節分も過ぎ

 もう節分も過ぎた.まったく一週間が早い.寒い季節であるが,それでも京都で夜仕事がある時のほかは,夕方一時間は犬を連れて歩いている.歩くと頭の中の状態が少し変わり,机の前にいるときとは違うことが思い浮かぶ.
 一月の後半からずっと忙しかった.二社から、それぞれ二種,合計四種の問題づくりの仕事を依頼され,起きているときも寝ているときも,問題づくりを考えているような状況だった.自分は,高校生の頃から問題オタクであったことは認めるが,それがこの歳になって一気に出てきた.高校のころも良い問題に出会えばノートとしていた.手元にその頃作った良問を集めたノートがある.
 この二〇年は,高校時代の自分と市芦で教えて身についた教える技術でやってきたのだが,ここに来て昔の自分がまた出てきている.この世界に閉じこもって集中してやっていると,何か忘れたという気分になる.もともと,せめて出会った生徒には学問としての数学を伝えたいと考えて、この業界でやってきた.問題づくりは,それだけでは人との出会いは乏しい.

 そんな気持ちもあって,問題づくりの合間をぬって,2月の6日には二つの裁判の傍聴に参加してきた.
 一つは人民新聞山田編集長の国賠訴訟である.13:30から大阪地裁へ.弁護士の陳述を聴く.そして,弁護士を交えた総括集会へ.いかに非道で法によらない弾圧であるかが弁護士から示されていた.サミット前に大阪では理由をこじつけた弾圧がありうるので警戒しようということであった.
 そのあと神戸へ移動して,16:30から,アスベスト裁判の結審の傍聴に神戸地裁へ.上田さんの最終陳述とそのあとの集会に参加する.
 このように権力や行政の不当に対して闘う人らの場にいるときがいちばん心が安まる.それを実感し,それから神戸で授業をしてきた.

 そして,昨夜,2月9日は定例の梅田解放区の日.二週間前は授業がありいけなかった.きょうも20人ほどの人が集まり道ゆく人に語りかけていた.
 最初の音楽で「美しき五月のパリ」を流していたので,本当に懐かしかった.昔京都で下宿していたとき,そこでこの歌を聴き,それに後押しされて京都を出たような記憶がある.1968年5月のパリにつながる歌である.山城さんが作った「沖縄をかえせ」もこの曲である.
 そして2019年のフランス.誰かが語っていたが,フランスでは今日明日,中学生や高校生が黄色いベストを着て街に出るとのこと.梅田の街ゆく若者とフランスの若者と.今の日本の若者は…,と言っても仕方がないし,この違いの根源に天皇制がある、と言っても,その通りであるとしても何も変わらない.
 まず自ら街頭にたち,そして人々に呼びかける.これなくしては何も変わらない.街頭に立つことは,歩くのとはまた違った心の動きになり,そこで学ぶことは多い.

 いまある雑誌から「平成後の日本の選択」で一文を書くように原稿依頼を受けて考えている.あらかたできたが,街頭に立つと,ここをもう少し書かねばと思い浮かぶ.
 ということで,あまりこの青空学園だよりも更新できないが,もともと自分で考える場としてやっているので,これはこれからも変えずに続けたい.