四月から五月に

 昨日は京都で仕事であった.少し早く家を出て阪急電車四条河原町まで行き,そこから高瀬川沿いに南へ歩いた.時間がとれるときは,運動を兼ねて京都の街を歩くようにしている.
 高瀬川は,江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である.京都の街のなかでは新しいのであるが,街に良くなじみ,季節それぞれの趣がある.鴨川と河原町通りの間にこのような水路があるのは驚きでもある.
 七条付近まで来ると少し曲がって鴨川沿いにでて歩く.このあたりは鴨川沿いに道がある.歩きながら北にふり向くと如意ヶ嶽などもみえる.京都である.京都の街はまったく自分の体の一部のような気持ちである.
 それから昔の崇仁小学校のまわりを歩く.このあたりも再開発で,戦後の街の趣がなくなってゆく.今は校舎が残っているが2020年の3月でなくなるとのこと.少し校内も歩く.二宮尊徳の像もある.昔の自分の小学校にもあった.明治以降の国家主義教育の名残りではあるのだが,懐かしくもある.これもいずれ破棄されるのだろう.それから仕事場へ行く.
 そして仕事を終え,京都駅前の塩小路通りにある行きつけの店にゆく.ここに来るようになってもう20年以上になるだろうか.店に入ると,数年前に店を辞めていた前の店長がきておられた.あの人のつくるものは味わい深かったなあと思いながら店にいったので,再会できて驚いた.ここも人手不足で,これからも時々きて手伝うとのこと.私より年上だが,お互いもう少し働きましょうかという話しになった.少し暑くなったら鱧のおとしもはじめるとのこと.楽しみである.ぜいたくな楽しみではあるのは承知しているが,あの店長の一品で独り飲むのはやめがたい.
 世は連休だの代替わりだのと騒々しい.昨日から今日は平成から令和であるそうだが,四月から五月であることに変わりはない.こちらはいつもの通り授業もあり,そして今度の土曜は代講授業である.この仕事をして四半世紀であるが,休日はない.休日を休みにすると教室ごとの進度が違ってしまい,振替授業が受けられなくなるのだ.先週の土曜は梅田解放区の日であったが,こちらは地元自治会の総会であった.このところ,問題作成とその校正なども結構あり,なにかとすることが多い.

 平成が終わったということで,いろいろ報道がなされたようだが,「テレビ各局の“平成事件振り返り”から「福島原発事故」が消えた! 広告漬けと政権忖度で原発事故をなかったことに」の記事もあるように,福島の原発事故が隠されている.なかったことのようにされている.しかし,事実として,東電核惨事は平成期の最も大きなできごとである.『神道新論』に次のように書いたが,まさにこれは,昭和期のあの敗戦につぐ,平成期に起こった近代日本の敗北そのものである.

 しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさにいま広がっている。この意味でこれは三重の人災、二重の犯罪である。
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は、かつての十五年戦争の敗北につぐ近代日本の第二の敗北である。

 さて今日行われている大嘗祭の起源について,根拠となる文献などもあげねばならないのだが,『神道新論』ではおよそ次のように書いた.

 長い時間が流れ、後漢の終わりころから再び動乱期となった大陸から、天皇家の祖先がやってきた。弥生時代末期から古墳時代の日本列島は戦乱の時代であった。そのなかで日本列島を武力統一し、列島中央部を支配したのが今日の天皇家の祖先である。
 南方と北方の二つの系統の支配がいきかい、交替し、唐の時代になって、日本列島もまた北方系の支配が確立した。それが、奈良盆地に成立した王権である。黄河文明に起源をもつ遊牧系の民族が日本列島の支配権を確立することで成立した。
 こうして成立した王権は、その支配権が確立したころ、日本列島に内発した王権であるとの虚構のもとに、古代日本の各地の王権の歴史を簒奪し「日本書紀」を書き出した。そしてそれと矛盾する多くの文書を焚書にした。万世一系天皇家という虚構もまた、この過程で生みだされた。
 そして、彼らは農業協働体がその維持発展のためにおこなってきたさまざまの習俗を取り込み、あたかも天皇家がそれを代表するかのように振舞うことで支配の権威を打ち立てた。その典型は「すめらみこともち」として天皇を位置づけることであった。固有の言葉で語られることを神から受け取るものとしての天皇、である。
 そして大嘗祭である。大嘗祭のもととなる祭そのものは、収穫の感謝の祭としてそれぞれの協働体でおこなわれてきた。当時の基幹の産業は農業である。天皇家は、農業の発展を願う人民の心を取り込むため、農業協働体のなかでおこなわれてきた習俗としての祭りを新嘗祭大嘗祭として取り込んだ。こうして天皇家の正統性と権威づけを演じ出してきた。
 天皇は神の言葉である「みこと(御言)」を聴くものであり、列島の習俗が天皇に源をもち、天皇が日本文化を体現するというこれらのことは、虚構である。

 このあり方はそのまま今日に続いている.いやむしろ今日,この虚構のうえに,アベ政治を糊塗するために,この天皇制はよりいっそう強く用いられている.「天皇の政治利用」とも言えるし,アベ政府のやっていることはまさにそうなのだが,天皇制とはもともとそういうものだとも言える.
 このような事実をふまえ,そのうえでアベ政治が行きづまるときに,それを越えてゆくために,さらにその基層にあることごとを掘り下げ,これからの人の立つべき根拠をまとめている.それが,まことの神道である.そしてこれは,明治期に国家神道という真逆のものに置きかえられたのである.『神道新論』の意味をもう少し展開して,語りあうための準備である.