.
 私がはじめてこの取り組みに参加したのは「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌 に書いたときなので,もう3年半ほど前になる.ここに参加して街頭に立つのは,ほんとうにこちらにとっても有意義なことである.
 核汚染水の海洋放出をやめろ/スガやめろ/維新はいらない
 自粛させるなら補償しろ
 黙ってないで立ちあがろう/手を繋ごう
等々皆で声をあわせる.人を人として重んじない政治が今の日本を支配している.それに対して,このままでは殺されると,若者が声をあげる.私は今日も横断幕を持つのを手伝ってきた.たたかうあるみさんAkhiltype6 さんのところにも写真が出ている.
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 日本の政治はこの間,酷くなるばかりであった.それがコロナ渦でさらに露わになった.日本政治の闇は,上から下まであらゆる段階を覆っている.
 近代日本は,根なし草の世であり,立場を超えた人と人の間の規範がないままの世であることを,今つくづくと思う.アベ・スガ政治によってそのことが露わになってきたことは,これを動かし変えてゆくために必要なことであるかも知れないが,しかしアベ・スガ政治の現実はあまりに酷い.
 日本は今すでに没落したクニである.没落するだけ没落しなければならない.没落の果てから立ちあがることはできるのだろうか.梅田で喋る人たちの言葉を聴きながら,ここには希望があると思った.こうして声をあげる人がいることは希望である.

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 これまでのやり方が根本からの転換を迫られていることは,日本だけのことではない.地球は有限であり、拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉する.
 ではその次の世はどうあるべきなのか.かつて赤い社会主義がいわれた.それは、経済がまだ拡大しうる段階で,どのような方向で経済を拡大するのか.人民を収奪するのとは異なる拡大の途,それが赤い社会主義であった.
 それはしかし,ついには資本主義にのみこまれてしまった.ソ連も中国も、そしてその他のかつての社会主義国もみな,今の経済は資本主義そのもである.資本主義ということで言えば,今や中国の方が前に行き,アメリカや日本はずっと後ろをいっている.
 そのうえで,コロナ渦を契機に,この現代資本主義の大きな危機が現実化する.それは避けがたい.そして,資本主義の枠組の中では,そこからの途はない.
 これに対して,私の言う「緑の社会主義」は,もはや経済の拡大があり得ない段階において,資本主義経済に代わる途を提起するものである.であるからそれは別の生産関係を作るということではない.『根のある変革への試論』にも書いた.

 今日の根本問題は資本主義にかわる別の生産関係を生みだすということ自体ではない。生産関係の問題ではない。経済は手段であり方法であるという立場から、これをのり越えるのである。言いかえれば、資本主義的生産関係を使いこなす人とその組織、そのもとの世を生み出すこと、これが問題である。
 そして、これを創造してゆくこと自体が、資本主語の終焉である。経済は目的ではない。大切なことは、これを使いこなしうる、人を第一とする政治を生みだすことである。人としての尊厳ある生活、これこそ共通の目的である。

 そのような試みが始まっている.新しい人のつながりが生みだす世である.手を繋ぎ街に出て、この政府を倒し政治を根底から変えてゆくために,心あるものは行動を始めよう.やればできる.日本の歴史の中ではじめて,人民がときの支配者を倒し,自らの政治を生みだしてゆく.そのような歴史を切り拓こう.
 この日の参加してきた若者の気持ちを言葉にすれば,そういうことである.そしてそれは私の思いでもある.
 そんなことを考えながら戻ってきた.2週間ごとの梅田解放区は,こちらがいろいろ考えるうえで,ほんとうにありがたい.こういう場を作ってくれた若い人らに感謝する.

三月の終わりに

 昨夜は定例の梅田解放区であった.毎月第4土曜は大阪北の中津にある豊崎西公園に集まり,集会をもって,それから梅田までデモをする.関生連帯労組から,大きな音の出る街宣用のスピーカーも来てくれる.こちらはいつものように横断幕をもって先頭を歩く.たたかうあるみさんのブログにこの日の写真が出ている.

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 梅田で音楽をやっていた人らと合流する.30人近くになっていた.そして道ゆく人に語りかける.ここで喋る若い人らはほんとうによく勉強している.教えられることも多い.私はそれを聞きながらいろいろ考える. 

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 さて, 東京オリンピックとやらの聖火リレーが始まったそうだ.

 オリンピックとは何か.安倍がオリンピック誘致を決めた頃の「1%による1%のための大会」に書いたように,西洋資本主義の価値観を世界に拡げるためにはじまったものであった.それをアベが誘致し,今の日本がおこなうのは,「原発事故は終わった」「放射能被害は存在しない」とごまかして現実を覆い隠すためである.事故炉の廃炉作業はデブリの取り出しもままならず,あと何十年,何百年かかるかわからない.汚染土や汚染水は溜まり続ける一方である.公共事業で使ったり海への放出したり、汚染物の拡散が目論まれている.

