夏の終わりに

 昨夕は定例の梅田解放区であった.いつものように20人ほどがあつまり,今の政治を変えてゆこうと,街頭から呼びかける.これに参加し,横断幕をもつのを手伝ってきた.写真を撮るときだけ代わってもらった.
 市民が街頭に立つことは,ほんとうに大切なことなのだ.スガが退かざるをえなくなったのは,街頭からの怒りの力である.また,立憲,れいわ,社民,共産の4党が「命をまもる政権作る」と共通政策に合意したのも,市民運動の力である.
 ようやくに日本でも市民運動の力が政治を動かすようになってきた.この歴史のなかに立っていろいろと考えてゆきたい.横断幕をもって皆が語るのを聞きながらそう思った. 

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 夏が終わった.『人民新聞』1758号8.25 で在野の哲学者・文筆業の栗田隆子さんが「現実を『忘れない』ことが最初の抵抗の武器」と題して,次の一文で論考をはじめている.

2021年,夏.この夏は日本社会が越えてはならない線を越えてしまった年と季節だったことを私は忘れないし,忘れたくない.

 同感である.実際『人民新聞』に栗田さんが書いていることごとが,この夏起こった.
 また,雑誌『月刊日本』9月号で内田樹さんが,「東京五輪は「国運衰微」の象徴だ」と題した一文で,

東京五輪は「日本貧退」の歴史的指標になると思います。後世の歴史家たちが「2021年の東京五輪を機に、日本の衰運は一気に加速することになった」と書くことになるでしょう。

と書いておられる.これもまた,かねてよりここで日本の没落を指摘してきたことと符合する.そしてその根源にあることが,日本の近代が根なし草であったということである.そこまでおさえなければならない.

 新自由主義はゆきづまり,経済や社会の歴史的な転換は避けられない.日本でいえば,明治維新以来の近代化,つまりは資本主義化が限界にきている.限界のあり方は,それぞれ固有性を持つ.根のない近代であるがゆえに,この日本でもっとも酷いかたちで現れる.
 しかし,そうであるならば,転換もまた固有性に根ざしたものでなければならない.そう考えて準備してきたのが,青空学園日本語科のこの20年であった.

 根なし草の転換はファシズムにゆく.根のある転換は緑の社会主義にむかう.いずれかしかあり得ない.いま歴史はそういう分岐点に来ている.
 根のある社会主義としての緑の社会主義,これを深めなければならない.

 この夏,次のものを読んだ.

コロナ危機と未来の選択 パンデミック・格差・気候危機への市民社会の提言

アジア太平洋資料センター(編集)藤原辰史(著/文)斎藤幸平(著/文)内田聖子(著/文)大江正章ほか(著/文) 発行:コモンズ

気候変動に関する政府間パネル 6次報告書

気温上昇 緊急に防げ 世界主要医学誌など200超共同社説

 いずれも一般論であるが,いまこの地球と人類の関係が一つの極限に来ていることを読みとることができる.ここからの途はあるのか.