春間近

 今日の昼前後は地元自治会のお花見.地域にある公園には桜の木も何本かあり,毎年ここで花見をしている.昨日まで雨模様だったが,何とか雨も上がり,気温は低かったが日差しは戻ってきていた.11時から寿司を配る.ビールの持ち込みは自由.ということで,フラダンスや紙芝居を鑑賞しながら昼のひとときを過ごして戻ってきた.桜は三分咲きというところか.自宅の花海棠もそれくらいである.

  昨日,雑誌『日本主義』の最終号となる第45号が15冊届いた.ここに私の一文「分水嶺にある近代日本」が載っている.まず杉村さんなど7人にこれを送った.この一文のなかで次のように書いた.いよいよこの日本は堕落の淵に向かっている.昨今の代替わりの騒ぎを見ていると,もういちどここで引用しておかねばと考える.

 平成とは、資本主義が終焉期をむかえる中で、バブルの崩壊に始まり、国民の犠牲のうえに資本にすべてを捧げる方向に進んだ時代であった。それがアベ政治を経て、もはやこのままでは先はないところにきて、平成が終わる。ここに、近代日本の分岐が平成の終わりにはじまる必然がある。

 であるから、この期に及んでもそれでも経済を拡大しようとする諸々の勢力が、代替わりをアベ政治の煙幕に使うことにまどわされてはならない。

また,

一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

とも書いているが,昨今の世上を見ていると,歴史としてはそれもありうると思われる.

 さて,私は,この雑誌の2016年秋の第35号に『言葉の力と「生きる」ことの意味 −−日本語の再定義を求めて』と題した一文を寄稿した.そのことは「ある雑誌への寄稿」にある.そしてその次の号冬の第36号に「いま『夜明け前』を読む 」という一文を寄稿した.そのことは「ある雑誌への寄稿(二)」にある.
 これらを一年かけて統合し,再定義を増やし,全体に加筆して2018年3月に『神道新論 』を作品社から出版した.2017年の夏はこれに集中していたのを思い出す.本書の目的は,日本語に根をもつ思想を生み出してゆくために,その基層となるべきところを拓き耕すということであった.根なし草の近代主義を克服し,日本語のことわりに根ざし考える土台をつくるために,できることをしようということであった.その過程で日本語のいう神と天皇制は両立しないことを明らかにし,竹内好の言う天皇制をのりこえてゆく途をも提示するものであり,その思想的な土台作りの試みでもあった.
 それはまた,日本が堕ちるところまで堕ちたそのところから再び立ちあがってゆくための土台でもある.いわばこれは私の後世に残す遺言である.この思いももって『神道新論』を出版してからもう1年である.時間の経つのははやいものだ.

 その雑誌「日本主義」が終刊するということで,一文の寄稿を求められた.それに応じた今回の一文で『神道新論』の今日の意味と位置づけを加えることができた.この3年間の一連の考察とそれを公にする営みは一段落である.いろいろとやってきたことをふり返るいい機会となった.原稿を依頼してくれた雑誌編集部に感謝する.

 青空学園を開設し,自らの思索の場としてもう二十年である.数学科では学問としての高校数学を,数学そのもののとして展開し,すべてを公開してきた.高校生のときの自分が今の自分に出会ったいたら,もっといろいろ学べただろうという思いで,「数学対話」などを作ってきた.毎日多くの人がここで勉強している.
 日本語科でやってきたことは,根のある思想を構築するための土台作りである.『日本語定義集』はそのためのまさに前提をなす作業であった.それがようやく一定の蓄積ができ,人に語ることができる段階になり,これらの一連の文章を雑誌寄稿や書籍として公にしてきた.字数の制限もあり十分に展開してきたとは言い難い.

 これからは杉村先生や人民新聞などの力も借りて,これを拡げ深め,できるならば多くの人と語りあいたいと思っている.地元の自治会の代表もしているし,問題づくりや授業の仕事も今年は昨年よりずいぶん多い.時間を大切にして,できるところまではやってゆきたいと思っている.

 これらを書いてつくづく思うのだが,すべてはあの二〇一三年秋の入院以降のことなのだ.私事のいろいろとも重なり,まことに感慨深い.