冬の梅田


 一昨日の土曜日は定例の梅田解放区の日であり,いつものように参加してきた.寒い日で,素手で竿を持っていると手が思うように動かない.幾人かがそれぞれに語る.そしてそれぞれに「アベやめろ」で締めくくる.私はここでは,横断幕をもつことに徹して,喋らないことにしている.道ゆく人を眺めながら,いろいろ考える.暮れの土曜の梅田である.ほんとうに多くの若者が通り過ぎる.この日は,共感の姿勢を示し一緒に声をあげるものもいた.それでも多くは見ぬふりをして通り過ぎる.

 フランスではあのように,地方から,そして下からのデモと闘争が続く.フランスのことは現地から田中龍作さんが伝えてくれる.「【パリ発】3千人拘束、「最賃上げる」もウソ 第5波デモ封じ込めたマクロンの冷酷」が最新である.長い取材になりそうである.どうか気をつけて,今後も現地の動きを伝えて下さい.

 フランスよりも,日本の方がずっとひどい状況なのに,なぜ日本の若者はまだ立ちあがらないのか.日本の働くものは立ちあがらないのか.なぜなのだ.それはこの日の梅田解放区に参加したみなの思いでもある.それでもこのままでは,いずれは米騒動のようなことが起こる.そう,日本の人民には米騒動の経験がある.そして,沖縄の闘いが今日の希望である.現地の闘いを伝える語りもあった.そして,来年も毎月第二と第四土曜に,ここで続けてゆくことを確認して今年の行動は終えた.
 この行動は一年半以上続いている.私は,昨年の暮れから参加している.私も,もう一年が経過した,はやいものだという気持ちであった.その前の数年間は毎週金曜日に関電前集会に参加してきた.
 そのときから思うことだが,街頭に立ち考えるということは,自分にとってたいへん大切なことだ.そういえば実はもっと昔,1972~3年の頃,ベ平連京都で毎月定例のデモをしていたが,河原町四条通を歩きながら,同じことを考えていたのを思い出す.

 そして昨日の日曜日の午後,ATTAC関西グループが主催した,ATTAC結成20年★講演とパネル・ディスカッション〜ポピュリズムの台頭 - 私たちの未来はどこに?に行ってきた.杉村さんが「新自由主義グローバル化の20年、今何が始まっているのか?」と題して講演し,梅田解放区をはじめた園君も第二部の討論会に出るとのことで,参加した次第である.ATTACの歴史は,ATTACなどにもあるが,フランスなどの運動に比しても,日本での活動は弱い.それは日本だけではなく,ATTACが何を目指すのかについての理念が必ずしも統一されておらず,また共有されていないからではないか.この日の討議などを聞いてもそう思われた.この日の講演や討論の内容はいずれ公開されるだろうからここでは略する.

 問題の基本的な枠組は次のようなことだ.

 資本主義は地球の有限性に規定されて,もはやこれまでのような拡大が不可能である.資本主義はその本性として拡大しなければ存続し得ないゆえに,それは終焉する.どのようにして? かつてのように計画経済がそれに代わるのか.いや違う.それは最早ありえない.
 では資本主義の終焉はどのように歴史の現実となるのか.今日の討論でも浮かびあがっていたと思うが,普遍の問題は,資本主義がもはや拡大の余地がなく終焉をむかえているが,次の時代が見えない,その途が見えない,ということである.新自由主義に反対し抵抗する運動が,次の時代への見通しをもっているかと言えば,まだそうではない.大域資本主義が終焉するのはいかなる形においてであるのか.人々のどのような闘いによってであるのか.それが見えていない.
 この問題に関して,私は,資本主義生産関係そのものを変えるかどうかは問題ではなく,資本に人が使われるのか,人が資本を使いこなすのかの問題である,と考える.使いこなす政治を実現する.かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.社会主義が崩壊して以降,その規制はほとんど取り除かれた.日本では小泉政府の規制緩和,そしてアベ政治の規制の岩盤を壊す政策であった.

 これに対して,もういちど規制をもっと強力に総体的に行わう政治をうち立てなければならない.それはしかし,人々の闘いをとおしてしか生み出されることはない.人民の権力によって,資本の放縦な動きを規制せよ.ここにはじまる.この立場にATTACは立て.これを明確にしなければならない.
 フランスの黄色いベスト運動はどのようになってゆくのか.マクロン政権側は運動の押さえ込みと分断を仕掛けてくるだろう.それでも,資本主義の数百年が終わろうとしている時代に,さまざまの激動は不可避である.そこから次の時代を作る運動を生み出し,その国際的な連帯を築いてゆく,これが課題だ.いろいろ考える二日であった.