ある雑誌への寄稿(二)

nankai2016-12-25

 今日は,私の亡き母のこれもまた亡き兄のその夫人である人の葬儀で京都は右京の天神川沿いの斎場まで行ってきた.このおばさんは行年105歳であった.京都市南区吉祥院の農家で働き続けた人である.最後は介護施設に入っていたが,2日前にも入浴するくらいであったそうである.まったくの眠るが如き大往生であった.私は25年ほど前,国鉄西大路駅で降りて母の実家であるかつての家に立ち寄り,お茶をもらったことがある.それが最後にお目にかかったときであった.
 斎場ではたくさんのいとこたちに再会した.その母の兄のおじさんの葬儀以来であるからもう40年に近い時間が経っている.京都もJRより北の西大路通りより西へはめったに行かない.ここは西京極運動場にも近く,今日はそこをゴールに高校の駅伝も行われていて,人の出は多かった.西大路四条の阪急西院駅から斎場までを歩いて行き来しながら,いろいろ思い出した一時であった.
 さて,雑誌『日本主義』の第36号に,「いま『夜明け前』を読む」という一文を寄稿した.小説『夜明け前』島崎藤村の晩年の作であり,主人公の青山半蔵は藤村の実父を原型としている.拙稿のもとになったものは,2004年に作成し青空学園日本語科に置いていた「『夜明け前』を読む」である.これに,それからの12年の世の変転を踏まえて増訂したものである.この12年をふり返ると,2008年にはじまり今日も続く世界的な経済危機,2011年3月11日の大地震による東京電力福島第一原子力発電所の核惨事,2015年に大きく顕在化した難民問題と,歴史が今転換期であることを否応なく教える出来事が続いた.
 本稿は,この時代に立って,もういちど島崎藤村『夜明け前』を読みなおそうとするものである.来年は戊辰戦争から150年目,つまりは明治維新から150年である.この150年はどのような時間であったのか.それを考えるときに立っている.つまり,西洋帝国主義の圧迫のもと近代日本がはじまり,その日本自体がまた帝国主義の段階に入り,そして今日まですすんできたのであるが,いったいそれは何であったのか.あの戦争の敗北と福島原発の核惨事に至りつく近代とは何であったのか.
 物語は「木曽路はすべて山の中である」との一文ではじまる.青山半蔵は,木曽の馬籠で本陣,問屋,庄屋を代々の家業とする家に生まれ,その家業を継ぐ.半蔵は,本居宣長平田篤胤を敬い,篤胤の弟子として明治維新に王政復古の夢を託した.だが明治維新は半蔵が夢見たものではなかった.維新の現実に絶望した半蔵はついに狂い,座敷牢にその生涯を終える.
 戦前の国家神道軍国主義の時代に立ちかえることを掲げる潮流が、いまの日本政府を主導している.しかし島崎藤村『夜明け前』は,明治以降の近代日本が,徳川封建制を倒すためにまさに一身を捧げた多くの人々の心を踏みにじってできたものであることを,痛恨をもってふりかえっている.それを素直に読むなら,今日の戦前へ復帰しようとする主張が,いかに幕末の志士たちを裏切るものであるかが明らかである.近代日本が,あの幕末の志士たちの願いを裏切って成立したものであるのなら,今われわれは何を大切にしてこれからの世を考えてゆかねばならないのか.こういうことをこの寄稿の一文では考える.
 さらに私は,この島崎藤村の晩年の小説を読み解きながら,幕末の彼らが夢見た「あの古代の人の素直な心」こそ,資本主義が終焉にむかいつつある今,新しい人間の時代を築く人々の心として顧みられ,そして現代に甦るべきと考える.これは私の思いであり,またできるところからやってきた青空学園を導く理念でもある.活字にしてみて,さらに掘り下げるべきことが多々あることに気づく.間もなく雑誌もこちらに届くだろう.9月に35号を送らせていただいたところには,送りたい(追伸:27日発送).本屋に並ぶのは27日のようだ.ジュンク堂系の書店には置かれている.機会あれば手にとって読んでみてほしい.送付希望があれば連絡ください.
 こうして2016年も暮れてゆく.明くる年は,数学の方でももっと時間をとり,教育数学についてまとめたり,講座を開いたりしてゆくつもりである.いろいろと,し置かねばと思うことが多い.それは,この歳になると,何をしなければならないのかがいっそう明らかになるとともに,残された時間に限りあることもまた,明らかとなり,後世に引き継ぐためにここまではしておきたいという気持ちが募るからだと思う.せめて日本語の根底に関わる問題と,教育数学については,後世だれかがこれを引き継げるところまでは実際の形にしておきたい.そして,そういうことを考えやっている人間として,地域のためにできることをしておきたい.
 明日から3日間は年末夜回り.拍子木をたたいてマイクで戸締まり用心,火の用心とやる.天気はどうだろうか.そして夙川学院跡地の再開発では,地域の老人から小さい子供までが集える場を作るつもりである.それについても年明けからいろいろすることが多い.
よい年をお迎えください.