吉祥院六齋

 今夜は京都は吉祥院天満宮まで吉祥院六齋を観にいってきた.吉祥院天満宮今年の六月にいったが,今回は六齋鑑賞が目的である.
 この二週間ばかり,夏の授業に問題作りそして私事等々で,忙しかった.問題作りに集中すると,朝の4時頃から目が覚めて,夢うつつの中で考えている.それやこれやでようやく今朝原稿を送信.
 昨夜来の猛烈な雨も昼にはあがり,どうなるかと思ったが,夕方,雨上がりの夏祭りに加わることができた.京都市南区吉祥院は母の里.それもあって機会あればいちどは行ってみようと思っていたのが,今年実現した次第.
 福島の原発はいよいよ大変なことになってきている.二年前から手を打っておけばもっと違っていた.汚染水をタンカーに積んで柏崎で処理すべきだという提案もあったが,それもなされず今日に至っている.核汚染がこのまま地下水脈をとおってどこまで広がるのか.あるいは沖に出た汚染が広がり沈みどのような事態になるのか.今日の事態は,この二年半の政治の無為無策の結果である.こんな政治を存続させることは,人間と地球に対する冒涜である.
 そんなことを考えながら,神戸東灘のJR線が,川の増水などでほとんど動いていないので,阪急電車で京都へ.西京極駅から吉祥院の方へ歩くつもりがうまくバスが来て,思いのほか早く現地についた.五時過ぎ,明るいうちに露店を一通り見た.私の地元の夏祭りの店は地域のいろんな組織でやっているが,天満宮のは昔からのテキ屋の人らの夜店.そこを通って天満宮に参拝した.それから近くで食事をして,一杯.祭の日には明るいうちから飲むのもよし.
 七時前から九時過ぎまで祭りの中にいた.吉祥院六斎は平安時代空也の踊り念仏に起源をもつといわれている.吉祥院六斎念仏にもあるように,その起こりもいろいろ言われているが,京都近郊の農村に伝統的に伝えられてきた踊り念仏なのだろう.
 それほど観光客が来るわけでもなく,まったく地元の祭だ.若者も多く,また小学生や中学生がこの伝統行事を引き継いでゆくために,加わっているのが嬉しい.現地でもらったビラなどを見ると,「吉祥六齋保存会」や「ふれあい吉祥院ネットワーク」などいろいろな人々がこの祭を支えているのがわかる.
 こうして今風なあり方で,それでも確かに伝統が引き継がれてゆく.舞台でのそれぞれの演技そのものは洗練されているとは決して言えない.それぞれ仕事を持つ若者や大人,また学校のある子供らが,一所懸命やっているという感じである.ただ長くこれを担ってきた人のばちさばきや笛の音はさすがである.こうして技もまた引き継がれてゆく.この吉祥院天満宮の夏祭りは,いろいろと日本列島弧の祭りというものや芸能の起源を思い起こさせる.
 いつのまにか最後まで観ていた.二組の獅子の舞が山であった.二人で一つの獅子を組んでいるのだが,それが連続して後方に回転する.日頃の練習の大変さを思う.そして最後に土蜘蛛が現れる.土蜘蛛が放つ蜘蛛の糸,細い紙の先に重りをつけて巻いたものなのだが,それを受け取るとお金が入ってくるらしい.こちらもうまく一つ手にとって持って帰ることができた.霊験やいかに.
 帰りのバスでは私の隣で大きい望遠レンズを構え熱心に写真を撮っていた人と一緒になった.八三歳.コンテストに出すのが趣味だそうだ.生まれは吉祥院,いまは宇治ということで,話が弾んだ.縁があればまたどこかでと,別れてきたが,まさに一期一会だろう.
 このような祭りが,この日本列島弧でいつまで続けられるのだろう.核惨事と核汚染が深まる中での,吉祥院六齋念仏会であった.
 もどってもう一度読み直したが,新潟県知事は立派である.8月21日 泉田知事定例記者会見要旨より.

後手後手というかその場しのぎというか、この間の海に汚染水が流れ出ている問題もそうなのですが、問題点は前から指摘されていたわけです。それが実施できなかったのはなぜなのかと言うと、菅元総理がインタビューに答えているとおりで、経営上1,000億の投資は負担になるのでやらないということだったわけです。地下水が流れてくるということがわかっていながら地下水遮蔽対策を怠ったということですが、その原因が東電の経営問題にあるということです。…
チェルノブイリのときはもっとよい対応をしています。私は当時、旧共産圏のソ連という国は国民に情報を伝えないし、放射能が拡散しているのにも関わらず国際機関にも通知しないということで、何と情報閉鎖的で国民のことを考えないひどい国なのだろうかと思っていましたが、地下水汚染を防ぐために必死に努力していたのです。国中から炭坑夫を集めて、溶け落ちた燃料が地下水に接触しないように先回りして穴を掘って塞いでしまうという対応まで行っているわけです。地下水対策をきちんとやらないと河川に流れ出てそのあと海に行ってしまいます。それは国際的に大問題になるので何としても防がないければいけないということで、国家が総力をあげて対処したわけです。国民に対しては、放射線管理区域は年間約5ミリシーベルトということになりますが、それを超えるところと世界標準の年間1ミリシーベルトから5ミリシーベルトの間については移住権を与え、選択肢を与えています。事後的に基準を緩めて放射線管理区域に人が住み続けるなどということはしないで、まじめに対応したということですから、日本と違ってかなり立派なのではないでしょうか。

まったくその通りである.詳しくは,例えば「かっちの言い分」さんなどを見てほしい.日本国は,福島の事故をこの二年の無策でよけいに悲惨なものにしてしまった.核惨事が惨事であるのは,このような政府の無能・無策も含めてのことだ.それにしてもこの期におよんで五輪招致であるから,原子力村はほんとうに愚かである.愚かさに気づけない愚かさである.動員されてついてゆく選手も選手だ.再び思った.原子力村をこれ以上存続させることは,人間と地球に対する冒涜である.
この夏は,地元と京都と二つの祭りの輪に参加した.新興住宅地の祭りと千年前に起源をもつ祭りである.いずれの祭りも後の世に残さなければならない.それが出来るまつりごとのおこなわれるクニにしなければならない.