還暦同窓会

 昨日は,還暦同窓会があった.還暦と言っても私のことではない.彼らのことである.思い起こすと,1974年4月,その前の秋から仮免許で教えてはいたが,4月に教員免許も取れて市立芦屋高校の正規教員となり,はじめて担任したクラスが,彼らである.そのとき私が26歳.彼らが15歳.それから45年の時が過ぎ,彼らが還暦,こちらは古希を1年越えたところということでの同窓会であった.総勢13人が集まった.35人ほどの少人数のクラスだったが,そのなかでよく集まった.
 このクラスに,昨日の会場になった阪神西宮の近くにある和食の店をやっている人がいて,彼が世話をして,みなに呼びかけてくれた.私には,古希祝いのケーキと花束まで準備してくれていて,ありがたかった.20年ほど前にいちど同じクラスでイタリア料理店をしている人のところに集まったことがあったそうだが,こちらはそれにはいっていないので,2005年に二,三人の人とこの店で会った以外の,ほとんどの人とは卒業以来42年ぶりであった.
 しかし,そんな時間も,会えば吹っ飛ぶ.これはほんとうに貴重な経験である.昔のあの子が今,目の前にいる,という感じである.また,私のところより歳うえの孫のいる人もいて,ここまで来れば歳の差はあんまりないのも実感できる.このときから,時間の感覚が少しかわったような気分である.
 数学教育という点からも,いやそもそも教育理念という点からも,多くのことを学んだ.私の原点ともいうべきクラスである.あの時代は,地域の教育運動が盛んなときで,教員にとってはやりがいはあったが厳しい時代でもあった.それでも,今のように格差が大きくなる前で,卒業生にはそれなりに仕事はあった.国鉄に就職して働き続け,間もなく定年という人も来ていた.彼は最後まで国労でとおした.それぞれの卒業以来の人生を聞くと,やはりいろいろある.そして,私自身がここからはじまる自分の人生を思い返さずにはいられなかった.このとき学んだことが今も自分の基礎にある.
 15日の土曜日は梅田で声をあげてきた.この45年を振り返ると,いわゆる安定成長期を経て,それがゆきづまった頃から行革が言われはじめ,この市立高校も廃校の方向になった.それがはっきりした1987年3月,市高組合の委員長であった私はここを辞めたのだった.それからバブル経済となり,そして1991年,ついにそのバブルが崩壊した.その頃私がやっていた会社も倒産し,この高校のかつての同僚の尽力で塾などで高校生に数学を教える仕事に戻ったのだった.
 日本は,世界的にも一番最初にバブルの崩壊と資本主義の行きづまりに直面し,そして1995年の阪神淡路の大震災から,2011年の東北大地震と東電核惨事を経て,アベ政治に行きついてきた.これは前にも言ってきたが,アベ政治は,日本の近代の行きついた果ててであり,同時に資本主義の行きづまりが世界大になったという時代条件のもとで,東北地震をショックドクトリンとして現れてきたものである.日本の個別問題と世界大の情勢は深く関係している.
 これからどのように進むのか.日本近代の教育は,人に根拠を問うことを教えず,言われたことをそのまま受け入れるようにしむけてきた.そして,この近代そのものの行きづまりの中で,これに対して,自らの現実をふまえて世を問いなおす運動が,いま拡がっている.大企業のためのアベ政治か,多くの国民のための立憲主義政治か,これが今日の主要矛盾である.これは,一人一人に即せば,言われたことをそのまま受け入れるのか,根拠を問い続け能動的に立ち向かうのかということに対応している.いずれが大勢となるのか,今はその分岐点にある.
 アベ政治を倒す道は,一人一人がなし得ることをすることによってしか,拓かれない.アベ政治を終わらせたなら,対米関係をどうするのかが,次の主要な矛盾となるのではないか.そこまでを見すえて,まずアベ政治打倒である.そう考えて,この日も梅田に立っていた.
 もう一度彼らに会えるかどうかはわからないが,同じこの日本で生きているのだ.そう考えて,彼らに学んだことをいまに生かしてゆきたい.写真は夙川べりの彼岸花,21日撮影.