人に会う(続)

 昨日,38年ぶりにHさんに会って食事をした.昔京都で一緒にデモなんかをしていた人.私が京都を離れてから会っていなかった.同じ時代からの知り合いのTさんが段取りをしてくれた.大阪でカビの研究者.今日からまた調査で旅行に出ると言っていた.私が兵庫県に来て後,彼は薬学部を卒業してから農学部の大学院に進み学位を取り,一時期高校でも教えて,その後は環境問題一筋に来た.研究はおもしろいといっていた.
 会うなり時間を超えていろいろ話がすすむのは一つの時代を共有しているからだろう.あの時代は,制度や地位や肩書きから離れて,人間として考えるということを教えてくれた.それぞれ今の状況に違いがあっても人間としての土台に対する信頼があるから,すぐ話ができるのだ.
 そして話題は当然に今の時代のこと.イギリスの新聞,8月17日の英インディペンデント紙は,福島原発事故を取り上げ「原発事故は日本政府が嘘をつく構造」「近代日本の終焉」「チェルノブイリより遥かに酷い」と論評した.近代日本の終焉という論評に賛成である.と同時にそれは,若い世代へのわれわれの責任という問題を差し出す.それに対して言えるのは,近代の諸制度が終に制度疲労を起こして終わりつつある今こそ,「人間として」の原理に立ちかえり,考え,そして生きることだ.等々.話しはつきないのだが,時間が来て別れた.この歳になると次いつ会えるかとも思い,その時間は貴重である.
 夕方ようやくM3Wの添削と講評ができて,梅田教室まで持っていってきた.明日からは問題作成と勉強.昨日からコルモゴロフの『確率論の基礎概念』の文庫版を手に入れ読みはじめた.大数の法則中心極限定理は高校確率論を支える土台だ.これを数学対話で取りあげることは前からの課題であった.かくして高校数学周辺分野で次の宿題をかかえている.
  -射影幾何の全体と,代数幾何への橋渡し.パスカルの現代的意義.
  -ガロワの理論の構造と,ガロアが開いた扉は何か.
  -大数の法則中心極限定理,確率論とは何か.
  -3・11以後をいかに生きるか.結論は明確.人間として考え生きよう.これは高校生への書き置き.
 こんなところに書くのは自分に言い聞かせる意味しかないが,ここまではやらないと私の教育数学探究も区切りにならない.さてさていつまで頭が働くのだろうか.倦まずたゆまず,と自分に言い聞かせる次第である.
 夕方はツクツクホウシが近くで鳴き,遠くの梢でヒグラシが鳴く.夜になるとようやく秋の虫の鳴き声.4年前3年前も同じことを言っていたが「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」である.だが3・11以後,その感慨の内容は変わった.