金曜行動の日に

大阪は夕方まで雨であった.その後雨も上がり,定例の関電本社前金曜行動.仕事を片付けあたふたと家を出た.雨あがりで,そんなに寒くなかった.関東や東北は雪だろうが,それでも全国で,今日もさまざまの行動がなされていたはずだ.首都圏反原発連合のまとめでは,このようになる.いろいろな形式と方法で,このような行動が2年半以上,全国で続いてきた.やはりこれは大きなことだ.
2週間前の金曜行動からこの間,日本では,イスラム国による日本人人質問題がおこりそれが継続している.また,1月25日,ギリシャの議会選挙で左派連合の「シリザ」が149議席を獲得して最大政党となった.いずれも,世界の見え方がかわるくらいの大きな問題であり,時間をかけて,掘り下げてその意味を考えたい.と思いつつ,こちらは,授業があり,また書斎仕事と青空学園の更新に追われていた.
働いている塾のある教室で「数学特別講義」ということで,2月半ばから7回授業をする.その教材の準備がなかなか進まなかった.青空学園でこの間書いてきたさまざまの制作物を読みかえし,問題や理論の掘り下げを抜き出し,解答もそろえてゆく.「入試数学も数学であるかぎり,数学として正面から勉強するのが,いちばん確実に力をつける道です.」とつね日ごろ言っているのだが,それを実際に伝えるような授業というのは難しい.
私の高校時代の数学ノートのある部分も読みかえした.このノートは2008年の1月に実家から送ってきたものだ.押入の奥から出てきたが,こちらでは捨てにくいのでそちらで処分するなりしてくれ,というわけであった.あらかたは捨てたが,古い教科書と中学,高校での自分の数学ノートは残した.これについてはそのとき「古いノート」と「42年ぶりの問題」に書いた.その時で42年ぶりとなる問題を再構成して,2009.7.3にそれまでの「凸領域と凸関数」を大幅に書き直したのだが,今回読みかえしてみて,いくつか不十分なところが見つかり,もういちど大幅に改訂した.
半世紀前の自分の数学ノートというのは不思議なものである.こんなところまで考えていたのか,ということと,誰かいい指導者に出会っていればもう少し考えられたのに,という思いが交錯する.そんな高校生は今もいる.それで私はこの15年,折に触れて『数学対話』を書いてきた.南海先生と高校生の数学対話という形式であるが,実際は高校生のときの自分と今の自分の内面での対話である.
この2週間そんなことに没頭していた.これは私の土台であり,存在理由でもある.そういう人間として,世の問題に対して自分の考えを言い,そして可能な行動をする.動けるかぎりこれは続けたい.