晩夏に思う

 夏の終わりの時節となった.夕方はツクツクホウシの鳴き声を聞く.「ツクツクホウシ」というけれど,鳴き声は「ホーシ・ツクツク」である.この声を聞くと夏の終わりをしみじみ感じる.そして今年の夏をいろいろとふり返る.まだ秋の初めのを告げるヒグラシの声は聞かないが,夜,仕事の帰りには近くの竹藪から虫の鳴き声がまさに響いてくる.秋が近いのだ.

 この24日は地元自治会の地域内に一つだけあるお地蔵様の地蔵盆であった.この地蔵様には世話人会があって私もその中に入れてもらっている.私は日頃,火曜日から金曜日まで,毎朝六時半頃にこの地蔵様の祠の扉を開けるのを引きうけている.歩いて七,八分,犬を連れて行く.
 年に一度のこの日は男衆四人ばかりで,朝早くから提灯やテントを用意して,それから世話人が皆やってきて交代で座る.私より少し年上の、私を含めて爺さん婆さんである.子供らがお参りに来れば,お菓子をわたす.夜の九時に片付け終わるまで,一日がかりであった.この日は梅田解放区の定例の日であったが,大阪に出る時間はなかった.
 そして25日は私が代表をしている地元自治会の防災訓練と納涼会.夕方四時前に消防車が一台,消防士が四人来てくれて,消火器の使い方,応急担架の作り方,AEDの使い方などの練習をする.市が届けてくれた非常用のアルファ化米の試食を兼ねて,フラダンスの会の踊りを見ながら,夕涼み会をした.
 このような取り組みは2016年の夏からはじめた.そのときのことは「暑い晩夏に」にある.地域の集まりにやってくるのはやはり老人が多く,若い人らの地域作りへの参加を促してゆくのは,これからの課題である.これで今年の夏の行事は終わりである.それらを報告する回覧板も作って庶務の人に渡した.
 この夏は,もう一月前だけれど,奄美大島に小旅行をした.実際にその風土に入ってみると,何とも懐かしい感じがした.沖縄はやはり違うという感覚が先にくるが,奄美は違いもするしまた畿内と同じものも感じる.この感覚は今も残っていて,そうすると黒糖焼酎がうまい.そして,奄美の風土の中で三日ほどいて,自分はいろいろしてきたと考えているが,小さなことだとしみじみ思った.

 さて,地域でのこうしたことをやりながら世を見れば,今まさに世界は分水嶺にあることを思う.雑誌『日本主義』最終号への寄稿「分水嶺にある近代日本」の締めに,「日本主義」を再定義し次のように書いた.

 私は、日本主義とは、里のことわりにもとづく世を生み出し生きんとすることであると考える。根のある変革思想とそれにもとづく行動である。日本主義を再び人民の手にとりもどし、次の時代をひらくために、なし得ることをすることが、いま歴史が求めることである。
 それはまた、帝国アメリカの崩壊に備え、その後の世界をどのように構成してゆくのかという課題と重なる。今日の日本では、このような議論はあまりなされてはいない。が、非西洋で最初に資本主義の世となった日本には、その経験をふまえて提言しうることが多々ある。その歴史的責任がある。それをなし得る政治をうち立てねばならない。

