核炉崩壊以降に生きる(二)

 14日土曜日鹿砦社から『NO NUKES voice vol.22』『紙の爆弾』2020年1月号増刊』が届いた.季刊で出されるこの雑誌『NO NUKES voice』は『紙の爆弾』の増刊として出されているが,いつも献本としておくってくれる.ほんとうにありがたい.何とも読むところの多い雑誌である.1日がかりで読み通した.
 今が核炉崩壊後の世界であることを覆いかくし,終わったかのように見せかけようとするものが支配している世にあって,鹿砦社の雑誌『紙の爆弾』とそしてその増刊の『NO NUKES voice』は,今の世のほんとうの姿を伝える.
 それにしてもものすごい取材である.取材力に感銘する.今年は鹿砦社ができて五十年だそうである.こちらは仕事でいけなかったが,先日はその記念集会も,東京と西宮であった.京都で『季節』という雑誌に出会ってからなので,確かに半世紀が経っている.


 昨日,15日日曜日の午後は時間がとれたので,「原発被ばく隠し・2020年事故幕引きを許さない大阪集会2」に参加してきた.「2」というのは2回目ということである.天満のPLP会館が会場であった.福島や関東からの避難者がそれぞれに語る.政府は2020年のオリンピックでもって,この事故が終わったことにしようとしている.しかし、この核惨事は今も続いている.事故以前とはまったく違う世界に生きているのだ.報告を聞きながらそれを実感する.
 日本政府の避難者への冷たい対応を聞くと,まさに「人でなし政府」そのものである.そしてその政府のもとで,あらゆる分野で日本が没落してゆく.
 それでもここには,この現実を何とかしようとの思いを同じくする人が100人近く集まる.次の時代の芽ともいうべきことだとも思う.集会のあと15:40に天満から梅田までデモ.そして,いつも梅田解放区をやっているところで集会をしてきた.

 今日16日の夕方は,それこそ半世紀近く前の京都ベ平連の時代からの友人の田村さんがくる.広島から京都に来て,それから長く大阪で労働運動をやってきた.彼は広島の北の方の集落にある神社の後継ぎである.広島と大阪とを行き来している.大阪に出てきているので会いたいとのこと.
 拙著『神道新論』をこの前10月中頃に会ったときに渡したら読んでくれて,もう10冊ほしいと言ってくれた.彼は今の国家神道には反対で古神道だという.私は今の問題だとかんがえるので,古神道の「古」はとって「神道」というのだが,私の言うことと通じる.
 少し話したいということで本をとりにうちに来ることになったのだ.こちらのこれからの方向を模索しているので,考えるきっかけが 得られればと思っている.
 駅まで迎えに行く.田村さんは広島の地酒の 賀茂泉 をもってきてくれて,飲みながら二時間ばかりいろいろ話して戻っていった.うまい酒だった.かつてのベ平連の仲間が,半世紀を経てこうして神道を軸に語りあうことになるとは思ってもみなかった.彼は広大の理学部の生物出身だがその広大時代の同窓会が大阪であったそうだ.そしてそこで出会った滋賀にいる同級生と明日会うそうだ.そのときこれを渡したいと『神道新論』を持って帰った.この同時代に生きるわれわれの来し方行く末を思わずにはいられなかった.
  彼から,アーリア人ゾロアスター教についていろいろ教わり,また本も紹介してくれた.自著の一部に書いたことをもう少し広い視野でつかむこともできた.

 明日は京都で授業だが,その前に日本労働党京都府委員会の委員長をしている由良さんに吉祥院の事務所で会う約束だ.彼は高校の同級で一緒に京大理学部にいった.その後彼は探検部に入り,そして南米の探検から帰ってきて,大学闘争の終わり頃に飛び込み,大学を中退した.それから空港反対運動で淡路島に住みこんだ.彼からは,高校時代にいろいろな考え方ということを学んだ.前に会ったとき,彼にそのことを話すとまったく覚えていないという.さて,今どんな話をするか.

 追伸  17日:今日は3時から4時過ぎまで,吉祥院にいた.京都市南区吉祥院は母の里.その家はもうなくてそこには工場が建っているが,西大路の駅で降りてそのあたりをひとまわりして,それから彼の事務所にいった.
 彼と話せばきりがない.もう半世紀前の高校の同級生が,68年のあの時代以降の時代に,それぞれしなければならないと考えたことをやってきたのだ.彼が高校のとき,夏休みに学校に泊まり込んで光の回析の実験をしていた.それをまとめてガリ版刷りの冊子を作った.それがこちらの押入れから出てきたので,もっていって渡した.学問としての高校物理の実践だった.
 彼は根っからの物理の人だった.大学1年のときも物理の講義のここがわからないといっていたのを覚えている.私には何のことかわからなかったのも覚えている.彼がそれから,この道に入ったのは,物理以上にやらねばならないことに出会ったからだろう.それは認めるのだが,あの物理の才能がそのままになったのは,正直惜しい.
 田村さんといい由良さんといい,話すと時間がすぐ過ぎる友人だ.友人に恵まれたとも言えるし,逆にまたそれぞれの歴史への責任も感じるというのが今の思いである.