安倍を処罰!

 昨日は定例の梅田解放区があり,参加してきた.コロナ生活補償を求める大阪行動にも記事があるように,昨日の解放区は,現役の議員から学生までがいろいろ語る集会とデモ,そして梅田での街宣だった.
 まず大阪北にある大淀コミュニティセンターで「安倍を処罰!」を掲げて集会をした.50人ほど集まっていただろうか.2時に始まり,「アベ政治を終わられるために」と題して,森友学園問題を考える会/豊中市議会議員の木村真さんが語る.そして「私たちが変われば政治は変えられる」と題して,社民党全国連合の大椿ゆうこさんが語る.

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 それからSwing MASAさんたちのトランペットやギターなどの楽器の演奏である.人と人の結びつきが昔とは違ってきていることを思う.そして,辺野古の問題から,コロナ禍の下での生活保障の闘い,大阪都構想の問題まで多くの人が発言する.最後に「安倍,菅の労働者殺しや組合弾圧を許さない」と題して,連帯ユニオン関西生コン支部の西山直洋さんが報告して、集会を終えた.
 会場を片付けて東梅田のいつものところをめざしてデモにうつる.集会場が豊崎西公園より北東にあるので,倍近く歩いた.東梅田でもういちど道ゆく人に呼びかける.木村議員も大椿さんもさすがに喋るのがうまい.
 この日は東京でも広島でも,街頭の行動があった.田中龍作さんが 官邸前で「安倍スガ自民党にとどめを」と叫ぶ と伝える.これからも第2と第4土曜日にそれぞれの街で街頭に立とうと,広く呼びかけてゆく.
 私はこのなかでは最年長ではないかと思う.だれかにいくつですかと聞かれて答えると,親と3つ違うだけですね言われたりもした.いつものようにデモを一緒に歩いて着いてからは街宣を手伝う.若い人らが多くなってきたのはいいことだ.その中に年寄りが混じっているのもまた悪くないと参加している.この行動のときは日常から少し距離をおいて考えることができる.それもあって,若い人らがやっているところに出かけている.私にとっては,街頭に立つのはいろいろ考える場になるからだ.
 菅政権が発足した.アベ政治はコロナ禍に結局は何もできず,安倍は政権を投げ出した.同時にこれは,「戦争法」強行採決以降のこの五年間,新しい形で現れてきた市民の怒りを恐れた結果でもある.スガに代わっても近代国家の枠組の破壊はそのままであり,収賄公文書偽造の犯罪者・安倍晋三は逃げおおせている.それを裏で差配してきたのが菅である.
 日本のテレビや新聞はみなこの事実を隠し,菅の人柄をでっちあげて美談に仕立てて報道する.前にも書いたように,日本の大手のテレビや新聞は報道機関ではなく,洗脳機関である.

 なぜこんなことになったのか.資本主義の終焉期に,これまでのように民主主義を立て前とする余裕が資本の側になくなっている.ここに,トランプやマクロンや安倍ー菅が現れる一般的な土台がある.そのうえで,固有性の問題で言えば,それぞれの歴史をふまえた背景がある.
 そのなかでも日本の現実はとりわけ酷い.なぜこのようになったのか.日本についていえば,この現代日本の惨酷なあり様は,近代日本の成れの果てであり,近代日本の世が根なし草の世であったからである.

日本近代は人のうちの力で生まれたものではなく根なし草であった。
近代日本語は翻訳造語にはじまり言葉のしくみには根をもたない。
世界はいま拡大を旨とする資本主義から脱成長の協働主義への転換過程にある。
このなかで日本はかぎりなく没落してゆく。
根なし草言葉で根なし草近代を越えることはできない。
日本語に深く立ちかえりそこに伝えられた智慧に学び資本主義近代を越える礎としよう。

  これはいま,青空学園日本語科の扉に掲げている一文である.私はこのように考え,この二十一年,青空学園日本語科で,日本語そのもに立ちかえり,そこに伝えられた智慧をくみとるための基礎作業を続けてきた.
 どのようなときに,言葉に根があるかどうかを考えるのだろう.私の場合は,高校生の頃に何か日本語に違和感をもっていたのを,後に思い出し,言葉の根ということを考えた.そのことは『学園の初心』に書き、そして『再定義の試み』の旧版の中にある「再定義とは」に書いている.

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        28日撮影.近くの駐車場の端から甲山を望む

 このような基礎作業は,いずれ日本が没落し果てて,そこからもういちど世の中を立て直してゆくときに意味をもつ.それまでは,できるだけの作業を積み重ねておく.私にとっては,再生のために必要なこととして,目的意識をもって見るべきことが今の日本の没落である.
 当面する課題は,次の全国選挙で自公維新を倒し,野党統一政府のもとに指揮権を発動して安倍を逮捕することである.これは日本に民主主義を回復する第一歩である.
 いろいろ考えさせられた.このように集まる人々の中にいて,希望も見いだせる半日であった.