吉祥院天満宮

 京都市南区にある吉祥院天満宮に参ってきた.この吉祥院が地名となっている京都市南区吉祥院はわが母の里.都市近郊の農家であった.その家はもう今はない.天満宮は前から一度参りたいと思っていたが機会がなかった.先日,サイトのアクセスカウンターが1000000となたのは6月25日.菅原道真の命日,旧暦の承和12年6月25日(845年8月1日)である.そして25日は天満宮の縁日.それで,ああそうだ,今度京都に行くときに,吉祥院天満宮に参ろうと思い立ち,今日は少し早めに家を出て,西大路駅で下車,南に歩いて,参ってきた次第.
 吉祥院天満宮は,京都市上京区北野天満宮より早い934年(承平4年)に創建された初の天満宮,菅原家が信仰する吉祥天を祀る吉祥院を邸内に建立し氏寺としており,菅原道真生誕の地とされる.天満宮は神社.吉祥天は佛教由来であるから,神仏習合の典型である.もっとも,もともと吉祥天自体も,もとはヒンズー教の神であり,習合は日本だけではない.日本の神仏習合は,日本列島の風土や自然観に適応した,一つの宗教,あるいは一つの自然観とその下での人間の生き方である.
 言い伝えでは,菅原道真の生誕の地といわれるここ吉祥院天満宮は,祖父の清公(きよきみ)が遣唐使として唐(中国)へ向かう途中,海上で霊験を得たという吉祥天女を,帰国後自ら刻みまつった「吉祥院」がはじまり.その後、道真の御霊をまつる天満宮が創建された.菅原道真は今日では学問の神であるが,もともと天満宮は道真の怨霊を鎮めるために建てられたものである.
 この京都の南の地は古くより六斎念仏が盛んで,かつては京都の六斎念仏の中心的位置を占め,盛大に開催されていた.現在でも吉祥院天満宮の大祭が行われる毎年4月と8月の25日に「吉祥院六斎念仏」が奉納されている.昔京都にいた頃,壬生寺壬生狂言をよく見にいった.こういう習俗に溶け込んだ宗教行事にひたっているのは,きらいではない.小さい頃の地蔵盆の思い出があるからかも知れない.機会を見て,またこの六斎念仏も見にいこう.
 駅から歩いていると,戦後間もなく,父や母と東海道線の高架沿いの道を母の実家の方まで歩いたことなどを思い起こした.本当に長い時間が過ぎてしまった.