歴史は繰り返す


   「歴史は繰り返す」,昨夜コメント欄にこれを書いたが,気になったので、この言葉をもういちど調べてみた.日本ではローマ時代の歴史家 クルチュウス=ルーフス の言葉と言われているが,歴史を研究した人なら誰が言ってもおかしくはない.
 そして,カール・マルクスは,『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』の中で,「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と書いた.これもマルクスがはじめて言ったというより,原本では確認していないが,ヘーゲルが『歴史哲学』の中で書いたのが最初のようである.ヘーゲルは「弁証法」の一般論としてこれを言い,マルクスが、フランス革命からの具体例として書いたようだ.
 昨日は定例の梅田解放区の日であったが,横断幕をもちながらこの言葉を考えていた.そうしたら今日来た岩上さんのところからのメールに次のことが出ていた.
 岩上さんが昨日の安倍首相の記者会見でぶっつけ質問,「特措法の非常事態宣言で国民を慣らし,その後に改憲で緊急事態条項を導入するのではないか?」これに対して安倍は,「安倍独裁」を否定せず,それは「国民が選ぶことです」と,応えたというのである.
 なるほど歴史は繰り返す.ヒトラーは,ベルリンが,ナチスから言えば陥落し,連合国側からいえば解放され,自死する直前,「私を選んだのは普通の国だ。私を怪物と呼ぶならば、選んだ選挙民が悪い」と言い残したそうである.ファシズムの権力者は同じことを言うのだ.歴史は確かに繰り返す.ヒトラーはこの言葉を残して死んだ.安倍が同じことを言っているのは,それだけ追い込まれているということだ.
 マルクスの言葉を借りるなら,ヒトラーを一度目として,アベ政治は二度目の喜劇である.実際,安倍の愚かさ加減はもはや喜劇の段階である.しかし、ヒトラーが台頭してきたときも,ドイツ人の多くは彼が権力を握るところまでゆくわけないと思っていた.だが歴史はあの通りである.
 アベ政治のままでは経済恐慌に対応できず,日本はますます没落をはやめ,避けられたはずの国民の犠牲が広がる.ここはまさに,安倍を選んだ国民がそれに気づき,「国民が選ぶことです」の言葉とともに,安倍を追放しなければならない.それが歴史に対する,二度目の喜劇を生きるものの責任である.

 と言うことで,定例の「安倍やめろ」の梅田解放区に行ってきた.こういう時代になって参加者が増えた.梅田東の南北の歩道の両側に並ぶ.50人が集まってきた.そして1時間半,それぞれが喋る.皆,今の世の動きに,このまま許してはならないという,強い思いで語っていた.

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 いつものように私は喋らず,横断幕をもつ.東梅田の街頭に立って人の語るのを聞き,いろいろ考える.私にとってはそういう場になっている.だから出かける.若い人らはこの日も打ち上げの交流会をやっているが,私はそこには出ず,戻ってきた.
 先日も書いたが,いま歴史が大きな分水嶺にあることはまちがいない.このことは1年前にある雑誌に寄稿した『分水嶺にある近代日本』に書いたが,このように現実の問題として現れてきた.このなかでいかに生きるのか.ほんとうに,難しい時代になってきた.この歴史の動きに対して,自分にできることはしておきたい.
 三月も半ばを過ぎた.自分のいくつかの仕事や自治会の事々で新年度の準備をはじめてゆかねばならない.また前著を受けての,次の著作を準備しはじめている.枠組はある程度でき,その下にこれまで書き置いたものもまとめたが,これからひとつのものにしてゆかねばならない.これを今年前半の仕事の柱にしている.

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