西表島

 西表島(いりおもてじま)で三泊してきた.次男一家が連れて行ってくれた.孫とあわせて五人の小旅行であった.快気祝いをかねてと書きたいところであるが,その判断はもう少し先になったし,子どもらにも治ったと思わずときどき見てもらうくらいの気持ちでないとともいわれたので,自然のなかでの療養をかねてということになった.
 まえから八重山諸島には一度はいってみたいと思っていた.それでいて,西表島については石垣島の横にある小島と思いこむくらいに何も知らなかった.実際は沖縄では本島に次ぐ二番目に大きい島で,そして人口は2000人.かつてはマラリアがすごく,人の住みにくい島であった.結果として,このような自然が残った.西表島の名はイリオモテヤマネコで有名であるが,気候や風土,その土地の現在など,行ってみて,わかることばかりであった.
 月曜日,大阪は雨模様であったが,始発電車に乗り,関西空港から石垣島まで2時間.空港から港まで1時間.そこからもう1時間舟に乗って,西表島である.途中の待ち時間を入れても約8時間で自宅と西表島である.島に着くとそこは真夏.亜熱帯のスコールが一気に来てまた晴れるという毎日であった.
 車で海岸沿いの道を走り西表野生生物保護センターへ行ったり,古い街の祖納(そない)へいって沖縄県でもっとも古い住宅を訪ねその近くのマエドマリ御嶽に参ったり,孫と三人で遊覧船で両岸がマングローブのヤエヤマヒルギ,オヒルギ,メヒルギなどの木々が繁る川を上ったり,2人乗りのカヌーで海に出て釣りをしたり,西表の土と上薬で焼き物を作っているところを見学して少し買ったりと,時間を過ごしてきた.
 西表島竹富町に属する.竹富町は,歴史教科書の採択問題で文科省に対して原則を通し,「つくる会」系の育鵬社教科書を拒否した町である.そのことは「八重山教科書採択問題で下村文科相の「敗北」ほぼ確定」に詳しい.国は,石垣島などにも自衛隊の基地を置こうとしている. 八重山諸島沖縄本島のように基地を展開しようとしている.その中でこの教科書問題も出てきた.「つくる会」系の教科書を使わせようとした人らは,このような自衛隊配備などの下準備の心づもりがあったのだろう.とにかくそれをはね返した町である.しかし,竹富町の各方面に対して国によるさまざまな圧力と工作は続いている.今は九月はじめの町議会選挙が焦点である.
 沖縄の未来は,基地を撤去しその後を基盤整備して,東アジア交易の拠点と観光の島として生きる,ここにしかない,と考えてきた.その観光も自然を保護しこれを後世に残し伝えてゆくことと,観光客を呼び込むことにはさまざまの矛盾があることもいってみてよくわかった.滞在したホテルは数年前にできたのだが,ウミガメが産卵に来る海岸にある.それに影響が出る.またそれだけ車の走りも多くなり,ヤマネコの保護と矛盾する.やはり西表の自然を壊してゆくと,地元には反対の声と運動があることも,行ってわかった.
 イリオモテヤマネコは現在約100頭が生息しているといわれる.西表島は,信号が2つしかない.その一つは小学校の通学路にある.中学を出ると高校からは石垣島沖縄本島にゆくのだが,信号機を知らないとそこで困るということで,教育として置かれているそうである.それくらい交通量は少ない.走っていてもほとんで対向車に出会わない.それでもヤマネコなどの野生動物がときどき車にはねられる.特にこの時期はなれない子猫が事故にあう.「来週にも野生復帰か 交通事故のヤマネコ」等の八重山毎日新聞の記事.西表野生生物保護センター自体,事故にあったヤマネコの保護からはじまっている.そのヤマネコは自然に戻ることはできずこの保護センターで長生きし,そして今ははく製となって展示されている.
 長い長い東アジアの海の交流のうえに西表島の現在がある.大陸の黄河文明とは違う海の文明である.私自身が海の民の流れにあることも実感した.観光と自然保持と,外からの旅行者に安易なことは言えないが,われわれのようなものが比較的行きやすく,日頃見失っていることを思い出せる自然があり,しかもその自然がより守られる道を見出していってほしい.
 八重山の歴史,その言葉や生活の歴史.いろいろな生活の形.その風土に身を置いて,考える.こういう時間をもっておけば,戻ってから本を読んでも,理解がその分深くなる.最後の写真は,三日目に食べた八重山の地元の料理の最初に出てくる前菜である.左から二つめが豆腐よう.関西では沖縄料理専門の店にいかないと食べられない.これを地元の泡盛でいただく.この味わいは,この風土の中でこそである.これからの仕事のことなどいろいろと考えていると思わぬ着想が浮かんできたりもした.
 命の洗濯という言葉があるが,まさにそのような時間であった.そして,泡盛や豆腐よう,菓子類などを手に入れて戻ってきた.何か新しい命を重ねることができたような気持ちがしている.こういう時間がもてたことに心から感謝する.