金曜行動と議会選挙

 今日も金曜行動,関電前抗議集会であった.今日は寒かった.せめて携帯カイロとマフラーを持って行くべきであった.それでも多くの人が集まってきた.年寄りが多い.顔なじみなって会釈をかわす人も少なくない.今日の夕方三陸沖で地震.これは3.11の余震といえるだろうが,もう少し大きな余震でもし4号炉の冷却ができなきなると….そのことは関電前集会の主催者も言っていた.まさに明日何が起こるかわからない中にわれわれは生活している.この大阪での関電前金曜集会は次は21日.これで今年は終わり.そして12/16は京都でデモ.12/22は大阪でデモ.今年本当に多くの人がこのような集会にやってきた.これは大きな力である.
 今は選挙の最中である.関電前集会の主催者の青年は抗議行動の途中で選挙に関して次のように言う.少なくともこのような行動があるから,原発を争点にしたくない原子力村の意図を破って,事実原発が中心的な争点になっている.これはその通りである.さらに言う.脱原発の候補を一人でも多く送り出したい.それもその通りである.東京の金曜行動の主催者首都圏反原発連合が作った脱原発「あなたの選択」キャンペーンのビラも配布されていた.参加者の中には「選挙に行こう」というプラカードを作って来た人もいた.その上で大切なことは,議員をぶれさせずちゃんと言ったことをやらせる,またもし自民党が政権に戻って,元に戻した政治をやろうものなら,数の問題ではない,絶対認めない,そのような行動をこれからも継続する.ということだ.こちらとしては防寒対策をしっかりして,選挙後の21日の集会も出て,今年を締めくくるつもりである.
帰ると,全日本建設運輸連帯労組・関西生コン支部の機関紙『くさり』第764号が来ていた.その一面の見出しは「−12月16日総選挙目前− 反消費税・反原発・反基地・反TPP! 震災復興を実現し平和な東アジアを米国・財界本位の政治を終わらせ競争社会から共生・協同の社会へ」というもので,「12月16日の総選挙で問われているのは、日本という国のあり方だ。」にはじまる組合の見解が書かれている.読んでみると,まったく異議なしである.この見出しの内容こそ,人々の共同行動と国民連合の基本政策である.これを労働組合が機関紙の一面に掲げる.その内容はここにある.さらに関心をもたれれば機関紙を取り寄せてほしい.『くさり』はもう20年以上欠かさずに送ってくれる.関生労組には昔いろいろお世話になった.その後カンパも何も出来ていないのに,ずっと機関紙を送り続けていただいた.こうして再びそれを紹介することになるとは思ってもいなかった.3.11後の時代が再会させるのだ.
 議会選挙は,ある面からは衆愚政治である.マスコミを使い,橋下のような役者政治家を使い,争点を隠し,地元では目先の利益で誘導し,票を集める.選挙が終われば,政界−財界−官僚−司法−マスコミという支配層は,その権力を守るためにひたすら対米従属の政治を続ける.しかしまた,選挙は心ある人々にとってもひとつの方法である.支配層の誘導に惑わされず政策を見極めて投票し,その後も実際にそのように行動するか見守り,もしそこからそれれば直接の行動で批判する.選挙を一つの方法として使うだけの力が,ようやくにわれわれの間も育ってきたということなのかもしれない.
 とはいえ,彼我の力関係はまだまだ向こうが大きい.衆愚政治の道具に使う者の力は大きい.これは冷静に見ておかなければならない.このままでゆけば,今回の選挙の後は,自公民維の連合政権ができるだろう.この機を逃さず支配層はおそらく改憲まで目論むだろう.消費増税を行い原発は順次再稼働させようとするだろう.反対する勢力がどこまでまとまれるか.議会内の反対派・良心派は,人々の直接行動と連合して,議会の内外でこれと闘う以外にない.日本政治の対立点が,対米従属・原発維持か対米自立・脱原発にはっきりと分岐した以上,この対立と混乱は,旧体制の支配を破って対米自立・脱原発の政権ができるまで続く.この分岐は主観的なものではない.これからの日本がどのようにすすんでゆくのかに関する客観的な分岐である.いずれの政策が行われるかで,世のあり方がまったく変わるという,そのような分岐である.
 9日加筆:マスコミはこの分岐を隠し,ごまかし,対米従属・原発維持勢力の内部の矛盾をことさら大きく取りあげて,そこが争点のように見せかける.こうして票を対米従属・原発維持勢力に取り込もうとする.しかしマスコミのウソを見ぬく人々が増え,本当の分岐のあり方をおさえる人々が増えた.この量は遅かれ早かれ質的転化をもたらす.今回の選挙でそれが起こるかどうか,それはわからないが,紆余曲折を経ても必ず日本政治を転換する.一方,対米自立・脱原発の側も,先日書いたようにそれをさらに,アメリカ後の国際政治への提言にまで深めなければならない.新自由主義に対抗して人間原理を打ち立ててゆく.その人々の国境を越えた連合.それを呼びかける.これが必要だ.それは広島・長崎・福島を経験した日本のわれわれの責任なのかも知れない.
こちらは昨日でII期の授業が終わった.たくさん添削や採点をしなければならないのだが,4,5日授業はない.この1年の諸々を整理し,続けてきたことごとをもう一歩進めておきたいと思っている.