冬の週末

 2020年は世が大きく動く年であろうことは予想していたが,このようにウイルスのまん延が起こるとは思いもよらなかった.激動のときにこういう疫病の広がりが重なるのは歴史上いくつかあった.そしてそれがそのときの政治の劣悪さ、悲惨さを浮きだたせる.いままさにこのウイルスまん延はアベ政治の結果である.
 時間の経つのははやい.もう2月の下旬である.この週末のことごとを,後で読み返せるようにいくつか記しておきたい.
 21日金曜日は京都で最後の仕事であった.来年は神戸だけになるので,もう京都に毎週に行くということはない.それで帰りに行きつけの店によって少し食べて飲んで挨拶してきた.この京都駅前,塩小路烏丸東側の店に毎週行くようになってもう20年になるのではないか.おそらく,こちらが青空学園でいろいろ制作してきた時代と重なる.
 京都の街角に立ったときと,神戸の街角に立ったときでは,感覚が違う.京都の街は中に入っているという感じで,神戸の街は外から見ている感じである.フランスやドイツの街角に立ったときの感じは神戸に近い.京都は自分の体の一部のようだ.
 京都で仕事がある日で可能なときは早めに家を出て,あちこちまわってきた.南区吉祥院にある吉祥院天満宮はこうして行きはじめたところだ.いつも西大路の駅で降りて十条通りの手前まで歩く.火曜日18日も京都だったのでこの日も参ってきた.また,河内の国と山城の国の境の山城側の山崎の駅でおりてあちこちまわるのもこの数年のことだ.そこで撮った十七士の墓の写真は拙著にも使った.まだ天王山には登れていない.どこかでゆけるだろうか.

 22日土曜日は午前中味噌造りをした.まず,去年の冬に仕込んだ味噌を瓶からとりだしガラスの容器に移す.手に付いたのを口に入れるとこれがうまいのである.それから瓶を洗いそして,糀と塩を,大豆をすりつぶしたのとよく混ぜて瓶に入れる.半日仕事である.糀も大豆も,種からよくわかっているものを使う.今店で売っている味噌は遺伝子組み換えの大豆ばかりである.こうして自家製の味噌の味を知ると,もう外での味噌は食べられない.

 それから犬の散歩で1時間歩き,一休みして梅田の北,中津に向かう.梅田解放区の日である.中津の豊崎西公園に集まって梅田までデモをする.そしていつものところで喋る.この日の様子はたぬき御膳さんのところや,たたかうあるみさんのところにある.

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 私は最初からデモの先頭で上の写真の緑で囲んだのをもって歩いたので,私が撮ったデモの写真はない.この写真は到着してからのものである.この日の参加者は30人ほど.それに対して大阪府警の警官も同じくらいいた.それが梅田までデモの横に並んで歩くのだ.仕事とはいえ彼らはアベ政治をどのように考えているのだろう.
 梅田界隈はいつもより人通りは少なくなっている.それでも週末の梅田である.道路の半分を占拠してのデモである.すれ違う若者は何を思っただろうか.それからいつもの東梅田の一角で若者が喋る.この日ももっぱら横断幕などをもつのを手伝う.終わってから若い人らは交流会もしているのだが,こちらはここでひきあげる.

 いつのまにか2月も下旬になった.2月の初めに高校の同窓会総会があり,卒業生の著作を展示する一角も設けるとのことだったので,『神道新論』をもっていってきた.その後,そこで出会った同級の人らに拙著を送った.そのひとりのHさんからメールをもらった.彼は阪大の建築科を出て,都市での街づくりを仕事にしてきた.退職したあとは、広島県の高原の方にある里山に移り住んで,農村と都市の結びつきを模索する暮らしをしている.メールでつぎのように言ってきてくれた.

 さっそく著書をお送りいただき大変ありがとうございました。
 とても気持ちのいい本でした。問題意識を実直に追及することに感動しました。そして日本語の原点に戻って考えを整理することに新鮮さを感じます。
 地域を基盤にヒトが協働生活を持続する生き方が神道(カミのミチ)であるとして、仏も共にあるとする考え方に共感します。私は今、70戸のところで、お寺と神社の総代をしていますが、素直な気持ちで神社をみることができそうです。

 私の方は『神道新論』をふまえて,今の時代に次にまとめるべきことを模索している最中である.そういうときに,自分の理念を持っていろいろやっている人からのこのような言葉にはほんとうに励まされる.こちらの考える方向にも示唆を受ける.感謝である.