アベ・スガ政治を終わらせよう!

 昨夜は定例の梅田解放区であった.梅田解放区にもあるように,この日は東京や京都でも行動があった.あまりにも酷いスガ政治への危機感に若い人らが声をあげる.いま声をあげ続けることはほんとうに大切だ.
 こちらは,彼らががんばっているので,できることはしようと,一緒に梅田の街頭に立ち,ビラ配布を手伝う.

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 私は先日あるところに「そのアベ政治を菅は引き継ぐと言う。引き継ぐだけではない。さらに国民監視を強め、権力を公然と私物化して操る。菅政治の方向は現代のファシズムに至る」と書いたばかりであるが,すぐに「至」った.書いてすぐにスガは日本に新たな段階のファシズムそのものを現実化した.それが,日本学術会議への人事介入である.スガがこんなに早くその本性を現すとは思っていなかったが,それだけ向こうに余裕がないのかも知れない.
 しかしそれにしてもなぜ日本の研究者や日本学術会議につながる者は立ちあがらないのか.日本の大学はそんなものだと見切りをつけて研究者の世界から身を引いて45年の私であるが,それでもこれだけのことになれば人として立ちあがらねばならない.それもできないのか,という思いであった.
 そのなかで,私の読んだ『日本会議の研究』の著者である菅野さんはこのような今の知識人の現状にくさびを打ち込むべくハンストを続けている.その輪も広がっている.田中龍作さんが詳しく伝えてくれている.日本の社会運動も,ようやくに新しい段階を拓きつつある.こちらもできることを続けてゆきたい.

 この二週間,多くの本を読むことができた.読書録として書いておく.
 まず,『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト 』(原田 伊織著,講談社文庫,2017)と『明治維新という過ち・完結編 虚像の西郷隆盛 虚構の明治150年 』(原田 伊織著,講談社文庫,2018)である.この二書は「明治維新とは、日本を近代に導いた正義なのか?」と問い,維新の本質を総括する.そして,この近代が人民の生活とかけはなれた政争の連続であったかを暴く.日本近代は根なし草近代であった,という当方の主張を立証するのものであった.
 そして,『慰安婦たちの太平洋戦争―秘められた女たちの戦記 』(山田盟子著,光人社NF文庫,1995)と『続・慰安婦たちの太平洋戦争―正史になき女たちの戦記』(山田盟子著,光人社NF文庫,1995)である.「その数二十万,陸軍は慰安婦,海軍では特要員と呼ばれ,その存在も,生死さえも闇の中に閉ざされた“軍機の女たち”―南方の地でからゆきの墓群を眺めて以来、その足跡を追いつづけてきた著者が現地取材を重ねた」と本書の紹介にあるように,これもまた近代日本の教科書では語られない闇を照らす書であった.
 さらに,『つぶやきの政治思想―求められるまなざし・かなしみへの、そして秘められたものへの 』(李静和著,岩波現代文庫,初出1998)である.これは読み切れないすごい書である.そして,この李さんへの応答も載せた同書の崎山多美の一文に惹かれた.
 それで,書棚にあった崎山多美の小説も入っている『現代沖縄文学作品集』を読みかえし,それから『月や,あらん』(崎山多美著,インパクト出版会,2020)を取り寄せ読んだ.14日『クジャ幻視行』(崎山多美著,花書院,2017)も届いた.
 これらは朝鮮,そして沖縄からの,戦後日本への問いかけである.圧倒されるものばかりであった.戦後の日本社会はこのような歴史に向きあうことを拒否してきた.アベ政治もまた慰安婦問題から逃げとおした.
 『人新世の「資本論』 (斎藤 幸平著,集英社新書,2020)も読んだ.現代は,地質学的には,人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代である.これを止めるためには資本主義の拡大と利潤追求を止めなければならない.危機の解決策を,晩期マルクスの思想の中に探るものである.

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 これらを読み,自分が青空学園日本語科でやってきた言葉の基層を掘り下げる基礎作業は,このような問題提起に対応できるのかと自問しなければならなかった.このような問い自体が,これまでの作業の上にはじめてうちからの問として出てきたものであり,そのことを踏まえたうえで,しかし,この問は重い.これは今まさに考えている途上であり,考えられたことをここにも書き足してゆきたい
 近代といわれるこの百五十年を経て,日本においてこのような問題が現実の歴史課題となってきたことは確認できる.現実の歴史過程も,思想的にも,転換が現実化する歴史の段階になってきたことを実感する.この歴史の要求に自らできるかぎり応えねばならない.
 アベ・スガ政治を終わらせるとは,この,歴史と向きあわずそこから逃げる政治を終わらせることでもある.梅田解放区のように,歴史に向きあい行動する若者は大切だ.これからもできるかぎり参加してゆこうと改めて思った次第である.