3.11の日に考える

 今日は福島の原発事故から9年目の日である.時間をつくって大阪の関電本社前までいってきた.いつも梅田解放区で出会う人らと,そして前からここで座り込みを続けている人らと,それぞれに抗議の意思表示をしていた.関電の周りをデモしながら声をあげる.こちらは仕事もあり,少し早めに戻ってきた.かつて毎週金曜日に通い続けた関電の周りは,何とも懐かしい.
 いや,懐かしいと思うだけの時間が経ったのだ.しかし、この核惨事はこれからも続く.何も終わっていない.この日のことはたたかうあるみさんのブログに詳しい.この後の行動もいろいろあったようだ.いつもご苦労さまです.
f:id:nankai:20200311195957j:plain

 家に戻ったら、鹿砦社の松岡さんから3月11日発売の「NONUKES voice」23号が届いていた.いつもありがとうございます.それを読みながら,今日考えたことと重ねあわす.自分の記憶のために記しておく.
  なによりおさえなければならないことは,いままさにわれわれは,福島原発原子炉崩壊以降の時代を生きているということだ.この時代においては,それぞれの人が,原子炉崩壊の意味とは何か,それ以降の世をいかに生きるのか,それが問われている.そのことをどこまで自覚するかを含めて,問われている.
 原子力緊急事態宣言は今も続き,これを根拠に被曝許容範囲の制限も福島ではないに等しい.そのことを覆いかくし,終わったことにする力が今の日本を支配している.地震列島に五十六基もの原発を作ったのは,そこに利権と利潤の拡大を求める日本の資本主義そのものである.
 そしてこの資本主義は原発事故とそれを受けて発令された原子力緊急事態宣言を覆いかくし,今が原子炉崩壊「以降」にあることを否定する.しかし,いかに覆い隠そうとしても,核惨事の中にあるという事実は,厳然と現実化する.東京から西へ避難した人らの存在がそれを教える.
 九年前,福島原発の核炉が東日本大震災で崩壊したとき,これを教訓として,日本は変わらねばならなかった.ここに至る歴史を省み,近代の世のあり方を問い返さねばならなかった.しかしそれはなされず,それどころか,これをいわゆるショックドクトリンとして利用し,惨事に便乗して民主党から政権を奪いかえし,新自由主義の資本主義政治がおおっぴらになされてきた.それがアベ政治である.
 東京電力福島第一発電所の引きおこした核惨事は,かつての十五年戦争の敗戦につぐ近代日本の第二の敗北であった.近代日本に内在する基本的な問題が,二つの敗戦に通底している.この過ちを三度くりかえしてはならない.
 しかしアベ政治の下では,再び同じ過ちをくりかえそうとしている.

 それが,コロナウイルスに対する政治の対応である.福島の核惨事と同じ過ちがくりかえされている.9日に書いたように,この疫病の蔓延に対するアベ政治の対応は世界的に見ても最悪である.
 そして日本の経済はこれを契機に大きく没落する.株価の暴落を糊塗するために政府は年金基金で株の買い支えをしている.しかしこれも限界がある.遠からず年金の破綻が現実化する.年金の破綻は日本没落の始まりに過ぎない.
 ワクチンなどの予防策が出てこない限り,一定の人が免疫をもつまで続く.国際的にも一国的にも人の移動が制限され,多くの産業や社会機能が制限される.これまで拡大し続けてきた新自由主義経済に大打撃を与える.金融危機も進行し,国際的金融資本の世界体制とそれにもとづく米国の覇権体制が終焉する.まさに資本主義の終焉である.
 それがこのように疫病の流行によって明確になるとは思いもよらなかった.走り続けてきた人類に,少し立ち止まってこれからのことを考えよ,ということなのかも知れない.そしてそれは,立ち止まることをしないアベ政治を打ち倒せ,ということでもあるにちがいない.

 私は二年前『神道新論』を出版した.物書きでも何でもない私のようなものが,自著を出版したこと自体,福島の事故以降に生きるものであるがゆえのことであった.あのようにまとめるのに,自らが青空学園で考えてきた蓄積は必要であったが,福島の事故後に生きるということがなければ,出版はなかったかも知れない.そのもう一つの契機は二〇一三年の秋に五週間の入院をしたこともある.福島の事故と,自らの病気とそこからの回復,これが雑誌への寄稿とそれをもとにした出版を促したのだ.
 『神道新論』では,日本語に蓄えられてきた智慧としての日本神道をとりだし,そして,それとは真逆の国家神道の下にあった近代日本を照し出し,次の時代の構想と,そこに向けて今をいかに生きるかについて,考えた.
 いわば,拙著は日本語に蓄えられてきたこの智慧を取り出すための基礎作業であった.それをふまえ,いまの時代の課題,歴史の求めに応え,資本主義以降の歴史の扉を開くことについて,掘り下げて考えたい.それを求めてゆきたい.
 そのように思いながら,それを考える場として,私は街頭に立っている.