京都から福井へ

 2日午後,中学校の同窓会に出るため京都に行く.京都駅で翌日の福井までの切符を買う.同窓会まで少し時間があったので京都駅から会場のある河原町通り御池下がるまで高瀬川沿いに歩く.京都の裏通りはいい.これが河原町通りに併行する道である.
 佐久間象山先生殉難の碑はこの先とか,大村益次郎先生遺址はこの先とかある.どちらも御池通りを上がったところにある.明治革命は実に多くの人が命を捧げた.それが町の歴史として今に生きている.
 同窓会総会では2年先輩で地震工学が専門の京大名誉教授I先生が「直下地震・巨大地震の恐怖−もう想定外は許されない−」と題して講演された.多くの地震を調査してこられた.特に,阪神大震災スマトラ地震,東北太平洋地震,また柏崎原発現地視察と福島第一原発の被害について詳細に語っていただいた.先生の立場から原発そのものに対する賛否は言われなかった.しかし,想定外の地震にどう備えるかという問題について,「1枚腰ではなく2,3,4枚腰の設計」が必要だと言われ,その立場に立つと「現在の原発は1枚腰の設計でつくられている」と語られたのが印象深かった.それと大阪の地下街にいて大きな揺れを感じたらすぐ地上に出て高いところに避難せよ.津波が淀川を逆流し堤防を越えたら地下街は水没する,といわれた.これは忘れないようにしたい.その後,同期の二次会でいろんな話をした.それから同じ宇治出身で小学校中学校が同じだった人と実家に帰った.

 3日,「大飯原発の再稼働を許さない緊急集会」にくわわるために福井市の中央公園まで行ってきた.ベントの装置をつけることもせず,複数の避難路を確保することもせず,何かあったときの司令所の耐震補強もせず,科学的な根拠なしに安全だとして再稼働にひた走る政府と関電,原子力村.彼らは,この夏,実は原発なしで乗り切れることが皆にはっきりすることを恐れている.集会はこの政府の動きに対応して急に決まったのだが,540人が福井各地,東京,関西から集まっていた.この日は同時に,おおい町大島で「ニソの杜が日本に問いかけるもの」と題するグリ‐ンアクティブ主催のフィールドワークとシンポジウムもあり250人が集まったそうだ.人が動いている.野田総理は自分の責任でというが,それは口だけ,一体どのような責任がとれるのか,この怒りが大きかった.
 人民新聞の記者のI氏にばったり.まあここで出会うとはと互いにびっくり.人民新聞は先日も「大飯原発を再稼働させるな」や「現地報告」など優れた記事を書いてきた.大手の新聞が政府の御用新聞となる中で,本当のところどうなっているのかを報道する数少ない紙メディアである.もちろん財政難.定期購読してやってください.他にもこの間大阪でのデモ等で知りあった人らとも出会う.
 集会は音楽の後,午後1時から始まり,各地の報告が続いた.福島から避難している人の話しが一番こちらの心に響いた.当事者の生の声を聞くことは大切だ.その後県庁の周りをデモ.散会の後,I氏と帰阪し夕食を一緒にして戻ってきた.
 家に戻ってみると,明日政府が福井に行くことが報じられていた.日経記事.こちらは仕事だけれども,現地の人を中心にこれに対する行動がなされる.それぞれのところにいても心はつながっている.このような人々のつながりは,大きい.こういう世の動きを実感する.ということで2日3日は結構濃厚な時間であった.