無限搾取法

またの名を過労死法案という高プロ法が6月29日成立した.1986年に施行された労働者派遣法が,はじめは今回と同じく一定の技術を要する13業種のみであったが,その後改訂に改訂を重ね対象の制限を取り払い,いまやあらゆる分野で,低賃金と劣悪労働環境の業態として定着している.小泉政権規制緩和からそれが加速し,社会に大きな格差を生み出してきた.それと同じく,今回の高プロ法はもっと短期に,まさに過労死法,無限搾取法=死ぬまで搾り取ることを国家が認める法としての本来の姿を現すだろう.いや,むしろ現実を追認するというのが実態かも知れない.森ゆうこ議員のところの資料サイトに詳しい資料がある。
しかし,これでは大多数の人々の購買力は低下するばかりである.一方,企業というものは最終的にはものが売れなければ儲からない.生産の場における無限搾取は,消費の場を枯してゆく.資本は目先の利益を上げるために賃金などを下げる.それによって購買力が低下し,結果結局は購買力が下がり,ものが売れなくなる.これはまさに『資本論』の言う,資本主義の根本矛盾そのものである.アベ政府は,物価水準を2%上げデフレから脱却することをかかげたが,ついにそれはできなかった.購買力を奪い続けたなら,売るために物価は下がる.それを,札を増刷ばかりして市場に流しても,それで物価水準が上がるわけではない.
日本の企業家には,内部留保を減らしてもカネを大きく世の中に流通させることで,利潤もまたそこから生み出されるという思想がない.あるいはその余裕がない.かつての近江商人はそれがあったが,いまやそのような企業はほとんどない.過労死法は,企業家集団=経団連が目前のカネに目がくらんだ結果できた法である.しかしその結果としてますますデフレとなり,日本の資本主義経済を根底から破壊する.そしてそれはそう遠くない.その過程で,無限搾取,まさに命を奪うところまで搾取してゆくが,しかしどこかで立ちゆかなくなる.
前にも書いたが,自民党前尾繁三郎は、死の5日前(1981年7月18日)の講演で「経済が低成長時代にならざるを得ない時代にどうするかの認識と対策を採るべきかを,いろんなところで提言しているのに,指導者たちにその認識ができていない」と言い残し他界した.政治が,目先の利益に走る企業を導かねばならないのに,その後の政治はこの遺言を守るどころか,政府も経団連軍需産業と無限搾取で利益を出そうとしている.いやそうするしかないところまできている.
かつて,社会主義陣営が存在して時代には,その圧力の下,資本主義陣営においても資本の放縦な動きを規制する様々の仕組みがあった.それが結果として日本ではいわゆる中流を生み出していた.世界的にも,社会主義が崩壊して以降,その規制はほとんど取り除かれた.そのなかでアベ政治は「規制の岩盤を砕く」とか言って,一つ一つ取り除いてきた.そしてついに今回の無限搾取法に至った.
このような中で,司法や警察は,この資本の放縦に抵抗するあらゆる活動を,それこそまさに法の枠組を無視して,弾圧する.その一つの例が,人民新聞編集長逮捕であった.これは,権力になびかない独立した報道に対する弾圧であり,ほんとうのことを書くとこうなるぞと言う見せしめでもあった.
これにたいして人民新聞は逆に支援者や読者も増え,支える輪も大きく拡がった.この間の経過と今後の方向を話しあうために,人民新聞編集長・山田洋一さんを支援する会が主催して『山田編集長は無罪だ! 判決前大集会』が6月30日尼崎であった.これに参加してきた.このサイトの告知にあるように,山田さんの決意表明に続いて,この間,関西で様々の弾圧を受けそれと闘ってきた人らの討議と,そして関生などからの連帯あいさつであった.どこも、このアベ政治の下での弾圧である.向こうはこれだけどこでも弾圧してきたのだ.
そのうえで,山田編集長が決意表明の中で「十数年前人民新聞の編集長になたとき,金持ちの世界とは違う別の世界を報道してゆこうと考えた.そしていま,資本主義が終焉のとき,その次のあり方を紙面に出してゆきたい」というようなことを言われたのが印象に残った.
実際,その次の世のあり方をどこから作ってゆくのか.もういちど規制をもっと強力に総体的に体系的に行わなければならない.そのうえで教育と医療の無償化を実際に行う.それはしかし,この腐敗した大域資本主義に隷属するアベ政権の下ではありえない.それを政策とする力は人々の闘い以外に生み出されることはない.そして人民の権力を背景とする政府をうち立て,それによって,資本の放縦な動きを規制せよ,これが当面する歴史の要求である.
人民の権力の下,体系的に資本を規制し,そうすることでかつての総中流ではないが,とびきりの金持ちも,格差に沈む層もない世を生みだしてゆく.これを政策として具体化し,その下に様々の勢力を結集してゆくような政治,これを生み出してゆかねばならない.
そのための種まきとして,7月1日梅田解放区の集まりに参加してきた.7月の土曜はいろいろ集会などある.それで7月は毎日曜日にやることになった.それで今日も行ってきた.喋って歌っては若い人に任せて、こちらは横断幕をもつのを手伝っているのだが,今日は私と同じ世代の女性が,喋ってそして歌って語りかけておられたのには驚いた.喋りもうまい.もう一人その前に喋って元保育士という女性の語りもうまかった.道ゆく人のまなざしもずいぶん共感的になって,敵意を表してとおりすぎる人はほんの数人であった.それだけ,若い人らの現実が厳しくなっているのだ.
今のままではだめだと考える一人一人に,歴史が求めることは少なくない.それに応えることは,これまでのような根なし草の近代主義では,できない.根のある言葉で理念と思想,そして新たな政策を語れ.その政策を語る試みの一つが,「日本神道(二)」で提示し,その後,拙著『神道新論』のなかで改訂していったものだ.道は遠いが,しかしいつかは現実の問題になる.そんなことも考えた.
若者よ.近代の漢字造語をいったん疑え.官僚言葉,東大話法から自由になれ.そして自分自身の言葉を見直せ.これが言いたいことである.そんなことを考える私にとって,路上は教室である.いろいろ教えられ,考えて戻ってきた.