暑き晩夏に「知ってはいけない」を読む

 私の季節感では,八月十六日の京都五山送り火が終わると夏も終わりの時節となるのであるが,今年も昨年同様に暑さが厳しい.日本に戻って昨日でちょうど三週間,これも自分で読み返すための記録としてこの間のことを書いておく.
 昨年,二本の文章「いま『夜明け前』を読む」と「言葉の力と生きることの意味〜日本語の再定義を求めて」を雑誌『日本主義』に寄稿したが,それらをまとめ,書き足して一冊の本にしようと提案してくれた人がいて,まずその原稿作成に打ち込んだ.来年は明治維新から百五十年の節目の年である.島崎藤村『夜明け前』の読解をさらに深め,藤村が幕末の志士の願いとして心を込めて描いた「古代の人に見るようなあの直ぐな心」「あのすなおな心」を,日本語の再読みこみを基礎に,現代において取り出し,これからの時代のいしずえとする.この日本近代が何であったのかを考える基礎的な作業である.
 帰りの飛行機で入力したところからはじめて,いろいろ書き足し再構成し,それを校正して,ようやく先週の後半に,提案してくれた人に送った.彼がまず読んでそれから出してくれるところをさがすという.もし引き受けるとことが見つかれば,彼との対談をつけるつもりである.この歳になって,本にまとめようというのは,遺言を書くようなものである.身を削るようなところがあり,まとまればまとまったで,次の課題も出てきて,なかなか尽きない.帰ってからも役所との話し合いや夏の行事の準備,授業も続いてあって,大変ですねと言ってくれる人もいるのだが,こちらはそれらのことがむしろ息抜きになるようなことであった.
 これを書いているときに,十六日発売の矢部宏治さんの新刊「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」が,予約してあったので来た.一気に読む.2013年4月28日にアベ政府は「主権回復の日」式典を開催した.そのとき「「主権回復の日」は奴隷の言葉」に書いたことが事実であることを,この矢部さんの新著は示している.そして,アメリカ軍によるこの70年の支配体制のからくりを,事実にもとづき克明にかつ中学高校生にわかるように書いている.知らねばならないことの書かれた,必読の書である.
 矢部さんが示すように,現代日本の最も基本的な問題は,この世界史的にも例を見ないような対米従属体制から,いかにして自らを解放するのか,という課題である.そしてさらに,これは私の原稿で強調しているところであるが,いま資本主義は不可避に終焉にむかっている.この基礎的な条件のもとで日米関係もまた動いてゆくし,この条件のもとにわれわれの課題もある.矢部さんも,この先十年を越えるあたりから大きな変動に直面することを言っておられる.私の原稿のひとつのまとめは,

資本主義の行きついた果てとしてのアメリカは、現代のローマ帝国であり、資本主義の終焉という条件の下で、解体過程に入ったローマ帝国である。敗戦後、一貫してこのアメリカに隷属してきた日本は、帝国アメリカの解体過程のなかで、激しく世が変動する。これは避けられないことである。
このとき、すなおな心をその根底におく日本神道は、歴史の求めに応じてゆこうとするものに対して、生きる道を指し示す。

ということであった.ここで言う「日本神道」については,さらに「日本神道(一)」,「日本神道(二)」も参照してほしい.どれだけの人が今このことを理解してくれるかは別の問題であるが,書き置けば,いずれ誰かが読むだろう.今回の原稿は,本にするところが見つからなければ,青空学園に置いておく.
 これを仕上げて,息つく暇なく,二十日は地元にある公園での地域の防災訓練とその後の夕涼み会をおこなった.災害時の非常食であるα化米を試食し,こちらがドイツで買ってきた白ソーセージや、それぞれもちよったものをいただきながら,フラダンスや紙芝居で懇親を深めた.そして二十四日は,地域にただ一つある地蔵様の地蔵盆である.私も世話人なので朝から夜まで途中交代して世話をさせてもらった.これらは昨年「暑い晩夏に」に書いたことと基本は変わらない.
 小学生の頃,二十三日,二十四日の地蔵盆が終わると,もうすぐ二学期だなあ,宿題がまだ済んでいないなあ,などと思ったのをどこかに覚えている.そういう季節感のある行事が,いま住んでいる新興の住宅街には少ない.小学校校区の夏祭りのほかに,地元自治会の花見会,防災訓練と納涼会,年末の夜回りを,地域の年中行事としてこれからも続けて,残して置きたい.
いろいろ思うところもあり,考えさせられた,いい夏であった.