時節は春だが

 昨日は定例の梅田解放区の日であった.そこへ行く前に,まず梅田の西側のヨドバシカメラの前に行く.2013年の頃,関電前行動で知りあったTさんが,この3年余り毎週日曜日の午後,ここでプラカードを掲げている.梅田解放区が土曜日なので,今週は土曜にやるから会いたいとメールをもらった.それでまず彼に会いにゆく.しばらくヨドバシカメラ前のテーブルで話をする.
 Tさんは「OPEN」という技術計算のソフトを開発し,それを仕事にしてきた人で,私より四歳ほど年上である.しかしたいへん元気で,関電前の行動の頃は、終わってから地下鉄の淀屋橋駅まで歩き,そこででよく話しあった.

 しばし話した後,彼と一緒に梅田の東側に移動する.この日の参加者はいつもより少なかった.豊中で日頃の活動をやっている人らもこの梅田解放区には何人かきているのだが,豊中ではあの木村議員を支えている.市議選が日曜日に公示されたが,その出陣式の様子を田中龍作さんが「権力が総力を挙げて落としにかかる森友追及の議員 木村真・豊中市議「勝ちに行く」」と伝えている.豊中の人に聞いたが,「勝ちに行く」といわねばならないほど情勢は厳しい.
 ということで,告示前のビラ配布などの活動のために,早々に地元に戻っていった.そしてその後,若い人らがそれぞれ語る.それに交じってTさんもプラカードを掲げる.

 さて,「まったく懲りない「原子力ムラ」“開き直りサイト”が大炎上(日刊ゲンダイ)」にあるように,アベ政治のもたらした日本の現実は悲惨なものである.このサイトを作った制作会社は大金を受け取り言われるままに,それ以上のまさに忖度をしてこのサイトを作ったのだ.それがどのような結果になるかも予測できなかったのだ.ここにいまの日本の愚かさの側面が現れている.
 また,<めげ猫「タマ」の日記>さんが詳しくいっておられるように,世界貿易機関WTO)の紛争処理の「二審」に当たる上級委員会は11日、韓国による福島など8県産の水産物輸入禁止措置を不当とした「一審」の紛争処理小委員会の判断を破棄し,日本は逆転敗訴となった.しかし,それは当然である.

 私どもは,食品を買うときは必ず産地を確認し,千葉県以北青森以南のものは,農産物であれ水産物であれ,買わない.「風評被害だ,売れなくなる」との見解が上の方からは出てくるだろうが,本当は売ってはいけないのだ.福島の農業,東北沿岸の漁業はすべて停止し,その結果生まれは損害はすべて東電に保障させねばならないのだ.福島の地場産業はどうなるのかという意見が出るのは当然だ.しかしそれが壊滅するというのが,核汚染の現実,真実なのだ.小出さんが初めからいっておられたように,東電は解体して国有化し,すべての資産を福島の被害への補償としなければならない.
 アベ政治はそれとはまったく逆のことをやってきた.核惨事の現実を覆いかくし,オリンピックをやり,そして原発を再稼働してゆく.原発が事故を起こしても何もないということを一般化したい国際的な原発マフィアの手先として,その意のままに操られ動いているのがアベ政治である.しかし,太平洋を越えてアメリ東海岸まで汚染が広がり,もう国際的な機関ではごまかしきれなくなってきたのである.

 小出さんが「進まぬ原子炉解体作業 広がる汚染」で言っておられるように,

3月11日に大量の放射性物質が大気中に放出され始め、3月末まで激しい汚染が続きました。それらが風に乗って関東・東北の広大な地域を汚染しました。私の試算では、東北・関東地方の約1万4000平方キロメートルにおよぶ面積が放射線管理区域に指定されるべきレベルまで汚染されたと考えています。「放射線管理区域」とは、一般の人の立ち入りが禁止される区域ですし、私のような特別な放射線業務従事者でもその中では飲食が禁止され、トイレも造ってはいけないような場所です。
 これに対し政府は、3月11日に原子力緊急事態宣言を発して、これらの法律を反故にする措置をとりました。つまり、本来人が住んではいけない区域から避難させるのではなく、その地に人々を放置したのです。緊急事態宣言は、今も解除されていません。
 東京でも江戸川区葛飾区には、放射線管理区域に匹敵する汚染地域があります。そうした地域で住民が食事をし寝起きしているのですから、どんな健康障害が起こっても不思議ではありません。

が現実である.であるから,韓国の輸入禁止は当然なのである.私が千葉県以北青森以南のものは絶対買わないというのも当然なのである.

 これだけ悲惨なアベ政治と、それと同じ維新政治である.それでも大阪では維新が選挙では多数である.目先の利益を得ているものは投票所に足を運び維新に入れる.今の世のあまりの有様に心を閉ざすものは選挙に行かない.この結果,大阪では維新政治が,全国ではアベ政治が,まさにはびこってゆく.梅田解放区のようなところにきて,自分の思いを述べる若者はごく少数である.これが現実だ.私は『分水嶺にある近代日本』の「悲惨国家の現実」で,

こうして今日の日本は、国際資本の収奪に国家と国民を完全にゆだね、すべてをそこに捧げる政治体制となっている。これを「アベ政治」と言う。ここまで酷いことは、歴史上はじめてである。一度は堕ちるところまで堕ちないと何も変わらないのかも知れない。しかしそれでは犠牲が大きすぎる。

と書いたが,1945年の広島・長崎の原爆とそれに続く敗戦のように,ゆくところまでゆかねば変わらないのではないか.そう思わざるを得ないほどの今の世の有様である.もっとも,あの敗戦でも近代日本の中枢部は本当は何も変わらなかったのだが.ある意味ではそのツケまで含めて今に至っているのだ.
 時節はいつの間にか春である.わが家の裏の片隅の射干の花が今年も咲いた.2009年の「時代の課題」以来,この花が咲けばここに書いてきた.このときはいわゆるリーマンショックの直後であった.もう10年になるのだ.このように自分でもすぐ読み返せる日記は重宝である.そして,これを読みかえすと「この先,本当に大きな教訓を得ることになる」と書いている.いよいよそのようなときになりつつあるのかも知れない.