宵山の日の参禅

 追伸:七月十七日.今日は祇園祭山鉾巡行の日であった.京都で授業があり夕方京都へ.山鉾巡行は朝の九時からで,終わっている.京都の祇園祭から大阪の天神祭へのこの時期は,はもの落としがいちばんうまいときである.活はもでないと作れない.見た目にも涼やかな夏のはも料理である.骨の唐揚げもうまい.それで,帰りに行きつけの店で食べてきた次第.梅肉で食べるのが私の好みで,これはほんとうに季節感のある料理である.
 昨十五日は京都で,智勝会OB会の参禅の日であった.智勝会は相国寺の活動にもあるように,在家居士の参禅会である.昭和の初め頃でき,戦後も昔は京大の学生が中心であった.こちらは大学のサークルのような感じで参加した.が,最近は現役学生は2,3人とのことである.そのOB会であった.
 京都の夏は暑い.しかも今年は特別である.39度というなかを地下鉄で烏丸今出川まで行き,タイ料理の店で昼飯.しばらくそこにいた.タイ料理が辛く,辛いのは好きなのだが,この日は後で喉が渇いた.それから京都御所の緑地を少し歩いて池の端でしばらく休んでそれから,同志社大学の横を通り,相国寺の境内に入る.
 また歩いて,東側の僧堂のある一角を入る.ここは一般には公開されていない.雲水の修行道場である.そこの座敷でしばし時間が来るのをまち,2時から,老師の導きで読経と焼香をする.それを終え,僧堂に移って,拍子木の合図で,それぞれが坐を組む.僧堂の写真などはここにも載せている.僧堂の中は暗いが格子の向こうの緑が鮮やかである.それから老師の臨済録の提唱.それを聴き終えて,座敷に戻り精進料理を皆でいただく.
 自分のなかでは年一回の貴重な時間として定着してきている.自分はいつからいっているのかとこのブログを見返すと,2012年の7月14日からなので,今年で7回目である.もうそんなに時間が経過したのかと感慨もあるが,すべて東北地震の後のことであり,個人としては長い時間であるが,事故の行く末としてはまだまったく短い時間である.
 自分のために,これまでの経過をあげておく.そもそもこのOB会を知ったいきさつは,智勝会の人からの手紙人に会う(続)にある.そして参禅の記録は,2012 相国寺僧堂2013 夏の京都の一日2014 京都の夏2015 夏のはじめの金曜土曜2016 京都相国寺2017 今年も相国僧堂である.
会食の合間、順に話した近況報告の中で,こちらは『神道新論』を出版したことも伝えた.老師に一冊,いつも世話をしてくれるFさんに一冊渡し,他の人にはぜひ買ってくれるようにお願いした.神仏習合は,この日本列島弧の人々の考え方として自然であることも話した.
 実際,僧堂の向かいにある鐘楼の横には鳥居があって稲荷神社がある.また,来歴のよくわからない小さな祠などもある.この相国寺も,明治維新の後の廃仏毀釈の時代には多くの困難があったようだ.帰りに一休みしていると,昔のことをよく知っている先輩がいろいろ話してくれた.これだけの広い境内であるが,昔はもっと広く,戦後間もなくまでは境内から竹藪が鴨川縁まであったそうだ.
 それから地下鉄に乗ったが,烏丸四条駅は身動きがとれないほどの人出と言うことで,烏丸御池で地下鉄を降り,タクシーで四条河原町にでる.七月十五日前後は祇園会の宵山である.四条通は車も止めて,人出がすごかった.暗くなると山鉾の提灯に明かりも入るのだが,それまではいないで阪急で戻ってきた.
 長い歴史のある参禅会がこうして今も続いている.雲水の中からこれからの時代に応じて伝統も守りつつこれを継承してゆく師家が出てきてほしいし,かつての西田哲学ではないが,こういう伝統をふまえ,時代の求めに応じようとする思想が生まれてほしい.人ごとで言うべきではない.課題の大きさに比べて力およばずであるが,こちらが『神道新論』で目指したのもそういうことである.
 14日は梅田解放区の取り組みであった.国会の動きを見て14〜17日は毎晩やるとのことである.こちらは16,17日もゆけないので,せめてとこの日も横断幕をもっていた.
 前にも書いたが,これだけ現前の政治が腐敗しているのに,なぜこれを打破する直接の行動が広がらないのか.二年前,韓国では朴槿恵大統領の退陣を要求する革命的な波が,ガラス窓一枚壊すことなく平和的に街頭を埋めつくし,大統領弾劾が成立して罷免した.その力が文在寅大統領を生み出した.今日の南北対話,米朝対話は,この「ろうそく革命」の結果である.韓国には,かつての民主化闘争があり,さかのぼれば日本の植民地支配への抵抗闘争の歴史がある.対してこの日本は,非西洋にあって最初に近代資本主義に入り,帝国主義侵略と支配を続け,敗戦後はそれを総括することなく一転して対米従属の下に経済拡大を続けてきた.アベ政治はそのなれの果ての腐りきった残骸である.
 韓国のろうそく革命のように,梅田の前の道をデモで埋めつくすときは,必ず来るよ.この取り組みの中心にいるS君とそんな話をしながら9時までやった.そして翌日15日は朝7時半から公園の掃除を皆で済ませ,その後一休みして,京都に行ったのである.体が動くうちは動いてゆこうという思いであった.