年末デモ

 昨日の日曜日は12時から大阪北の中津にある豊崎西公園で「12・22 韓国敵視・自衛隊イラン攻撃反対! 安倍政権倒そう! 年末デモ」があり,参加してきた.3時過ぎから神戸で仕事だったので,デモが阪急梅田駅横まで来たところで抜けて三宮に向かった.
 主催したのは,12・22年末デモ実行委である.アジア共同行動,釜ケ崎パトロールの会,梅田解放区など6団体で構成されている.豊崎西公園にあるタコの滑り台の前におよそ60人が集まってくる.集会では,それぞれの代表が語り,また,韓国の原爆被爆者を救援する市民の会の活動を長くやってこられた人,日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの人らがそれぞれ発言した.
 いろいろ考えさせられる発言が続いた.日本の侵略戦争や植民地支配の歴史を視ようとしない今の政治風潮のなかで,逆にこの歴史と向きあいそこからどのように生きてゆくのかをそれぞれが模索し,それが語られる.いつも梅田解放区で見かけるATTAC関西グループの人が,こうして街頭で語りかけることで、少しずつではあるが若い人らが参加してくるようになってきた.これからも地道に続けてゆきたいと言っておられた.
 それから梅田の方に向かってデモに出る.日曜日の昼時である.公園のあたりはそうでもないが,梅田近くまで来ると,通りは人で一杯である.2車線の道の半分を埋めてデモをする.道ゆく人らはどのように聞いただろうか.

 香港の中学生や高校生大学生があのように街頭に出て闘っているのに,なぜ日本の若者は怒らないのか.没落する国の現実が否応なく吾が身に迫らなければ,気づかないのか.あるいは,いろいろな困難があっても,自分の責任だと考えて,反抗しないのか.
 なぜか.これについてはすでにも書いてきたが,近代日本の学校教育が,ものごとの根拠を問うことを教えない教育であったことが大きい.戦争の責任は問いつめない.「原発は安全だ」と言われればそのまま受け入れる.このように仕込まれてきたのだ.この現状を変え動かしてゆくのは,集会での発言にあったように,地道な呼びかけを続け,できる行動をすることである.
 また,ながく続くアベ政治自体が,安倍晋三の個人的な問題ではなく,近代日本の成れの果てとして現れてきたものであり,晋三を取りかえて終わるものではない.安倍をやめさせることは,この国の政治のあり方を根底から動かし変えてゆく始まりに過ぎない.それは,今の世の人と人との関係のあり方を変えてゆくことが内実として伴わなければならない.そしてまたそうしなければ人々が人として認められ互いに助けあい生きてゆける世にはならない.その途は遠いかも知れないが,それを生みだしてゆくのだ.歴史が求めることは,時間がどれだけかかっても現実になる.

 それでもこうして冬の日曜日の昼に人々が集まる.このような人々の存在と横のつながりは希望である.この12月に会った2人の友人との関係も,個人的な思いは別にして,この横のつながりの一部である.
 そして,仕事の帰りに駅から自宅まで道を歩いていて,一歩一歩踏みしめて歩くことの大切さを思った.足を地に着けて、根のある言葉を掘り下げつむいでゆく.根なし草の日本近代を乗りこえてゆくための基礎作業を深めたい.その一部でもあるのだが,学問としての高校数学も,もう少し深めたい.
 私は,かつてはある党派に属し,その専従もしていたのであるが,今はまったくの個人である.町内会以外の一切の組織や運動団体に属することなく,こういうことを考えている一個人として,これからもこのような場に出てゆく.組織に属さない市民が参加することの大切さが,かつていろいろ主催する立場にあったがゆえに,よくわかる.同時に私にとっては,街頭に立って考えることで,新しい視点を得る機会となる.実際そのような経験を経てきた.これからも参加してゆきたい.この日の集会とデモは,来年の自分の課題をいろいろ考える場となった.

追伸25日:昨日まで4日間,いわゆる冬期講習だった.3年生と2年生のクラスで授業をした.いろいろと追加問題などを配り,いっしょに考えた.十数年前の問題とその当時こちらが作った解答などを準備し,いっしょに考えると,もっといい解法が出てきたりと,なかなか楽しかった.私なりに充実し得るところが多かった.この二十年,青空学園をやってきたが,その営みの根底には,やはり高校生とのやりとりがあることを再確認した.
 二十数年前,私がそれまでのいろいろな活動に破れ,路頭に迷おうかというときに,「お前は高校生に数学を教えるしか能がないのだから」と塾での仕事を紹介してくれた,かつての市芦での同僚であるT先生の言葉を思い出した.自分の原点を再確認する四日間であった.

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