 その日本であるが,この夏の暑さから,もう来夏のオリンピックは無理である.中止する理性は今の政治にはない.このままいけば,多くの重篤熱中症の選手や観客が出るだろう.
 「1%による1%のための大会」にも書いたが,オリンピックは,西洋の没落が言われた十九世紀末に,もういちど西洋に自信を取り戻させようとはじまった.西洋世界のなかで行われてきたが,1964年,はじめて非西洋の東京で行われた.そして,1968年のメキシコ,1980年のモスクワ,1988年のソウル,2008年の北京,2016年のリオデジャネイロとなっていった.これは西洋の価値観を非西洋に拡げる役割を果たした.同時に1984年のロス五輪のころから商業主義,金儲けの五輪となってゆき,今回の東京もその立場からいちばん競技会が少ない夏の時期に開催されることになった.
 福島原発は管理できているというアベの嘘と,この時期は温暖な気候であるという招致の文の嘘とによって,開催が決まったのである.しかし,来年のオリンピックは,「さまざまの混乱のなかで,中断せざるを得なくなり,これ以降再びオリンピックが開かれることはなかった」と,後世歴史に書かれるかも知れない.実際,オリンピックの客観的な歴史的役割終わっている.いずれにせよ,嘘とごまかしで誘致したアベ政治の責任が問われる.
 アベ政治はトランプに言われるままにトウモロコシを大量に輸入する.遺伝子組み換えのトウモロコシである.それを国内の牛などのエサとする.私はこれまでアメリカ産の輸入肉は絶対に買わないようにしてきたが,これからは国内産の肉牛ももう食べないほうがいい.
 アベ政治とは,その祖父の岸を含め長州の地縁で結ばれた集団の権力であり,これが明治維新以来の日本を牛耳ってきた.したがって,私が言ってきた「近代百五十年のなれの果てとしてのアベ政治」は,現実的な根拠があるのである.
 それぞれの地で,この分水嶺の現れ方は歴史をふまえて異なる.日本の場合はここに書いたように,近代百五十年のこれまでの道をそのままゆくのか,ふりかえり立ち止まり,もういちど根のあるところに立ち返り足を地に着けて歩むのかの分岐である.
 今のままでは,これからいろいろな段階で生まれてゆく東アジアの共同体をめざす政治から,完全に取り残され,悲惨政治のもと近代日本は没落してゆく.
 一昨日,ソフトバンクの孫さんが「日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう」と言う.その通りである.実際,世界競争力ランキングは30位、平均賃金はOECD35カ国中18位、相対的貧困率は38カ国中27位、教育の公的支出は43カ国中40位、年金の所得代替率は50カ国中41位,障害者への公的支出のGDP費は37カ国中32位、失業に対する公的支出のGDP比は34カ国中31位である.また今日の東京新聞は「日本、続く賃金低迷 97年比 先進国で唯一減」と伝えている.しかしこの新聞記事は正確でない.日本は最早先進国ではないということを見落としている.いずれにせよ,この20年,日本は沈み続けてきたのである. 
 しかし,考えてみれば1950年代,60年代の方がいまよりもずっとよかった.経済的に沈むところまで沈み,そこから,一人一人が互いを敬い人そのものが尊重される世をもういちど作ってゆく,歴史がそうしろと言っているということではないか.
 一方,ここには普遍的な問題が土台にある.資本主義の拡大がもはやありえないという段階にいたって,このように排外主義がいろいろな形をとって現れてくるのだ.
 アメリカにおける白人至上主義,日本の嫌韓主義,欧州の反移民主義.これらはすべて,現実の中で困難を強いられた人々がそのゆえにもつ感情と,それを煽りそれを支持基盤とする権力が一体となって生み出されている. 白人至上主義については人民新聞の「白人至上主義との闘いの歴史から何を学ぶか」には教えられた.アメリカの中からの新しい動きに,励まされる.

 イギリスのEU離脱も同じところから出てきている.かつての大英帝国が忘れられない人々の数の力でEU離脱を決めたが,離脱しても大英帝国に戻るわけはない.イギリスの没落をはやめるだけである.ユーラシア大陸の東の海にある島国日本と西の海にある島国イギリスと,同じように大陸の東西の地における共同体から離脱し,そして没落してゆくのかも知れない.
 そして香港である.中国はもうとうの昔から社会主義ではない.官僚の支配する資本主義である.一方,香港がかつて属していたイギリスは,すでに没落の過程に入っている.何れかへの帰属では何も解決しない.ではどうするのか.これについては人民新聞の「香港はブルジョア的解放以外の道を模索すべき」にも考えさせられた.これらを訳された脇浜先生に感謝である.
 香港市民の闘いに敬服する.田中龍作さんが,<「(デモに)出なければもっと悪くなる」は合言葉のように聞>と伝えるように,日常の生活の場からの闘いである.

 そして,アメリカと中国の対立も,その土台にあるのは,資本主義の終焉という問題である.アメリカの中国も現政権は従来の資本主義的拡大の政治の中にあり,一方,経済の拡大はもはやありえないという土台があって,その結果このような米中対立に至る.そして今の香港の運動のなかから,このような経済拡大の枠組をのりこえる新しい人のつながりと,それを自覚した政治運動が生まれるかを,期待しそして注目している.

 没落しつつあるこの日本から,どのように立ちあがってゆくのか.その基礎におくべきことごとを『神道新論』に書いたが,まだまだそれは一般的にはなっていない.同じ仕事をしている三人で食事をしたときにこの本を渡した.どこまで読んでくれるだろうか.
 さて,どたばたしているということではまったくないが,いろいろやることは多い.そのなかで,今の世に対してできることは多くないが,それでもできることはやってゆこうと思う.