小学校の同窓会(二)

 今日は,宇治市立莵道(とどう)小学校の昭和三十五年三月卒業四組の同窓クラス会で宇治に日帰りした.五,六年のとき担任してもらった八十八歳の先生も来てくださった.宇治川沿いの中之島横の料亭での集まりだった.四十六人卒業のクラスで,今日は先生ふくめ二十一人が出席した.五年ぶりの同窓会だった.前回の時のことは「小学校の同窓会」に書いた.われわれの学年は六年間クラス替えもなく,皆一緒に小学校を過ごした.いつも名簿一番の人が乾杯の音頭をとるのだが,今日は欠席された.それでこちらにあいさつと乾杯の音頭の役が廻ってきた.
 われわれの四組は,四年生までおとなしくて,どちらかといえば,元気のないクラスだった.五年になって,(今日出席いただいた)先生が異動でこられて私たちを担任.秋の運動会のクラス対抗リレーで,バトンタッチの練習を繰り返し繰り返ししてくださって,それではじめて1番になった.四組もやれば出来るのだということを先生に教えてもらった.あれからもうどれだけの時間が経ったのかわからないけれど,今も感謝しています,云々.という話をした.そして乾杯! リレーのことを覚えているひとが二人三人いて,そうだった,そうだったという話しになっていった.あれで人生観が変わったという人まで出てきて,たいへん面白かった.
 もう一つ,先生は担任して「冠句会」を教えてくれた.それは五七五の最初の五の言葉を題としていくつか決めておいて,その下の七五をそれぞれが作る.一番よかったのから天,地,人,…と評価し,それらの入選作を先生は和綴じ帳に毛筆で書いて「冠句之巻」として,天の人に下さった.うまい人がいて,彼は三回天をとり,その三冊をもってきていた.私も一冊あって,今日もっていった.それは私の宝物.私が天をもらった句.

   いなり山 屋根と緑の 宇治の町

 私のもっているその一冊の冒頭に先生が書いておられる.「六年生になって初めての冠句会.全部で三百三十あまり集まりました.そのうちよくできたと思はれるものを巻にのせました」.四十数人のクラスでこれだけ書かせる先生もすごかった.またこれを一つ一つ書かれた先生もたいへんだった.私は後に高校教員となったのでよけいに思うのだが,あの二年間の先生の教育は大きかった.今日はその他に卒業文集やアルバムももっていった.それらもみなで回覧しながら,それぞれの近況を報告しあった.
 また,木造の校舎を惜しむ人も多かった.実際かつての校舎は明治時代からのもので,重厚な作りの学校だった.なんであれを残さずに,丘の上に鉄筋なんかで新校舎を作ったのだという.その通りだ.今ならもう少し何かを残しただろうが,1966年当時,旧校舎の跡地は宅地に売って,少し上の方に新校舎を建設した.人数が増えたことはわかるのだが,一部でも残すべきだった.話は尽きない.それでもわれわれはありがたい時代を過ごしたのではないか,と言う意見も多かった.実際,参加した人やその連れ合いの多くは正規職で定年を迎え,その中のおよそ半分が今もはたらき,店を営むものも少なくない,というところであった.親の代は戦争があった.これからの代はまた厳しい.われわれは何とかやってこれた時代だった.古き良き時代,というのは陳腐であるが,また真実でもある.しかし同時に,それが原発など後世にツケを残すことのうえにあったのではないか,そこまでの話しにはならなかったが,そうも思った.
 小学校の同窓会.なんという時代,なんという時間の経過.そしてなんという人生.卒業して半世紀以上.それでも一人一人を身内のように親しく覚えている.閉会し先生を送って,それから今日は店が忙しく欠席した宇治川伴で喫茶店をやっている同級のところまで押しかけ,またまた懇談.これからはせめて二年に一回は会おうや,次は一年半後の秋の宇治で再会しよう,などと話して別れてきた.
 私の故郷は,かくの如くに京都の宇治.そして,ペットボトルの緑茶やほうじ茶も出している万延元年創業の茶舗が本家.四代前の私の大祖父さんが,その茶舗を興した人の弟.戦後は,コーヒーや紅茶の時代となり,茶はあまりはやらず,父も晩年,茶業の経営を手伝っていたが,あのころ茶業は本当に斜影産業であった.ようやく近年,ペットボトルのブランドや甘菓子喫茶などで少し盛り返している.宇治市は郊外の新興住宅地をふくめて,戦後昭和二十六年,市になったのだが,親戚一統の多くは今も旧宇治町に住んでおり,また小学校も同じ学年にいとこや又いとこ,その他親戚が一杯いた.たがいに親兄弟もよく知っている古い街の明治六年から続く小学校だった.
 ということで,今朝は早くに宇治に戻り,二十五年になる母の命日を前に妹と墓参り.親戚の墓にも順に線香を立てて廻った.いずれ私もこの墓地に還る.そう思うと心安らぐ.それから同窓会に参加し,そして戻ってきた次第.私のささやかな思い出深い一日であった.考えようによっては,これほど贅沢なことはない.ほんとうに有り難い一日であった.また,このような一文が書けるもろもろにも心から感謝する.写真は,「冠句之巻」表紙と私が天をもらった句.先生の筆.そして新緑の宇治公園の十三之塔.後方向かって左の山が,私が天をもらったときの題である「いなり山」.二十二日,加筆.