五輪は中止! 命を守れ!

 昨日は定例の梅田解放区であった.いつものように夕方5時過ぎに20人ほどが東梅田に集まり,7時過ぎまで声をあげ,思いを込めて唄う.現在の日本政治,そしてこの日本の世が,ますます酷くなるのに応じて,この梅田解放区の街宣も切実さをましてきた.数年来参加してきて,みなの語りを聞いていて,それを思う.

 そして,みなで声をあげる
 五輪は中止! 命を守れ!

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 まったくその通りである.通りすがりの人が立ち止まり,そうだそうだと相づちを打ちながら聞いている.一言喋りませんかとマイクを渡したら,その人も,いま五輪をやっているときかと,前を通る人らにひとしきり訴えて,いった.

 五輪は,近代資本主義の非西洋への拡大と軌を一に,ギリシャに源をもつという西欧の価値を改めてとりだし,それを非西洋にもひろげようとして,行われてきたものだ.そして,1964年の東京での開催が非西洋での最初の五輪となった.
 それからおよそ半世紀.資本主義が地球を覆いつくし,そこに現れたコロナ渦,そのもとでの東京五輪,である.資本主義の終焉が歴史の問題となり,その次をどうきり拓くかが歴史の課題となってきた中での,まさに資本主義の権化たるバッハのもとでの五輪である.

 これで五輪をやったらどういうことになるのか.五輪の後にどのような事態が拡がるのか.われわれの世代には,それを見とどけ,総括する責任がある.

 資本主義の終焉コロナ渦東京五輪,この三つが同時に重なるいま,歴史は,近代世界そのものを根底から問うことを求めているのではないだろうか.そしてそれは,この近代日本がいま大きな岐路に立っていることも意味している.
 日本の近代を問いかえす.非西洋にあって最初に近代化したこの日本を,現在の地点から問いかえす.それは,人類の歴史にとって普遍的な問題である.
 私自身この問題を向きあい,考察を積み重ねてきたつもりであるが,課題の大きさに比してなしえたことはあまりにも少しである.

 この日本は,原子力緊急事態宣言下の国でオリンピックを開催する

  原子力緊急事態宣言 が10年も継続中の核汚染 された土地で,百年に一度の世界的な 伝染病 が流行し死者が相次ぎ,さらに,爆発的感染拡大の可能性 も指摘されている中,経済的な利益を優先し,たかだか四年に一度開催するに過ぎないスポーツの祭典を中止しないという,愚行.

 この日本は,原子力緊急事態宣言下の国でオリンピックを開催する

 原子力緊急事態宣言 が10年も継続中の核汚染 された土地で,百年に一度の世界的な 伝染病 が流行し死者が相次ぎ,さらに,爆発的感染拡大の可能性 も指摘されている中,経済的な利益を優先し,たかだか四年に一度開催するに過ぎないスポーツの祭典を中止しないという,愚行.

 われわれはこの日本列島,そして西表島などの南西諸島,また北はヒタカミ以北の地に,命をつないできた.大きな歴史の島々である.そのうえに,次の時代を拓くことがいま歴史の課題である..

 そのとき,われわれの理念が 緑の社会主義 である.赤い社会主義は経済が拡大する中での方向性の問題であったが,いま,もはや地球の有限性に規定されて経済の拡大が終焉する段階における,次の時代の理念,それが緑の社会主義である.

 地球は有限、資本主義は終焉する
 近代日本は根なし草の規範なき世
 赤い社会主義から緑の社会主義
 新しい人のつながりが生みだす世 

 コロナ渦は、戦後日本と、明治維新以来の近代日本の、本質的な総括を迫っている.

  緑の社会主義,頂は見えているが,そこにいたる道は深く険しく曲がりくねっている.いや,頂きもまた思いもよらないかたちであるかも知れない.