自由党大阪府連総会

追悼,フィデル カストロ
あなたのキューバは,医療費と教育費が無料である.隣国アメリカは,医療費が高額で多くの人は治療も受けられず,大学を出ると多額の負債が残る国である.日本もまたそれに近くなりつつある.このような新自由主義格差社会とは真逆の国が現実にある.これはあなたとキューバの人々の闘いの結果である.資本主義が終焉を迎えつつある今こそ,経済ではなく人間を第一としたキューバは希望である.さまざまの困難がこれからも起こるであろうが,われわれもまたあなたとキューバの後に続きたい.
今日の午後は,自由党大阪府連総会に出るために,大阪は谷町九丁目まで行ってきた.IWJの録画がここにある.私は,自由党の党員ではない.生活の党の時代からサポーターである.この立場は今後とも変わらない.それで自由党になってからも同様にサポーターの年会費を振り込んだ.いつも送ってくるメールの中に下記の案内メールがあった.

自由党です。大阪府連総会を下記の通り開催いたします。
どなたでも参加できますので、皆様お誘い合わせの上お越しください。大勢の皆様のご参加をお待ちしております。
日 時:11月26日(土)14:00〜
会 場:大阪市社会福祉センター(大阪府大阪市天王寺区東高津町12-10)
参加費:無料
出席者:小沢一郎代表、村上史好第6区総支部長、渡辺義彦第7区総支部長、真白リョウ第12区総支部

座席は,横15×縦7で105席用意されたいたが,それでは坐りきれず,結局立ったままの人を入れておよそ180人,ぎっしりの会場であった.来賓は,民進党衆議院議員平野博文共産党参議院議員・たつみコータロー,社民党衆議院元議員・服部良一の3氏であった.そして次の選挙の候補者でもある上記三支部支部長の挨拶が続く.その後,小沢さんが話した.服部さんが挨拶の中で「すぐには過半数はとれないかも知れないが」と,こちらもあれっと思うような弱気なことを言っていたことを,さっそく取りあげ,そうではないのだ,政権交代はやればできるのだということを話した.議事に入ってから来賓は前の席からは退席していたのだが,服部さんはそのときも会場にいて,会場は少しどよめいた.
驚いたのは真白リョウさんという若い人が出てきたことだ.そのオフィシャルブログツイッターである.その経過を彼女自身が挨拶のなかで話していたが,こういう人が出てくると言うことは,大変いいことである.昨秋の安保法制反対の運動のなかでは,ママの会に新しい力を感じたが,それと同じようになるほどと思わせるものがあった.
かつての自民党政治の戦後は,高度経済成長の時代であった.それからソ連崩壊以降新自由主義になり,階級格差が大きくなった.小沢さんは「自由党の自由は新自由主義とは真逆のものである」ということを力説されていた.その通りである.が,さらに今日の安倍政権は,資本主義そのものが行きづまりつつある中での現象である.かつての自民党に戻ることはできない.資本主義の行きづまりをどのように越えてゆくのかという問題意識は今日は出されていない.しかし今はそれでよい.まず「政治とは,生活である」と言う綱領のはじめのところからはじめてゆけばよいと思う.そこから手探りである.現実の過程としてどうやってゆくのか,である.ようやくに歴史が少し動きはじめていること思った.
前回書いたが,地元の墓地の戦死者の碑を見るたびに,そのうえで生きてきた人間の尊厳を思うとともに,これはやはり繰りかえしてはならない,安倍政府のすすめる戦争政策は,これを繰りかえすことだ,と思う.今も世界は戦火が絶えない.多くの難民は生活の場自体が戦場となったところからのものだ.資本主義が,武器でしか利潤の上げられないまでに限界に達し,それが戦争が続くようにしむけてきた.安倍政府はそれに追随するものだ.
こちらは自治会の会長をやっているので,もらった自由党の綱領政策集のなかに「地域が主役の社会」の実現とあるのにはおおいに共感した.私の地域には古くからの私立の高校と中学があったが,それを経営する学校法人がリーマンショックで莫大な損失を出し,この地を売却,神戸の埋め立て地に移動した.その跡地に,これから数年かけて,大規模な住宅地開発が行われる.街づくりという観点から,いろいろやるべきことがある.「地域が主役の社会」を作ってゆくには,役所や業者とのやりとりを,住民ができるかぎりまとまってやってゆくしかない.同時に,それをもとに,大きな全国政治と地域での取り組みとの共同作業が必要である.自由党さん手助けしてくれよ,と言いたいところであるが,ここにはまだ自由党を名のる県議会や市議会の議員はいない.国の政治と現地のとり組みという問題は,他のそれぞれの分野でもあてはまることだと思うが,地元でやることを大きな中に位置づける観点を持つことができた.こういう時代に自治会長というのは勉強になる.
私は,一方で長い歴史過程の中での現在を考え,新しい時代の基礎として,日本語の再定義と教育数学などを非力ながらも積みあげてきた.一方で自治会の活動など目前の問題もやっている.あわせて考えることで,いろいろと学ぶところが多い.それにしても人間,大きな歴史のなかで小さな歴史を刻んでゆくものなのだ.
今日は,かつての生活の党の時代に街宣活動を一緒にやっていた人ら数人とも再会し,やあやあと声を掛けあって,戻ってきた次第である.