寒中の梅田解放区

 昨日は第4土曜日,定例の梅田解放区であった.寒い中で1時間半声を上げ,通りがかる人らに呼びかけてきた.私はいつものように横断幕を持ち,皆と声をあわせる.
 近くに座っていた若者が声をあわせてくれ,写真を撮るとき横断幕を持ってくれた.また,通りがかりの若者が一緒にタップしたりと,いろいろおもしろかった.

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  岸田やめろ!
  NHK捏造報道に抗議!
  デモの侮辱は民主主義の否定!
  沖縄の感染爆発は米軍好き放題の責任!
  日米地位協定は改定!
  辺野古新基地建設中止!
  維新はいらん! 吉村やめろ!

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 帰りに本屋で週間金曜日」1/21付けを買った.その表紙は「日本だけ賃下げ」である.日本の惨状はこれまでも言ってきたように事実である.これは第一に資本による労働者の分断が酷いことと,これに対するべき労働運動が力なく,また人民が抗議行動で街頭に出ることもまったく弱い,その結果である.
 通りゆく人々を見ながら,なぜ人々は怒らないのか.なぜ声をあげないのか,と思う.
 それでも,できるところからしか始まらない.これは,梅田にこうして集まり,声をあげる若者の気持ちでもあるだろう.かつて街頭闘争は,60年の頃,70年の頃,そして原発再稼働反対運動の頃とあった.今いちばん必要なときである.
 2022年がはじまっている.この1年は人間の歴史のなかでどのような位置にある年となるのだろうか.拡大を続けてきた資本主義が,いよいよその矛盾を深めそれを蓄積する時間となるように思われる.そしてそれが何かのかたちで現れるのが,2年ほど後,24年頃ではないか.矛盾の蓄積がどのようにすすんでゆくのか,それを見とどけなければならない. 
 そして,それが現実のものとなった段階で,次をひらいてゆく.そのための準備、その主体の準備もまた蓄積しなければならない.
 非西洋にあって最初に近代化,つまりは資本主義化した日本は,いま世界大で見ても最も悲惨な状況に陥っている.これは人類史として大きな経験である.この意味を掘り下げ次に繋いでゆくことが,日本列島弧にいきるものの課題であり,責任である.
 そしてその営みはまた,資本主義の次の段階を構想するための前提でもある.
 梅田解放区のような実践は,大きく言えば資本主義の次を拓いてゆくものを育てる場だ.私はできることはしよう,それを見とどけようと考え,参加してきた.
 思えば参加し始めてもう4年が過ぎた.一度も欠かすことなく参加してきた.晩年になってこういう場があることをありがたく思う.