三月の終わりに

 昨夜は定例の梅田解放区であった.毎月第4土曜は大阪北の中津にある豊崎西公園に集まり,集会をもって,それから梅田までデモをする.関生連帯労組から,大きな音の出る街宣用のスピーカーも来てくれる.こちらはいつものように横断幕をもって先頭を歩く.たたかうあるみさんのブログにこの日の写真が出ている.

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 梅田で音楽をやっていた人らと合流する.30人近くになっていた.そして道ゆく人に語りかける.ここで喋る若い人らはほんとうによく勉強している.教えられることも多い.私はそれを聞きながらいろいろ考える. 

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 さて, 東京オリンピックとやらの聖火リレーが始まったそうだ.

 オリンピックとは何か.安倍がオリンピック誘致を決めた頃の「1%による1%のための大会」に書いたように,西洋資本主義の価値観を世界に拡げるためにはじまったものであった.それをアベが誘致し,今の日本がおこなうのは,「原発事故は終わった」「放射能被害は存在しない」とごまかして現実を覆い隠すためである.事故炉の廃炉作業はデブリの取り出しもままならず,あと何十年,何百年かかるかわからない.汚染土や汚染水は溜まり続ける一方である.公共事業で使ったり海への放出したり、汚染物の拡散が目論まれている.

 今の日本は,今このときにオリンピックをやるという政治が支配している.本来,政治とは何か.ある日本語の辞典で「政治」は

国を治めること。近代では、主権者が立法、司法、行政などの諸機関を通じて国家的統一を維持し、国民と共同生活を守ること。

と定義されている.1988.国語大辞典(新装版)小学館

 このような近代政治の規範に照すとき,今の日本の政治はまったく政治とは言えないものになっている.明治維新よりこれまで,この近代の規範そのものがこの日本においては根づかなかった.私の言う根なし草近代である.その成れの果てとしてのアベ・スガ政治である.
 地球の有限性に規定されて,拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉の段階に入っている.アベスガ政治は,その日本における現実である.

 だが,ここまで酷いことになっても,内閣を倒し日本の政治を変えようという大衆行動のうねりは,まだ起こらない.このままでは,この日本列島のクニはかぎりなく没落してゆく.それでも,このうねりのないなかで立ちあがった人々は,たがいに繋がり前に進む.大阪で続けてきたこの運動もまた,あきらめない人たちの、そんな運動だ.つくづくそれを思った.実際,語る若者も,あきらめないと言うことをしきりに言う.

 それに応えて自分に何が出来るのか.前にも書いたが,『神道新論』の展開として「根のある変革への試論」はもっと深めねばならない.これを踏まえて「緑の社会主義」を展開しなければならない.
 地元自治会の仕事も引きうけているし,問題づくりの仕事もけっこうある.そのなかで,自分のなすべき仕事はおさえておかねばならない.私は自分お仕事を,没落の果てから甦るための基礎作業と位置付けているが,やはりここになすべき第一のことがある.

 三月も終わるが,年度の末にそんなことごとを考える次第である.

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 地元の神園公園の桜.28日はここで花見をする予定だったが雨になった.写真は27日のもの.田中龍作さんが言うように,桜は皆に平等に咲く.