新自由主義の次に資本主義はない -1-

 昨日は定例の梅田解放区であった.いつもの横断幕が,預かった人に用事ができてこられなかったので,この日はなかった.それで皆で並んで道ゆく人に呼びかける.ピカピカの「月曜日が嫌い」な労働組合員さんのところにもこの日の報告がある.

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 二〇一二年,アベが民主党から政権を奪ってからスガへと九年続いた自民党の政権は,日本における新自由主義政権そのものであった.貧困と格差は拡大し,戦争法や共謀罪法も成立した.
 コロナ渦のもとで五輪をやるのか? 世論は反対が多数であったが,五輪利権のために猛暑の中で強行した.そしてコロナを全国に拡げた.これらに対する,貧困と格差にあえぐ人民の怒りがスガ政権を倒したのだ.
 新自由主義はゆきづまり,経済や社会の歴史的な転換は避けられない.日本においては,明治維新以来の近代化,つまりは資本主義化が限界にきている.岸田政権も当然資本主義の枠のなかにある.これはいずれ行きづまる.

 岸田は新自由主義からの転換を言うが,新自由主義資本主義は資本主義の必然の結末であり,資本主義政党である自民党では資本主義を転換することはできない.新自由主義の向こうに資本主義はあり得ない.
 このゆきづまった資本主義のその次は,ファシズムにゆくのか,資本主義を転換し社会主義にむかうのか,いずれかしかあり得ない.いま歴史はそういう分岐点に来ている.岸田政権が行きづまったとき支配層のあるものはファシズムに道をひらこうとするだろう.それは,資本主義の終焉期における新しいファシズムである.

 それに対抗して,社会主義への道をどのようにきり拓くのか.ファシズム社会主義か,それが世界各地の闘いの基軸になる.私が言う緑の社会主義,これが次の時代の社会主義である.思想を生みだし, なしうるところから行動し、手をつないで前に進もう.それを歴史は求めている.

 最近『大阪ミナミの貧困女子』(村上薫、川澄恵子著/宝島社新書)を読む.『日刊ゲンダイ』に書評がある.著者となっている村上さんは,いつも梅田解放区で一緒に行動する人であり,昨日も来ていた.彼女自身が大阪ミナミで働いている.また人民新聞の編集もやっている.
 集会が終わって『大阪ミナミの貧困女子』を読んだよ,と声をかけたら,宝島社を提訴しているとのこと.詳しくは聞けなかったが,もとの原稿と本になった文章に違いがあり,編集部の方が変えたらしい.
 いろいろ課題をもつ本ではあるが,それでもこの本は多くのことを考えさせられる.私は高校が大阪ミナミの天王寺にある大阪教育大附属の天王寺校舎だったので,高校の3年間,阿倍野のあたりをよく歩いた.阿倍野から南西に飛田の方まで歩いたこともある.
 少しはミナミに土地勘があるだけに,一気に読んだ.こういう世界が文章化されたこと自体新しい動きである.コロナ渦の下で出てきたものだ.これもまた,日本での新しい動きを作りだしてゆくかも知れない.

 日本は今,世の底が抜けたような状態にある.そうではないだろうか.日本近代はうちからの力で生まれたものではなく根なし草であり,そのゆえに,江戸の世にはあった人と人を結びつけるさまざまの規範が,明治維新になって,なくなる.
 そして,明治以降の日本は東アジアの近隣を遅れたところと蔑視し,差別と侵略をくりかえす.中国大陸と朝鮮半島東北アジア,南太平洋から東南アジア,そして琉球弧と,日本列島に住むものの祖先の地のすべてに兵を進め,非道のかぎりをつくし,そして敗北した.
 鬼畜米英を撃てと扇動しておきながら,戦後は一転アメリカに隷属する.アメリカの核戦略のもと地震列島に原発をいくつも作り,ついに福島原発の核惨事に至る.
 それは何ら総括されることなくアベ・スガ政治と続き、そのスガが政権を投げ出し,岸田に代わった.そして日本の原発利権を代表するものが,自民党の幹事長である.
 こうして日本の世は大きく分裂し,深い没落の過程にある. これは根なし草近代の成れの果てである.この歴史に向きあえ.そして没落の底からこれを越えよ. このように自分自身に問いかけてきた.青空学園の制作もその一環である.

 そしてこれは行動を伴わなければ前には進めない.かつてもそのように考え1973年からベ平連京都のデモで毎週土曜日河原町を歩いた.そして,2003年のイラク戦争反対行動の頃からまた街頭に出て,それから関電前の定例行動とできるかぎり街頭に出てきた.そして今は梅田解放区へ参加している.
 街頭に立ってともに行動し,そして考える.これが私の思索における生涯かわらない方法になっている.ゆけるところまで続けるつもりだ.