没落の現実に向きあおう

 昨夜は,梅田解放区に参加してきた.前回の八月一四日はいけなかったので,一ヶ月ぶりの参加であった.たたかうあるみさんピカピカの「わきまえない」執行委員さんのところでも,昨日のことを書いてくれている.
 若い人から私のような年寄りまで20人ほどが集まり,道ゆく人に語りかける.この日は福島県から避難している参加者もあり,その人も発言してくれて,街頭からの訴えは盛りあがった.
  福島原発事故は今も続いている.
  汚染水を海に流すな.
  辺野古に基地を作るな.
  非正規労働者の賃金上げろ.
  最低賃金を時給1500円以上にしろ.
  入管行政を根っこから変えろ.
  大阪の医療崩壊は維新のせいだ.

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 コロナ渦の下の愚行五輪と言うべき五輪は終わり,今はパラリンピックである.たたかうあるみさんが「たたかうあるみさんのブログ 」で、当日の車椅子の参加者の発言をふまえて,「なぜ障がい者スポーツが”別枠”なのか?」を書かれているが,同感である.
 私はかつて,地域の中学の支援学級の生徒を同じ地域の高校で受け入れ,その教育に取り組んだ.それはここに書き残しているが,五輪の理念といわれることをほんとうに実践しようとするなら,同じ五輪の中でやりながら,柔道で体重で分けるように,分けて行うべきなのだ.

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 日本の多くの府県はコロナ蔓延に対する緊急事態宣言のもとにあり,さらに,東北地域を中心に福島原発の核炉崩壊による原子力緊急事態宣言の下にもある.これはこれまでもここで何度も言ってきたことだが,原子力緊急事態宣言は20ミリシーベルトでも人が立ち入れるようにするために継続されて,それが日常化している.
 コロナ蔓延に対する政策一つをとっても日本の没落が現実のものとなってきた.実際,コロナ病床は不足し,自宅療養を強制され,亡くなる人が増えている.まったく酷いことになっている.

  ここにもこれまでも言ってきた日本の没落の現実がある.だがこの事実は覆い隠され見えないようにされる.政府も放送も新聞も,日本の没落に向きあわない.
 しかし私は,日本の没落の現実に向きあうところからしか次の時代はひらかれないと考える.そうではないだろうか.
 近代日本の侵略を受け,それと闘い,現在に至る韓国や共和国朝鮮,そして中国,これらのところはコロナ渦に対しても日本よりはるかにはやく的確に対応し,乗り越えているではないか.
 アフガニスタンの状況も心にかかる.自国民のアフガンからの退去にしても,日本政府はまったく無能という現実である.

 非西洋にあって最初に近代化,つまりは資本主義の世になって百五十年,一時は経済大国とか先進国と言われたが,資本主義の終焉という今日の大きな枠組のなかで,日本は今まさにかぎりない衰退と没落の過程にある.没落のおおもとにあるのは根なし草近代という近代日本の有りようである.近代の日本の世には,封建時代と画する根底的な近代の規範がないままであった.
 このような日本の没落は,非西洋における資本主義近代の失敗の歴史であり,後世人類史の曲がり角を示すものとして,伝えられ,記録に残されるだろう.

 世界大でみれば,「ドルの崩壊」もまた不可避である.ドイツやフランスはそれを見越して,欧州の自立を準備している.しかし日本はこのままでは「ドルの崩壊」においていちばん大きな犠牲を強いられるだろう.これがこの数年のうちにある歴史である.

 これらを,日本の没落,アメリカの没落としてとらえるだけでは,その意味が明確ではない.日本の没落,アメリカの没落は資本主義そのものの終焉の具体的事実である.拡大しなければ存在しえない資本主義は,この地球の有限性のゆえに,没落する.
 本当にこれからの人類はどのようにやってゆくのか.どのように資本主義を終焉させるのか.誰も取り残さない世に変えてゆくことは可能なのか.今それが問われている.
 帰りに本屋によって『資本主義と危機』を買ってきた.手元にある『エコロジー社会主義』とあわせてこれらを読み通し,緑の社会主義を深めたい.

 二冊を読んで,改めていまこの地球がいかに危機にあるかを再確認した.地球における人の営みが,この地球を破壊しかねない,いまはそのような段階にある.

 このような形で資本主義の克服が課題となることは,現代の問題である.資本主義から地球を守ることと資本主義から人を守ることは,一体である.
 すべての人が互いを人として尊敬する,そのような世を作ってゆくことは,できることであり,またそれがやらねばならないことである.それ自体が資本主義的放縦を越えてゆくことである.そしてそれがまた,日本でいえば,根なし草近代を越えてゆく途である.
 そしてそれが,この日本において資本主義を乗り越える途である.それはそれぞれの国や地域でそれぞれの歴史にそくした途がある.問題は普遍的であり,かつ固有である.

 今年の夏は,もう終わりである.この夏は,昨年同様,地元自治会の防災訓練もできず,納涼会もできず,そして地蔵盆もできなかった.コロナ渦は逆にこのような夏の行事の大切さを教えてくれた.