『東北ショック・ドクトリン』

nankai2018-05-13

昨夜は第2第4土曜定例の梅田解放区であった.若い人らとわが世代が一緒にやっているので,何かの手助けもと,出かけている.こちらは土曜の午前中,午後1〜2時と2つ地元の寄りあいがあり,それから一休みして,出かけてきた.行くともう横断幕が出ている.写真を1枚撮って,それから幟をもった.およそ20人が集まり,思い思いに語りかける.若い人は歌をうたって語るのだが,それはこちらは苦手である.昨日はもっぱら横断幕をもっていた.目の前を通り過ぎるのは,土曜の夜の若い人らである.何か伝わるものがあればよい.
昨日,『東北ショック・ドクトリン』を読んだ.私は,東北大地震と核惨事をショックドクトリンとしてアベ政治が生まれ,今のような膿のかたまりの政治をやってきたと,これまでも言ってきたが,そのことを正面から書いた本があるのは知らなかった.東北の現実をこの観点から詳しく書いた本書は,たいへん優れている.そしてこの本の中頃に次の一節がある.

繰り返されるショック・ドクトリン
 カナダのジャーナリスト、ナオミ クラインは、「真の変革は危機的状況によってのみ可能となる」と唱えた市場原理主義者、ミルトン・フリードマンの考えを”ショック・ドクトリン”と呼んで批判した(『ショック・ドクトリン岩波書店)。
 この言葉が日本で紹介される前から、「奇貨の都市計画」を唱えて警告を発していた者もいる。京都府立大学元学長で都市計画を専門とする広原盛明だ。
関東大震災以降の日本の大震災はすべて、奇貨の都市計画=ショック・ドクトリンとリンクしています。関東大震災では帝都復興で後藤新平が神様のどとく言われましたが、当時の東京は急膨張期。戦前の高度経済成長期の後で、倍々ゲームで人口が増えているころです。関東大震災は、近世の骨格を残していた江戸・東京を、一気に近代都市に生まれ変わらせる絶好の機会でした。後藤ははっきりと「千載一遇」という言葉を使っている。災害を奇貨とするこの考え方は、土木建築、都市計画の分野では残念ながらどく普通の感覚なのです」

これはその通りである.まさに関東大震災の後と,そして東北大地震から今も続く核惨事において,同じことが起こっているのだ.災害を契機として「再開発」という名のもとに,大資本のために町や村をコンクリートで塗りつぶす再編成をやったのだ.関東大震災のあと,江戸の街が再建されることはなかった.それと同じである.
しかし同時に,ショックドクトリンはこのような経済面だけの問題ではない.東北という地域だけの問題ではない.私はもう一つ,関東大震災以降と東北大地震以降の共通点を見なければならないと考えている.それは,このような大災害時を契機に起こる排外主義・差別主義である.
関東大震災のあと,陸軍は,震災後の混乱に乗じて社会主義自由主義の指導者を殺害した.甘粕事件(大杉事件)では、大杉栄伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが憲兵隊に殺害され,亀戸事件では労働運動の指導者平澤計七ら13人が亀戸警察署で,近衛師団に属する習志野騎兵第13連隊に銃殺され,平澤が斬首された.しかしこれは軍のみではなかった.震災発生後,混乱に乗じて朝鮮人が暴れているという噂が流布し,民衆,警察,軍によって朝鮮人やそれと間違われた中国人,聾唖の日本人などが殺傷された.そして,関東大震災を契機として,日本は軍国主義の道をひた走る.
それと同じことが,東北地震の後も,いわゆるネトウヨの大量発生や,自衛隊や警察のなかでの差別思想の蔓延として,くりかえされている.尖閣問題の2010年のころから排外主義が表に出てきたのであるが,それが3.11以降一気に拡がった.先日の自衛官の小西議員への暴言も,甘粕事件や亀戸事件と根は同じである.このままでは,まさに軍国主義が再現されるだろう.すでにもうはじまっている.
墨田区には都立横網町公園内に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」がある.これは,殺された朝鮮人を追悼するということと共に,関東大震災のときのあのような排外主義を二度とくりかえさないという,自らへの戒めの意味もあった.ところが東京都の小池百合子知事と墨田区の山本亨区長がは,昨年9月1日の開かれた「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文の送付を取りやめた.追悼式典の実行委員長を務める日朝協会都連の宮川泰彦会長は「朝鮮人に対する虐殺の歴史からあえて目を背けているように思えてならない」と改めて批判したと報道されているが,その通りであり,そしてそれは東北地震の後に起こってきた排外主義の流れのなかでのことである.そのように考えれば小池知事の立ち位置もよくわかる.
「安倍やめろ」と声をあわせながら,アベ政治がここまで腐敗し,腐臭をさらけ出したのが,ちょうど明治維新から150年の年であることを思わずにはいられなかった.非西洋にあって,無理して無理して西洋近代の上っ面を真似してやってきたが,近代の果てに,このようなところに来てしまっている.このままでは,日本という国家の大きな破局に直面しなければならなくなる.それは世界史的に大きな意味をもつだろう.白井聡さんは『国体論』のなかで,いずれくる破局について詳しく述べている.同時に,白井さんは同書の神戸新聞の書評の中で「今では,(アメリカに従属した)現状がおかしいと気付く回路すら閉ざされてしまっています」と述べている.
まさに現実はそうなのだが,同時に,この時代が,現代のローマ帝国であるアメリカの没落,それはまた近代資本主義そのものの行きついた果てとしてのアメリカの没落であり,資本主義が一定の時間をかけて終焉してゆく時代であるということを,おさえなければならない.資本主義の終焉とは,生産関係としての資本主義が別のものに置きかわるということではない.経済が第一のあり方から,人第一のあり方にかわることである.そうしなければもはやこの世界は持続し得ない,という段階に至っている.
日本の支配層が自ら選んでいる対米従属は,まさに国体というべき水準で,奴隷であることを自覚すらできない完全な奴隷が今の日本の姿であるが,そのご主人様たるアメリカ自体が没落してゆくのである.これは避けがたい歴史の法則である.その過程で,日本の売国官僚とその政治は,すべてをアメリカに貢ぎ,そのしわ寄せが99%の日本人におよぶだろう.そしてその中で,ようやくに「現状がおかしいと気付く」ことになる.そのようなときが現実化すること自体は避けがたいが,それがどのくらいの時を要するのかはわからない.
そしてそのとき,結局はひとりひとりが自ら考えねばならない.しかし,現代日本語は考える言葉たりえていない.私はそのことを痛感し,近代以前の日本語からことわりの言葉を取り出そうとしてきた.前回も書いたが,この20年やってきたことは,そこからの日本語の再生,そのための準備であった.
途は遠いし,自分にどれだけの時間があるのかはわからない.日々着実にやってゆくしかない.昨日は一日中いろいろ体を動かし,そして日が落ちた梅田の人通りの前で横断幕をもちながらそう思った.街頭に出ることは,考えを深める.