根拠を問う(二)

 青空学園の対話版・掲示板の方に「ここは一体数学を通して若い人々を啓蒙してゆくサイトなのか、反原発活動を紹介するためのサイトなのか、どちらなのですか?」という無記名の書き込みがあった.このときは時間がなく「啓蒙の時代も紹介の時代も終わっています.一人一人の生き方が問われる時代です.」とだけ返事をした.
 もうすこし言いたいことを追記しておこう.
 学校で証明するということを習うが,「証明する」とは何も学校やテストの中だけのことではない.またこれは何も数学だけのことではない.すべての科目の勉強から,根拠を示して証明するということを,学ばねばならない.そして私は,数学を本当に勉強し,「証明する」ことが血肉になれば,反原発はその結果としての当然の,その人の立場,人生態度になると思っている.

  1. 数学をとおして「証明する」ということを深く学べば,それは問題の中だけのことではなく,すべての命題に対する基本的な態度となる.
  2. そのうえで「原発は安全だ」という命題は真か偽か考える.安全だという根拠は何か,それを自分で調べる.すると,これが何ら根拠のない,原発を世界戦略に位置づける人たちのおしつける命題であることがわかる.ここまでは2011年3月11日以前の段階.
  3. 2011年3月11日,事実でもって「原発は安全だ」という命題は偽であることが証明された.
  4. 今日,規制委員会は「活断層が下を通っていなければ安全だ」という命題に置き換えようとしている.しかしこれも偽であることが,すでに福島で示されている.福島第一の下に活断層はなかった.しかしあの核惨事である.

 学問とは,本来何らかの言明に対し,その根拠を問うことがはじまりだ.文明の発展期は必ずそのようである.しかし,近代日本の文明における教育は,根拠を問うことを教えない.前に,「根拠を問う」で「日本の教育は明治以来一貫して,根拠を問うことを教えないできた.むしろ根拠を問わないように問わないように小学生の時期から大学教育まで,生徒や学生を誘導してきた.根拠を問うことなく結果を受け入れる.そうすることが,近代日本の出世の道であった.こうして官僚制と原子力村が形成された.」と書いたが,それはいよいよ正しいと思う.
 今日,もう「原発は安全だ」が偽な命題であることは確定している.しかも,現実は厳しい.福島第一の汚染水や,相続く余震と4号炉がいつ崩れるのかという問題は,まったく途方もない問題である.そして,その上で,目下の最大の問題は何か.国民の生活を第一とする政府の下で,福島対策委員会を設置し,可能なら小出先生にも入っていただき,福島の現実をそのとおり国民に知らせ,人類がこの福島の核惨事にいかにするかの智慧を絞らなければならない.つまり問題は,原子力村の政府や政権を覆えし,事実を隠さないで福島の現実向きあう政権をいかにして作るのか,という段階に至っている.そうではないだろうか.
 それにしても考えることが多い.仕事では,月末までに問題をたくさん作らなければならない.授業もたくさんある.今日は問題選定の依頼が入った.それでも酒も飲まねばならない.また,最近読んだ『文明と経済の衝突』(村山節,浅井隆著,1999年)では多くのヒントを得た.これも消化して,まとめてみたい.そしてやりかけのままの事々.
 それでも忙中閑.今日は一日彼女の故郷に二人で帰省.親の墓などに参り,草引きと掃除.そして線香を立て合掌.兵庫県の西端.中国山地が迫る千種川上流.白鷺が美しい.まさに故郷の山河.しかし過疎の里.地元の産業は農業と林業.若者の多くは町に出る.それでもこの地には農村歌舞伎の舞台が残っていて,小学生がその復興に取り組んでいる.秋の一日その興行がある.十年前にいちどそれを見た.
 写真は千種川上流.鹿よけの柵.中央左,遠くの木立のうえにいる白鷺.これを精一杯の望遠で撮った.そして義兄が退職後週末は帰ってやっている無農薬の田,向こうに小さく写っているのが墓.大師堂.弘法大師をまつって古くからあるお堂.家の裏にある.世話をする人たちが老いて,なかなか維持は大変だ.私も結婚して40年弱.ここは第二の故郷になった.こういう所に寮を作り,せめて福島の子供たちを疎開させるべきだ.やろうとすれば出来る.そんなことを考えながら,彼女の妹からたくさんの野菜をもらい,ものすごい雨の中を中国縦貫道で帰ってきた.