再びドイツまで

  3月20日の早朝に伊丹空港を出て27日の朝に戻るという日程で,ドイツヘッセン州バート・ナウハイムの街に6泊5日で滞在してきた.ドイツにはこれまで3回行っている.2016年3月:ドイツ滞在(上)ドイツ滞在(下),2016年8月:ドイツまで,2017年7月:夏のドイツ
 もう次の機会はなさそうなので,この街とその近くでまだ行っていないところをまわってきた.雪がちらつく日もあるような寒さであったが,それでも春が近づいていることを感じさせる日和であった.
 まずは,バート・ナウハイムの旧市街をゆっくりと歩き,大きな教会が2つあるのだが,それらの中に入り見学した.25日の日曜日ももういちどその前を通ったが,午前11時半頃であったので,ミサが終わり多くの人が出てくるのに出会った.ドイツ人はこうして毎週日曜日に教会に出かけているのだ.
 この街を歩いていると,これまでは気づかなかったのだが,道沿いにベンチがあり何か上着が脱いでおいてある.何かと近寄ると,鉄製だろうか,コートの形の像がある.そしてその横に,「わが町のホロコーストの犠牲者」という碑があり多くの人名が刻んである.およそ300人である.ここはこれまでもよく通っていたし,この碑の前の通りの突き当たりの丘には戦争犠牲者の堂があり,これは前を通っていたが,こちらの碑には気づかなかった.この街にはユダヤ教会があるのだが,今回そこには行けなかった.
 こうしてドイツは,あの戦争の時代のような愚かなことは再びくりかえさないということが,人々の心に根づいている.日本のアベ政治のようなことは許されない.
 しかし今は,移民問題が,大きくのしかかっている.ドイツ人,トルコやアフリカ,イスラム圏から仕事を求めての移民,そして戦火を逃れてきた移民.職場でも地域でもドイツ人との格差がたいへん大きいようだ.ドイツ人は教会にゆくが,バート・ナウハイムではイスラム寺院は見かけない.彼らはどうしているのだろうか.また,フリートベルクにはモスクがあるということだが、今回そこは行けていない.
 移民はいわば現代のゲルマン民族大移動である.かつて,ゲルマン民族大移動が結局はローマ帝国を亡ぼしたように,今日の移民問題は西洋世界を大きく揺るがしてゆく.
 移民の人々は自分の故郷をどのように考えるのだろう.故郷では生きてゆけなくなってこちらに来た移民にとっては,やはり故郷はもういちど平穏になり生活できるなら戻るべきところなのだろう.現代の問題として考えさせられる.その欧州自体が,ポーランドなど旧東欧からの諸国とEU中央のドイツやフランスなどとの矛盾,カタルーニャの独立問題のような民族問題と,大きく揺れている.
 翌日は,バート・ナウハイムからドイツ鉄道DBで一駅南のフリートベルク (ヘッセン)の古城まで,麦畑の中の道沿いの歩道を歩いた.フリートベルクという街はバイエルン州にもあり,ヘッセン州のこちらはフリートベルク (ヘッセン) Friedberg(Hessen) と表している.
 古城の塔が遠くからも見える.それを目指して小一時間歩く.城の中には何かの学校もあり,落ちついたところであった.城門のまえのカイザー通りを散策し,DBの駅まで歩いてそれから一駅乗って戻ってきた.
 3日目は,バート・ナウハイムからDBで二駅北のブーツバッハにゆく.2年前にもこの街で降り立ったが,そのときはあまり時間がとれなかった.木組みの家々が立ち並ぶ広場がある.街中をあちこち歩いた.ブーツバッハはヴィキペディアにはないが,「これぞドイツのお家!圧巻「ブーツバッハ」の豪華な木組みの家を見に行こう」のような旅行記はいくつかネットで読める.
 これらの3つの街は,日本で出ているドイツ観光案内の本などには名前も出てこない.しかしこういう小さな街々こそ,いちばんドイツらしいかも知れない.3つの街の公式サイトである.バート・ナウハイムフリートベルグブーツバッハ
 このあたりはローマ帝国の時代,ローマの植民地のその境界にあったところである.その時代の城の一部が残っていたりする.またどの街も,古い建物を大切にしている.バート・ナウハイムでは街外れの畑地に集合住宅が建設中であるが,古い建物を壊して新しい建物を新築するということはまずないと言うことだ.三百年前や四百年前の木組みの古い家が古さを誇って今も大切に使われている.
 こういう街を歩いていると,老後は(もうすでに老後だが)ここに移住するのもいいか,という思いがうかぶ.しかし,とっさに出てくるのは,食べ物のことだ.ここには刺身もないし日本酒もほとんど売っていない.ソーセージと肉とワインだけでは,いっときはいいがすぐに飽きる.人の体と心は風土と共に作られる.やはり,しばしの滞在がいいと思う.
 4日目はフランクフルトに買い物に出かける.なんとなく大阪のような街である.空襲で焼け野が原となりそこから再建されてきたことも同じだが,それ以上に街の雰囲気が似ている.
 25日の日曜日はバート・ナウハイムの広い広い公園を散策し,そして向こうの26日朝にバート・ナウハイムを出て,フランクフルト空港から,今朝羽田経由で伊丹にもどってきた.家から家まで19時間ほどの旅であった.
 飛行場からの車の中で佐川氏の喚問を聞いた.予想通りであったが,これでごまかせる段階ではない.いや,ごまかさせてはならない.問題を見ぬいている多くの人は,このやりとりを聞いて,かえって,やらねばと思ったのではないか.次の時代はここから作ってゆくしかない.
 この10年で,フランス2回,ドイツ4回旅をした.フランス紀行3など.日本を見る目が少しだけ大きくなったようには思う.非西洋にあって最初に近代資本主義の世となった日本は,その意味で普遍的な問題をかかえている.それが今アベ政治に至っている.アベ政治の問題を大きいな枠組の中でとらえ,ここからの活路を模索することは,現代の,世界的な,あるいは人類的な課題である.
 日頃と違う時間の過ごし方をすると,思わぬ考えもうかぶ.夏までに仕上げるべき教育数学の講究録はだいたい頭の中できた.神道新論の概説もできた.金曜日には杉村さんらと,これからどうするか話しあう.この間うかんだことをこれからまとめながら,日々の雑用にも,戻ってゆきたい.