 今の日本は,今このときにオリンピックをやるという政治が支配している.本来,政治とは何か.ある日本語の辞典で「政治」は

国を治めること。近代では、主権者が立法、司法、行政などの諸機関を通じて国家的統一を維持し、国民と共同生活を守ること。

と定義されている.1988.国語大辞典(新装版)小学館

 このような近代政治の規範に照すとき,今の日本の政治はまったく政治とは言えないものになっている.明治維新よりこれまで,この近代の規範そのものがこの日本においては根づかなかった.私の言う根なし草近代である.その成れの果てとしてのアベ・スガ政治である.
 地球の有限性に規定されて,拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉の段階に入っている.アベスガ政治は,その日本における現実である.

 だが,ここまで酷いことになっても,内閣を倒し日本の政治を変えようという大衆行動のうねりは,まだ起こらない.このままでは,この日本列島のクニはかぎりなく没落してゆく.それでも,このうねりのないなかで立ちあがった人々は,たがいに繋がり前に進む.大阪で続けてきたこの運動もまた,あきらめない人たちの、そんな運動だ.つくづくそれを思った.実際,語る若者も,あきらめないと言うことをしきりに言う.

 それに応えて自分に何が出来るのか.前にも書いたが,『神道新論』の展開として「根のある変革への試論」はもっと深めねばならない.これを踏まえて「緑の社会主義」を展開しなければならない.
 地元自治会の仕事も引きうけているし,問題づくりの仕事もけっこうある.そのなかで,自分のなすべき仕事はおさえておかねばならない.私は自分お仕事を,没落の果てから甦るための基礎作業と位置付けているが,やはりここになすべき第一のことがある.

 三月も終わるが,年度の末にそんなことごとを考える次第である.

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 地元の神園公園の桜.28日はここで花見をする予定だったが雨になった.写真は27日のもの.田中龍作さんが言うように,桜は皆に平等に咲く.

3.11から十年

追伸:3月13日 今日は定例の梅田解放区であった.小雨がちらついていたので,東梅田の鉄橋の下に移って,およそ20人が集まり声をあげる.いつものようにこちらは一緒に立ってそれを聞く.たたかうあるみさんがさっそくブログに上げてくれている.

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 世界中で考えても,今の日本ほど酷いところはない.何が酷いのか.それは,この日本の社会での人と人の対話の基盤が崩れていることだ.
 根なし草近代の成れの果てとしてのアベスガ政治.一度も人民闘争を経ることなく今日に至ったこの日本.人を人として認めあわない世,これが今の日本である.働く者の力があまりにも弱いままの日本.街頭に立って,道ゆく多くの若者をながめながら,つくづくとそのことを思う.
 そして,これだけの原発事故を経ながら,どんどん再稼働している.七割以上の人が反対しているにもかかわらず,議論も合意もなく,再稼働されてゆく.
 そのことに対して大きな怒りの声はなかなか上がらない.それでいいのか.このままでいいのか.皆それを訴え,声をあげる.

 以下11日の一文

 あの日から十年が経った.昨日,この十年間のことをいろいろ考えていたら,鹿砦社から『NO NUKES voice』の27号が郵便で送られてきた.いつも献本してくださる松岡さんに心から感謝する.一気に読んだ.
 孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所所長)の「2021年 日本と世界はどう変わるか」の中の「日本は衰退の道をたどっている」は,私がここでいってきたことと同じである.そのうえで「日本の根本的弱点ー自ら進む方向を作れない国」の指摘もその通りであると思った.
 また,森松明希子さん(原発賠償関西訴訟原告団代表)の「『被ばくからの自由』という基本的人権の確立を求めて」には,当事者の心からの訴えに,こちらも心を動かされた.
 今号の『NONUKES voice』のそれぞれの論考は,どれもほんとうに重くまた考えさせられるものばかりであった.ぜひ多くの人が手に入れて読んでほしい.

 そして私は自分のこの十年についてもいろいろ思い起こした.昨年 「3.11の日に考える に書いたので繰り返さないが,やはりわれわれは「震災以降」に書いたように震災以降の日々を生きているのだ.私のひとつのまとめが『神道新論』であった.そして,この書のところからの進むべき道を「根のある変革への試論」で考えてきた.そして今「緑の社会主義」を柱にして考えることを深めているが,しかし道はほんとうに遠い.それでもこれらの営みが,あの震災を自分なりに受けとめるところから,生まれてきたものであることはまちがいない.

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 それにしても,今のこの日本の政治のあまりの酷さである.あの震災を,まさにショックドクトリンとして使い,なされてきた支配政治,それがアベスガ政治である.そしてこのアベスガ政治は,根なし草近代の日本という国の成れの果てでもあるのだ.ここには,世界史的にも深い教訓が潜んでいる.

 これに対する途はあるのか.そのことを青空学園で掘り下げて考えてきた.青空学園はその基礎作業と位置付けてきた.そのようなことをしている者として,できる行動はする.ということで,第2土曜の13日も梅田に行くつもりだ.その報告をここに書きたい.

  写真は甲山を向こうに見るニテコ池ほとりのサギ.