春の梅田解放区

 昨夜は梅田解放区に参加してきた.もうほとんど桜の花も散り,緑の季節に入ってきた.それでも立っているとまだ寒い.
 私がはじめてこの取り組みに参加したのは「沖縄今こそ立ちあがろう」の歌 に書いたときなので,もう3年半ほど前になる.ここに参加して街頭に立つのは,ほんとうにこちらにとっても有意義なことである.
 核汚染水の海洋放出をやめろ/スガやめろ/維新はいらない
 自粛させるなら補償しろ
 黙ってないで立ちあがろう/手を繋ごう
等々皆で声をあわせる.人を人として重んじない政治が今の日本を支配している.それに対して,このままでは殺されると,若者が声をあげる.私は今日も横断幕を持つのを手伝ってきた.たたかうあるみさんAkhiltype6 さんのところにも写真が出ている.
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 日本の政治はこの間,酷くなるばかりであった.それがコロナ渦でさらに露わになった.日本政治の闇は,上から下まであらゆる段階を覆っている.
 近代日本は,根なし草の世であり,立場を超えた人と人の間の規範がないままの世であることを,今つくづくと思う.アベ・スガ政治によってそのことが露わになってきたことは,これを動かし変えてゆくために必要なことであるかも知れないが,しかしアベ・スガ政治の現実はあまりに酷い.
 日本は今すでに没落したクニである.没落するだけ没落しなければならない.没落の果てから立ちあがることはできるのだろうか.梅田で喋る人たちの言葉を聴きながら,ここには希望があると思った.こうして声をあげる人がいることは希望である.

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 これまでのやり方が根本からの転換を迫られていることは,日本だけのことではない.地球は有限であり、拡大しなければ存続しえない資本主義は終焉する.
 ではその次の世はどうあるべきなのか.かつて赤い社会主義がいわれた.それは、経済がまだ拡大しうる段階で,どのような方向で経済を拡大するのか.人民を収奪するのとは異なる拡大の途,それが赤い社会主義であった.
 それはしかし,ついには資本主義にのみこまれてしまった.ソ連も中国も、そしてその他のかつての社会主義国もみな,今の経済は資本主義そのもである.資本主義ということで言えば,今や中国の方が前に行き,アメリカや日本はずっと後ろをいっている.
 そのうえで,コロナ渦を契機に,この現代資本主義の大きな危機が現実化する.それは避けがたい.そして,資本主義の枠組の中では,そこからの途はない.
 これに対して,私の言う「緑の社会主義」は,もはや経済の拡大があり得ない段階において,資本主義経済に代わる途を提起するものである.であるからそれは別の生産関係を作るということではない.『根のある変革への試論』にも書いた.

 今日の根本問題は資本主義にかわる別の生産関係を生みだすということ自体ではない。生産関係の問題ではない。経済は手段であり方法であるという立場から、これをのり越えるのである。言いかえれば、資本主義的生産関係を使いこなす人とその組織、そのもとの世を生み出すこと、これが問題である。
 そして、これを創造してゆくこと自体が、資本主語の終焉である。経済は目的ではない。大切なことは、これを使いこなしうる、人を第一とする政治を生みだすことである。人としての尊厳ある生活、これこそ共通の目的である。

 そのような試みが始まっている.新しい人のつながりが生みだす世である.手を繋ぎ街に出て、この政府を倒し政治を根底から変えてゆくために,心あるものは行動を始めよう.やればできる.日本の歴史の中ではじめて,人民がときの支配者を倒し,自らの政治を生みだしてゆく.そのような歴史を切り拓こう.
 この日の参加してきた若者の気持ちを言葉にすれば,そういうことである.そしてそれは私の思いでもある.
 そんなことを考えながら戻ってきた.2週間ごとの梅田解放区は,こちらがいろいろ考えるうえで,ほんとうにありがたい.こういう場を作ってくれた若い人らに感謝する.