S1会と祇園白川,吉田神社

 今日は理学部1組の同窓会のS1会があった.朝から家で豆まきをし,それから『神道新論』の校正に取り組んで小一時間,時間が来たので京都へ行く.阪急四条河原町で降りて,平安神宮西側にある会場の和食店まで歩いた.四条通りから三条通りの方へ,川端通りと東山通りの間を,祇園白川に沿って歩いた.ここはこれまで通ったことがなかった.こんな街があったのだと,京都の街の風情を味わいながら歩く.京都の街は自分の体の一部のような感じであるが,それでもこの祇園白川は知らなかった.吉井勇の歌

かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる

は知っていたが,あの歌の「したを水のながるる」川は高瀬川かと思っていた.ほんとにこの街を知らなかった.何ということかと思う.昔下宿していた京都市左京区北白川.その白川が,ここまで来て鴨川に流れていることも知らなかった.白川は,江戸時代はもっと川幅も広かったようだが,疎水ができて分断されていたのだ.京都には,まだまだよく知らない街があるのだろう.祇園白川の街に出会ったことがこの日一番の収穫であった.
 それから三条通りの交差点で東山通りを渡り,平安神宮の方に歩いて岡崎にある京料理の店の会場に行く.午後の1時からはじまり3時半頃まで,それぞれ近況を語りながら,ひとときを過ごした.S1つまり理学部1組のクラスはフランス語クラスで,50人強であったが,今日はそのうち11人参加であるから2割,よく集まり50年が経ったとは思われない.古希を迎えての集まりである.
 この前は,「S1会」に書いたように,2016年の暮れに近い頃であった.私が参加したのはこのときからであるが,世話人の人に聞くと,もうずいぶん前から集まっていたそうだ.こうして昔の同級と京都であうことになるとは,思ってもいなかった.「旧友に会う」に書いた彼も来ていた.明日から中国に行くと言っていた.皆で会食しながら,それぞれ喋った.あの時代にいろいろ進む方向を考え,独力で勉強して司法試験に通り今も名古屋で弁護士をしている人は,当時の経過と,そして今,福島の原発事故から名古屋などに避難している人の裁判などもやっているとのことであった.私も,ここに参加するに至った経過は話しておいたが,2011年2月に数理研の研究会に行ってS5だった彼に再会したのがはじまりだ.そのときのことは「人に会う(続)」にあるが,この流れは必然だとも思う.
 その後,茶店でお茶を飲んで解散し,皆と別れてから,東一条まで行って,吉田神社に参ってきた.吉田神社の節分祭は昔も行ったことがあるが,多くの露店が並び賑わう.今日も本当に多くの人出であった.吉田山の尾根を南の方向に歩いて東に曲がり去年も行った真如堂が向こうに見えるところまで行った.去年の新緑の頃,あちら側まで行った.そのときのことは,「新緑の候」に書いた.それからこのときと同じ道を歩いて東山通りに出て,京大病院前からバスで東山四条までゆき,戻ってきた.しばし京都にひたっていた時間であった.次に京都に行くのは,2月15,16日、数理研での研究会である.
 明日は,雨が降らなければ,7時半から公園の掃除である.それを終えて,なんとか明日中には校正の基本を済ませたい.多くの提案をしてくれた作品社の担当者にはほんとうに感謝している.そして,月曜からは,いろいろ動かなければならないことごとがある.これは先日も書いたように,今の市と地域との関係の中で出来るだけのことをすることだと考えている.