年の瀬


追伸:30日
 時間のあるときには,夕方犬を連れて1時間から1時間半歩くようにしている.今日は,甲山の麓まで行ってきた.甲山は西宮市南部地域の市街地の北にあり(西宮は北部地域,つまり六甲山系の北側にも広がっている),その山中にみなが「甲山大師」という神呪寺がある.左の写真には山と寺の全景が写っている.時々鐘の音も聞こえる.神の寺という文字通り神仏習合真言宗の寺である。家の北に広がる目神山の高台の住宅地を抜けて,これを撮したところまで,家からおよそ25分で行ける.
 甲山の南向かいのこの丘には,西国八十八ヵ所にちなんだ石仏があちこちに置かれている.江戸時代に八十八ヵ所のそれぞれから砂をとり寄せ,それを敷きつめて,そしてこのような石仏が作られていったようだ.右の写真の向こうの方は北摂の山々である.
 このあたりを歩いて,それから甲山の麓のバス道に出てそこから坂道を下って歩いた.途中の森林公園の入り口をへて甲陽園に戻り,自宅まで行き帰りあわせて1時間20分ほど歩いた.
 人はこのように歩くものだったのだろうと思う.江戸時代は大阪から歩いて神呪寺に参拝した.あちこちに「右大師道」のような石造りの道案内がある.江戸時代のものだ.関西学院が,この地の東の方に神戸から移転してきて,かつての参詣道は一部大学の中を通っているようだが,その時代の面影はしのべる.ここは小一時間の散歩にはいいところだ(追伸以上).

 今年もはや年の暮れである.25日は京都で今年最後の仕事.少し家を早く出て,終い天神に京都北野天満宮まで参ってきた.阪急の西院で降りてバスに乗り,今出川西大路の近くの停留所まで乗る.
 この日は境内をあちこち歩いた.梅はまだ芽もふくらんでいない.これが咲いたらきれいだろう.梅の季節にまた来たくなった.
 この北野のあたりは懐かしい.亡き母の姉さんが天満宮の境内から東に三軒目にあった西陣織の織屋に嫁いでいたので,よく来た.型紙が天井辺りまでまわって,縦糸が上下し横糸を入れてゆく.それを今も覚えているが,その古い町家の工場は今はなく,低層の集合住宅になっている.
 私が撮した夕日の社もきれいだったが,今日29日の京都は雪が降ったようだ.KYOTO路地裏散歩道さんが写真をあげてくれている.雪の北野はしみじみとして美しい.
 この日はそれから京の街を今出川烏丸まで歩き,地下鉄で京都駅前の教室に行った.

 26日から28日まで三日間,地元の自治会で恒例の年末夜回りをした.広い地域なので,三つに分け,三日間順におこなう.それぞれにある公園に集合する.私を含め四人の役員は三日とも一緒に歩き,その他に毎日数人の人が集まって,一緒に地域を回る.マイクで「戸締まり用心火の用心!」を呼びかけ,皆でそれに声をあわせ拍子木をたたく.これが済まないと年越しの気にならないなあと話す人もいたが,これは皆の気持ちだ.
 子供も少し来てくれた.大きくなったとき,拍子木をたたいて夜回りしたことは懐かしい思い出になる.私もそうだ.昔はさらに「マッチ一本火事のもと」もいったものだ.こういう思い出となる行事を途切れさせないことも大切だと考えている.

 さて,前に「フランスよりも,日本の方がずっとひどい状況なのに,なぜ日本の若者はまだ立ちあがらないのか.日本の働くものは立ちあがらないのか.なぜなのだ.」と書いたが,そのわけをひと言でいえば,竹内好が「一木一草に天皇制がある」(「権力と芸術」,講座『現代芸術』第二巻,所収)という天皇制である.田中龍作さんが「同様の惨状にありながら、フランス人は立ち上がり、日本人は黙って耐える」と言われるのも,その根は同じである.
 しかしこの天皇制の克服ということは,近代主義的な反天皇論とその運動では不可能である.天皇制という根深い大きな木を倒そうとして,地表に出ているところをたたいているだけだ.それは自己満足に過ぎない.ここがなかなか闘うもののなかでも理解されていない.深い根まで掘り下げねばならない.そこから天皇制が大きな虚構のうえにあるものであることをつかみ,日本語のいう神と天皇は両立しないことを,明らかにしなければならない.
 私の『神道新論』は,根なし草の近代主義ではなく,日本語のことわりに根ざして,竹内好の言う天皇制をのりこえてゆく途をも提示するものだ.今年はこの本を出すことができた.これに集中していた二年が過ぎた.
 そして来年は,世界的には資本主義の矛盾がこれまで以上にあからさまになる.大きな激しい時代になる.それは避けがたい.東京新聞が「ETF 6.5兆円過去最高 日銀の株式買い、歯止めなく」と報じているが,これは戦後蓄えられた国民の年金資産や金融資産を投げ込んだということである.中央銀行がこのようなことをすると,法的にも経済原則からいっても,必ず行き詰まる.そして数年のうちに株価が暴落したとき,つまりこの資産が投げ売りした金融資本家にわたったとき,中央銀行が破産する.あの敗戦で,超インフレになったのと同じことが起こる.来年か再来年かもう少し後かはわからない.しかしそのときは確実にくる.
 アベ政治の最大のそして最悪の結果である.まさにこのとき,日本では,天皇の代替わりの行事が,これに併行する.アベ政治はこれを最大限に利用しようとする.経済的そして政治的矛盾が激しくなる中で,天皇制はどのように機能するか.敗戦時の天皇制の再編とその機能を思い起こす.そしてわれわれはいま,このアベ政治を結局は支えるように機能することを許すのか.これが問われる.
 あの敗戦を総括することなく戦後政治をやってきた.東電の核惨事でもやはりそれまででのやり方を変えられなかった.すべて,日本近代の基本的な欠陥の結果である.これが来年は具体的に現れる.日本近代のなれのはて,それが来年から具体化する.
 年賀状を準備しながら,このようなことごとを考えた次第である.
 皆様,よい年をお迎えください.