S1会

 今年はわれわれの世代が大学生になって半世紀の節目の年である.同窓会が5つあった.小学校,中学校,高校,大学教養のクラス,数学教室,である.このうち地元の用事と重ならなかった,小学,高校,大学教養の三つに出た.一番素直につきあえるのが小学校の同窓会だが,一方,大学1年のも,あの時代を経たその後の人生を聞き知れば,いろいろ感慨がわく.
 昨日はその大学1,2年のときの理学部1組のクラス会があった.S1会と皆はいっている.昨日は10人以上が参加し,京都は六角通り新町上ルの古い日本料理屋で昼食会をしてきた.最初はビールであるが,あの料理には熱燗しかない.みなで日本酒を味わいながらの一時であった.このクラス会はもうだいぶ前からやってきたそうであるが,こちらは知らなかった.2011年2月の「人と会う(続)」,2014年2月の「言葉と数学は人間の条件」に書いたように,ロシア語クラスの蟹江幸博さんに再会したことにはじまる過程をたどって,「六月の金曜行動」に書いたように,その彼に誘われ昨年六月六日の数学科の同窓会に出た.そこでS1クラス会の幹事の人に出会い,次のクラス会を呼びかけるからということになって,昨日こちらも出かけたきた次第である.「旧友に会う」に書いた高校からの友人は,私の方から幹事に連絡し,彼も参加してきた.
 私にとって,数学科へ行った人以外は四八年ぶりの再会である.数学科へ行った人らとは二年間近いストライキのあいだいろいろな話しあいなどを一緒していた.そして、四六年ぶりの再会ということになる.当時理学部の教養課程では第二外国語でクラス分けしていた.1組はフランス語のクラスである.数学科を出てから何年か浪人して人類学に変わって京大で教員をした人,独力で勉強して司法試験に通り今も弁護士をしている人,ベトナムが気にいって退職後はハノイで暮らしている人.左翼党派の府委員長の彼.ながく働いた仕事を終え,その後,JAICAからガーナで統計などを数年教えてきたという人もいる.いつまでもやめられないと仕事を続けている人もいる.私もふくめて理学部1組は実に多彩である.何人かは亡くなり,何人かとは連絡も取れない.それぞれはなしてゆくうちに時間はすぐに経ち,また再会を約して分かれてきた.その後数人でお茶を飲みながら2時間近くいろいろ話した.それぞれの人生を踏まえての言葉に考えさせられることが多かった.資本主義の拡大が限界に来ていること,ものの循環する拡大しないで分けあって生きることの大切さを力説する人もいて,そうだそうだという話しもした.神戸に帰る2人と途中まで一緒した.
 昔京都を出て兵庫にゆくとき,もう京都で何かすることはないだろうと思っていた.そのつもりであった.それでも塾講師の仕事をしてきたこの20年は,授業で京都には毎週来ていた.そして京都の街は懐かしく,自分の体のようでもあり,毎週京都で少し飲んで帰るのを楽しみにしていた.それでも,大学に関係することはもうないだろうと思ってきた.しかしそれがあの地震の頃から少し変わってきた.数理解析研究所での教育数学の研究会に出て彼と再会し,その3年後にこちらも報告し,そしてこのようにクラス会にも出ることになった.また,年に一度,夏の京都相国寺での座禅も,今の生活になくてはならないものになっている.智勝会の人に再会したのも、2011年の秋であった.不思議でもあり,必然であるかも知れない.などなどいろいろ来し方を振りかえる時間であった.
 それで今日は,これから元気なうちにしておきたいことなどいろいろ考えた.私の基本は,新しい時代の人間の土台となるよう,言葉を掘り下げ拓き耕すことである.自分のうちにある思想をもっとかみ砕いて語りたい.あわせて,高校から大学につながる部分の数学をもう少しまとめる.それは言葉の実践そのものであり,それがまた教育数学である.そして,そういう人間として地域の活動をすることと,一人の人間として政治意志をあらわすために可能なときに街頭にも出て活動もすること.そして,家人がやっている子育て支援のNPOを手伝うこと.そんなところであるが,授業や問題作成の仕事もそれ自体面白くまだまだやめないので,時間はいくらあっても足りない.そして毎日,一献一献である.本当にわれながら酒好きである.大津に住む妹が地酒を送ってくれたということだ.間もなく来るだろう.