越木岩神社に参る

 今日はどんど焼きの日である.甑(こしき)岩といわれる巨岩の磐座(いわくら)をご神体とする越木岩神社が地元の神社である.午前中,その越木岩神社へ祝い箸や門松をもっていってもやしてきた.関西ではこの日を以て松の内が終わる.越木岩神社の近くの六甲山系の麓で,夙川の西側に越して来てたのは三十数年前,それからいま住んでいる夙川の東側の少し離れたこの甲陽園に越してもう二十年である.これまでの記憶なので,あげてみると,2008:「どんど焼きにいってきた」,2010:「どんど焼き」,2012:「松の内終わる」,2013:「越木岩神社のどんど焼き」,2014: 「どんど焼き」,2015:「どんど焼き」,2016:「どんど焼き」,2017:「どんど焼き」,などにも書いてきた.どんど焼きは私にとって,毎年くりかえすまさに年中行事である.
 越木岩神社を取りまく雑木林は,原生林である.冬も葉を落とさない常緑の林である.巨岩を囲む雑木林のなかに社を置き,その自然を守り,その力への畏怖をいだき,身近なものの安寧,世の平安を願って手をあわせる.この地で,営々と人は祈り,拓き耕し生活し,命をつないできた.それはまさに,いのちをいのちたらしめ,生きものを生きものたらしめる根源的なはたらきをするものとしての神を感取し,そしてその神に祈ることである.
 このように,磐座や川や山などその地にある固有のものをご神体とし,それをかこむ鎮守の森や社叢とともに,その地の協働体の中心にすえて,人々は力をあわせて生きてきた.森のなかの空間に人が来て坐り,あるいは海の見える洞窟に坐り,心を放って自然とそれを超えたものを感じとり,またそのことを聴く.人が人として生きるうえでなくてはならないところであった.私にとって,そして神社に参る多くの人にとって,神道は,神とその教えを信じるというよりは,神社によって守られてきた風土とそれに根ざした生活を受けとめ,われわれの生の根拠を感じとり,そして祈ることであった.
 「磐座を守れ」に書いたが,越木岩神社に隣接するところの集合住宅を建てようとした業者がいて,磐座を破壊しようとした.それに対して反対の運動が起こり,その地は今もそのままで,集合住宅は建っていない.この地を物納させて公園にするのがいちばんいい解決策であるが,市には指導力がまったくない.
 さて,年末年始は多忙というか,することがたくさんあった.次男一家が半年後の帰国準備もかねて一時帰国していた.孫の守りなどしながら,原稿手入れや冬期講習の授業もした.彼らが戻っていってから,出版社へ『神道新論』の原稿を送付し,体裁の打ちあわせもした.現在組版中である.
 地元のことでは,市役所との交渉や自治会の役員会などもあった.また,地元にお地蔵様が一つある.宅地開発で隣接するところに移ったが,この祠の扉を毎朝開けてくれていた九十歳を超える人が,転んで入院している.それで私ともう一人,男二人で分担してこれを開ける係を引きうけた.毎朝七時に犬を連れて地蔵様のところへ行き,扉を開け水をかえる.いい運動であるが,気になって朝早く目覚めるようになった.
 そして昨日からは,恒例の模試問題作成とその原稿作りに時間を使っている.本のあとがきを次のように書いて送った.

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 原稿を出版社に送ったとき,この一冊を書くのに二十年かかった,と思った.文章の推敲ができるうちに書けたともいえるが,この歳になって本にまとめようというのは,身を削って後の世代への遺言を書くようなものであり,まとまればまとまったで次の課題も出てきて,なかなか尽きない.
 一昨年,ようやく人に語る言葉が準備できたかと思い,二本の原稿をある雑誌に寄稿した.それらを龍谷大学名誉教授でフランス現代思想の杉村昌昭さんにも読んでいただいたところ,これは大切な内容だからぜひ出版するようにと言われた.寄稿した原稿をもとに新たな内容を加え再構成したものが本書である.
 杉村さんは出版社もさがしてくださった.彼の激励がなかったら,出版にまでは至らなかったかもしれない.心から感謝するものです.本にすることで,広げまた深めるべきところがよく見えてくる.これからも研鑽を続けたい.
 そして,いろんな人と対話ができればと思う.大きく世が動いてゆく時代にこそ,言葉を大切にして語りあう文化の根づくことを願っている.

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 これはいまの気持ちである.
 今年は明治維新から百五十年の節目の年である.非西洋にあって最初に近代化した日本は,自らの近代をふりかえり,次の時代をひらかねばならないところにきている.この百五十年は,あの十五年戦争の敗北と,そして福島第一原発核惨事に帰着した.戦前これを主導したのは,天皇を神といだく国家神道であった.そしてあれだけ「鬼畜米英を撃て」と国民を動員して数百万に及ぶ犠牲を出しながら,戦後は一転,対米隷属の政治となる.国家の基本法である憲法に対し,その上に安保条約と米軍がある体制が戦後一貫して続き,立憲主義が実際に行われたことは一度もない.そして,アメリカの核戦略のもと,地震列島に原発を作り続け,あの核惨事に至るのである.軍需産業しか利益が出ない今の時代に,戦争を煽り戦前への回帰を目指すことは産業界の利益と一致する.日本会議神社本庁アベ政治を操っている.今年,彼らは日本近代を持ちあげる行事や報道をいくつも流すだろう.しかし,近代とはつまるところ近代資本主義であり,外に対しては侵略,内に対しては収奪と搾取の時代であったことに変わりない.明治維新百五十年は,資本主義を越える理念と実践が試されるときでもあることを忘れないでゆきたい.
 昨年また,日本の小中学校で不登校の子が増えた.教育行政は「その子が学校に適応できないのだ.適応指導する」という立場である.本当にそうなのか.要因は千差万別だが,不登校は,行政の立場とは逆に,学校と世のあり方への,体をはった抗議なのだ.不登校の子は皆まじめだ.四十年ほど前に教えた子らのクラス会にゆく.「僕らは勉強は苦手だったが,不登校生はいなかった.いつからこんなになったのか」と聞かれる.長期に欠席する生徒は,戦後政治の総決算をかかげた中曽根行革の数年後,九〇年代から増えてゆく.いわゆる格差を拡大した小泉改革を経て,人を金儲けの資源としか見ない新自由主義が世にゆきわたったアベ政治の二〇一五年,病気を理由とせずに三〇日以上欠席した小中学生は,全国で十二万五千人を超えた.
 このような生きづらさのもとで,心を寄せあいつながることが大切だ.できるところから,そんな子らとつながり,たがいを認めあってゆく.それが,こんな世を下から動かしてゆく.それぞれの分野で,そういう時代になっている.そういう関係が生み出されてゆくことが,資本主義を越えてゆくということではないだろうか.