動きはじめたのか

 今日は梅田解放区の日.今夜の参加者は多かった.20人以上か.辺野古帰りの若者.東京で反貧困と福島被災者支援をやっている人.よく見かける和服の人.それぞれが喋った.ラップ調で喋る若者もいた.うまい.トランペットが2人.小太鼓とシンバルを鳴らす人,他にも太鼓の人もいて,賑やかに,予定より半時間はよけいにやってきた.
 こちらは横断幕をもつことをやっていて喋らない.写真も賑やかになる少し前のである.横断幕をもち道ゆく人を眺めながらいろいろ考える.
 この数日,戦後70年の日本政治を省みるべきことが続いている.このように続くことの歴史的意味は何か,それを考えていた.

 第一は,先日の沖縄知事選挙である.戦後政治は沖縄をアメリカに差し出し,基地そのもを含め見せたくない不都合なことごとを沖縄に押しつけ,外から見えないようにして来た.これに対する,人としての尊厳をかけた闘いであった.玉城さんの大差での勝利は,戦後政治の行きついた果てとしての人でなしのアベ政治に大きな打撃を与えた.

 第二は,韓国からの問題提起である.韓国政府は,韓国の済州島で10月11日に開かれる国際観艦式に参加する自衛隊艦船に,旭日旗の掲揚を自粛して欲しいとが申し入れてきた.その要請は日本にだけ向けられたものでなく,参加予定全14カ国に対して「自国と韓国の国旗のみ」を掲揚するよう求めたものであった.
 ところがこれに対し、自衛隊の河野克俊統合幕僚長は、4日の定例記者会見で,拒否した.いわく「海上自衛官にとって自衛艦旗は誇りだ。降ろしていくことは絶対ない」韓国側との調整がつかず,ついにアベ政府は自衛隊艦船の派遣を中止した.
 旭日旗は,1870年に大日本帝国陸軍の陸軍御国旗(軍旗)として初めて使用され,1889年に大日本帝国海軍軍艦旗としても採用された.いわばドイツナチスのカギ十字旗と同じ意味をもつ.ドイツでは,カギ十字マークの使用は民衆扇動罪適用の対象となる.第二次大戦での受章者に対しては,1957年にカギ十字を柏葉に置き換えた勲章を改めて渡している.であるから,自衛隊の艦船が旭日旗を掲げることは,侵略された側から見れば,ドイツの艦船がカギ十字を掲げることとかわらない.自衛隊幹部には,その苦痛を思う心がない.沖縄の苦悩を思うことができないのと、同じである.

 アベの覚えめでたい統合幕僚長は、旭日旗が誇りであると言う.それでは,あの戦争をどのように考えているのか.統合幕僚長の思想は,軍国主義日本への回帰を掲げる日本会議の思想そのものである.
 戦後政治でいえば,海上自衛隊の前進である保安庁警備隊が編成され,1952年に警備隊旗とされたものは旭日旗ではなかった.1954年に防衛庁自衛隊に格上げされたとき,旧日本軍の旭日旗が,陸上自衛隊自衛隊旗(八条のもの),海上自衛隊自衛艦旗として復活したのである.
 艦旗を掲揚する事は国際法で求められている(つまり民間船と軍艦の識別の必要がある).しかし日本国憲法に基づけば,自衛隊は軍隊ではない.したがって,もともと国際観艦式に自衛隊が参加することはないのである.真逆の方向からであるが,政府と私と派遣中止は一致した(笑).

 この問題は,あの侵略戦争を総括することなく,戦前の文官,武官を問わずそのまま戦後体制に居残らせたことが、こうして具体的な形で問われることとなった.私は『神道新論』の中で,

 戦後政治は国家神道を根底から見直すことがないままにはじまった。それに対応して、戦争責任もまた内部から問われることなく、明治維新ののちに成立した官僚制などの基礎組織はそのまま残り、今日に続いている。
 この象徴天皇制によって、まず戦後革命を抑え込み、そして、あれだけ「鬼畜米英を撃て」と国民を動員して数百万におよぶ犠牲を出しながら、その後は一転、対米隷属の政治となる。国家の基本法である憲法に対し、その上に安保条約がある体制が戦後一貫して続いてきた。立憲主義が実際におこなわれたことはいちどもない。

 そして、ついに福島原発の核惨事にいたるのである。これは、非西洋にあって最初に近代化をとげた日本の、その近代の一つの帰結であった。

と書いたが,旭日旗が戦前は軍旗であり,戦後は本来軍ではない自衛隊を軍としてその軍旗を旭日旗とするということは,戦前戦後が通底している事実を象徴するものであり,私の論証に根拠を一つ加えるものである.

 そして第三,10月4日のNHKニュースが,羽田空港の新飛行ルートを増設しようとしている日本政府の方針に対し,米軍がそれを認めようとしないことを伝えた.同じニュースが「羽田空港の新ルート、米横田空域通過認めず実現困難? 横田空域って何?」や,また「オリンピックや外国人観光客のための羽田新飛行ルートを在日米軍が断固拒否、日米地位協定が足かせに」にもある.
 その後全国紙は報じなかった.日本は米軍に主権放棄状態であるという「不都合な真実」だけは,絶対に国民に知らせようとしない.日本の制空権は日本国家にない.アメリカ軍にある.それは,日本国憲法の上に安保条約があることの帰結である.
 これについては,矢部宏治さんの書をとおしてこのブログでも紹介してきた.2014-10-24 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか2016-06-05 市民と野党の共同アピール2017-08-25 暑き晩夏に「知ってはいけない」を読む 等で、紹介してきた.

 しかし,その後政府はこれに関する交渉を止めたようだ.全国紙での報道もそれ以降まったくない.しかしいかに政府が隠そうが,この問題が現実に出てきた.これは大きい.

 アベ政治のあまりの酷さに何かが動きはじめたのかも知れない.道ゆく人の態度もずいぶん変わってきた.1000円のカンパをくれた人もいた.しかしこれが本当の動きとなるには,まだまだである.そう考え,いささか身を引き締めて戻ってきた.