晩秋の週末

 この二,三日は忙しかったが,充実もしていた.16日金曜日は,地域アソシエション研究所の総会があった.私は個人会員になって久しいが,総会に出るのははじめてであった.総会の後は交流会.昔から知っている人が過半であるが,知らない人も少なくない.この人々らの集まりは,上田等さんなどがやってきた,自分たちで仕事も作りながら,いろいろな活動もしてゆくという人の輪が中心である.ここに,私の上田さんの追悼文がある.彼は本当に戦後の運動を関西で作ってきた人だ.そして,この交流会で,大阪哲学学校世話人などもされている田畑稔さんに出会い,自著『神道新論』を手渡すことができた.読んでいただいてどこかでまた意見交換ができればと思う.

 17日土曜日は,午後の後半に授業があり,それが終わって梅田に出る.この日も梅田解放区をやっている.しばらくそこに参加して声をあわせる.そして,遅れていったのに,また早めに別れてそこを出る.
 ある予備校の模試の問題を作っている人ら数人の懇談会にゆくためである.東京から担当の人も来ていて,来年度の話しになる.そこで提案されたのが,私とM先生で年4回のある模試を作れないかということだった.すでに,私は年2回ある模試を作り,M先生も年2回ある模試を作ってきた.それに加えて,2人共同で年4回の模試作成ができないかということであった.私の青空学園をみて連絡されたのが,福島の地震の翌年.ここには,それからいろいろ世話になったし,基本的に依頼のあった仕事は断らないを原則にしてきたので,看板模試なので責任もあるが,引きうけることにした.来年は毎日問題を作り続けなければならない.

 18日日曜日は法事であった.妻の従姉妹の,歳も大分上の人が亡くなり,葬儀には行けなかったのだが,満中陰の法要をするということでいってきた.前に,姫路の病院に見舞いにもいってきた.そのときは元気だったのに,思いもよらず早く亡くなった.法要の前に,妻の実家の方に立ち寄り,墓参りをしてきた.大阪から高速バスに乗り,山崎の次のバス停・葛根で降り,妻の妹の運転する車で,峠道を一つ越えていってきた.
 ここは兵庫県の西部,西播州の中国自動車道より北の方である.家の裏は赤穂に流れてゆく千種川がゆっくり流れている.ほんとうに懐かしいところだ.五年前に戻ったときの写真が「根拠を問う(二)」にある.親が亡くなってもう久しいが,妻の兄が大阪で仕事を少ししながら,週の大半はこちらにきて,米も作ってくれている.
 このあたりは,過疎である.地元の中学が廃校になって山崎町の中学校に統合された.これからどのようになってゆくのかわからないが,この風土は大切にしなければと実感する.
 それから皆でもういちど峠を一つ山崎の方に戻って法要に出た.親の葬儀や法事のときにしか顔をあわさない人らがほとんどである.それでもどこか覚えている.法要の後,そこで食事をいただいて,それから再び高速バスの停留所まで送ってもらい三宮まわりで戻ってきた.

 このような三日を過ごした.いろいろと思うこと,考えることがあった.実に貴重な時間であった.