アベやめろ!(続)

 昨夜は定例の梅田解放区の日.世のあり様がいちだんと酷くなるなかで,この日はこれまで以上に多くの参加者があった.語るべきことも多く,いろいろな人が立ち替わり入れ替わり話す.5時半~7時のところが5時半~7時半と2時間やり,それでもまだまだ終わらなかったが,定例の行動は時間どおりにやることも大切で,7時半に片付けをはじめた.この熱気を拡げてゆきたい.f:id:nankai:20190929165232j:plain

 いくと,もうTさんがきていた.彼は自分のポスターなどを立てて置き,自分でももって立っている.その4月の様子.それから横断幕やポールもきてそれを組み立て,こちらはポールを持つのを手伝ってきた.若い人らがばんばっているので,こちらはポールを持つのに徹している.まもなく,西宮の地元で知りあいのKさんもやってきてプラカードを持つ.彼は終わりのころにはマイクをもって喋ることもしていた.あんな風に喋る人なんだと見直した次第.
 この日の様子は梅田解放区にある.ここにはじめて参加した人が「私はプラカードをずっと持っていましたが、消費税や原発問題等自由に発言できる場作りができていて素晴らしいと感じました。」と書いているように,皆この場に出てきてそれぞれに手伝い,自由に思いの丈を語る.このような場を作ってきた園君らに礼をいいたい.
 先日の東電旧経営陣の無罪への怒り,大阪湾に汚染水をという維新の市長への怒りを語る人が多かった.福島原発の問題では『神道新論』のなかで,

 地震列島に核力発電所を作ることの危険性は従来からも指摘されてきた。にもかかわらず、東京電力は経済を優先し、万一の場合のためのできうる対策さえしていなかった。福島第一発電所の事故はそのうえで起こったことであり、自然災害を引き金にしたとはいえ、それはまさに人災であり、予測されたことに対する対策さえ怠ったという意味において、犯罪である。
 しかし、さらにそれが惨事であるのは、日本政府や東京電力が核汚染の現実を公にすることなく隠し、本来なら放射線管理区域として厳格な管理のもとにおかれねばならない汚染地域に、人をそのまま住わせていることである。また、避難のために移住する権利さえも保障されていない。このような情報隠し、情報操作によって、避けうる被曝が逆に拡大する。これがまさにいま広がっている。この意味でこれは三重の人災二重の犯罪である。

と書いたが,今回司法も動かし無罪を出させたことで,三重の犯罪となった.この判決の日の朝,大谷直人最高裁長官が官邸を訪問し安倍と会っている.無罪言いわたしの前に報告に行ったのだろう.これは,アベ政治の犯罪行為そのものである.

 さて自分の記録のために記しておく.自分にとっては大切な意味のあることごとであった。

 先週の日曜日22日は私自身の中学校の同窓会があった.拙著を三冊鞄に入れてもっていった.そして,京大理学部の教授をおえて私大で教員もしていたUemさん,宇治の小学校でも一緒だった人で,関西の大手企業の副社長(社長だったか?)で仕事を終えたUedさん,いまも歯科医師をやっているTさんにわたした.それから話をしていると,今もある大手の会社の社長をしているというNさんが『夜明け前』を2回読んだというので,拙著のことを話した.一昨日の26日,さっそく買ったとメールが来ていた.これに対して,

Nさんは覚えておられますか。昔学校から丹波橋へ一緒に歩いているとき,兄さんが手に入れられたとかで,ガモフの『1.2.3無限大』のことを言われました。それでさっそく手に入れた1960年発行のこの本が今も本棚にあります。あの本は難しかったですが,印象深い本でした。
中学のとき,ほんとうにNさんからいろいろ刺激を受けました。
この年になって,お返しできるほどのものではありませんが,また感想などお聞かせいただければ嬉しいです。

と返信した.中学のときはみな友達だった.私だけが彼らの世界から落ちこぼれたのである.そういうものが,かつての左翼言葉で語っても彼らの内に届くことはないだろう.そのような問題意識ももって書いた拙著はどうだろうか.届くだろうか.

 26日は杉村さんと大阪北の十三で会食をした.人民新聞に出す拙著の書評を書いてくれることになり,2日後さっそく原案がメールできていた.会ったとき杉村さんが訳されたイタリア現代思想の本『フューチャビリティー』をいただいたが,その扉に「不能の時代と可能性の地平」という言葉がある.まだ少し読んだだけだが,実はこの本の問題提起と拙著は深く関係している.この可能性はそれぞれの固有性に根を待たねばならず,拙著もまたこの可能性の扉を開ける試みなのだ.杉村さんはそこを評価してくれたのだろう.書評も記事なればここに紹介したい.
 欧州の現代思想に対し,それと同じ水準で非西洋からの問題提起と対話が必要な段階に来ている.いささかでもこの歴史の求めに応えてゆきたい.