梅雨はどこへ

 梅雨の時節のはずなのに,雨が降らない.降るときは夕立のような通り雨である.土曜日は定例の梅田解放区であったが,パラパラとし始めたのでガード下に移動.すると,猛烈な雨となり,しかし七時半頃はもう上がっていた.やはり気候は変動していることはまちがいない.このような気候変動は,この地球では何度も何度もあったのだろう.
 その梅田解放区,こうしてやっていると時代を反映していろんな人がやってくる.一昨日は,手拭いを頭に巻いた1人の青年が立ち止まり,話しかける.彼もいろいろ今の政治に言いたいことがあるようだった.それでマイクを手にして話していった.また,鳥取だったか遠くからきた青年も,ネットで見たと,この梅田解放区を知っていて,マイクで話していった.二人とも今の政治に怒りをもっている.そのことをはなしていた.

 昨日の日曜日は,G20に反対するデモなどが大阪であった.これは学生中心.大阪にいきたかったのだが,仕事が混んでいて,地元の,アスベスト飛散に対する取り組みを進める人たちの「西宮こしき岩アスベスト裁判」報告集会に顔を出してきた.皆さんの旧夙川学院短大の解体におけるアスベスト飛散訴訟があったから,私の地元での夙川学院中学高校校舎解体工事は,業者とも話しあいをすすめ,工事協定書も結んで,いちおう飛散させることなく解体工事は終わった.
 これらのことから,私もいろいろアスベストの問題を知ったのだが,それで思い起こされるのは,阪神淡路大震災のときのことだ.崩壊したビルの合間を歩いていた.みな多量のアスベストが飛散するなかを歩いたのだ.崩壊した建物の撤去作業も何も防塵せずになされていた.あれから20年以上経ち,あのとき吸い込んだアスベストを原因とする病変が現実化するときになっている.

 今は週に3回夜授業をし,自宅で問題づくりに取り組んでいる.三系統の問題を作っている.問題を作り始めると,寝が浅くなる.いろいろな考えが寝ているときにうかぶのだ.それがいつもいい材料になる.起きているとき思いつけばいいのだが,起きているときというのは,分かっていることを点検しながら書いてゆくときで,新しいことを思いつくのはいつも明け方か,犬と散歩しているときなんかなのだ.
 あまり根をつめるとよくない.六年前は結局夏の疲れも重なって秋になって肺がやられ,五週間入院した.今も肺に傷は残っている.ただあのときと違うのは,今は薬を何も飲んでいないことだ.あの入院の前はすぐ漢方の風邪薬を飲んだ入りしていた.退院から一年かけてステロイドを減らし,治癒したときから以降この五年,薬はやめた.いちど食べ過ぎて消化補助剤を飲んだだけだ.
 この数日咳が出ている.咳が出れば漢方薬,が昔の自分だった.いまは,節蓮根の粉末を湯にといて飲む.普通は数日でなおる.それでも六年分の年齢が加算されているから気をつけなければならない.いずれにせよ,人に迷惑はかけたくないという気持ちである.

 いろいろ考えることがあるのだが,少しずつ書きたしてゆこう.